【詩】フライング

「生きなきゃダメだよ。あんたは生き物なんだから。
死んだら楽になるなんてのは、迷信だよ」
けれども、ネコは飛んだ。雪をまといながら飛んだ。

10階の部屋の中が見えた。
24を見ながら、男がケンタッキーフライドチキンを食べていた。
男の指先が、雨に濡れた向日葵のように光った。

ネコは落ちてゆく
ネコは落ちてゆく

9階の部屋の中が見えた。
家族が鍋を囲んでいた。キムチ鍋だった。
父が手にしているのは缶ビール。ドライと書かれていた。
鍋から湯気が立ち上がる。蜃気楼のようだった。

ネコは落ちてゆく
どこまでゆこうか
そうだちょうどそこまでだ

8階の部屋の中が見えた。
男女が抱き合って眠っていた。
「ねえ、私のどこが好き?」
「どこもかしこも、世界中で一番好きさ」
女の瞳が、絵空事のように輝いた。

ネコは落ちてゆく
もうどこへもゆけない
色んなものがみえる

7階の部屋の中が見えた。
難しい顔をした二人がテーブルを囲みチェスをしていた。
「チェックメイト」
男は、そう言って瞬間窓の外を見た。
逃げ出しそうなクイーンを指でつなぎとめながら。

ネコは落ちてゆく
どこまでが過去だったか
ここはどこだったか

6階の部屋の中が見えた。
ベッドの中には男の子がいた。
母親が絵本を読み聞かせている。
「クマさんは、ライオンさんに言いました。
僕たちは、同じ生き物だよね」

ネコは落ちてゆく
いきたいとこもあったな
どこかで声が

5階の部屋の中が見えた。
新しく越してきた人たちだ。
一つ一つダンボールを開けて、中を見ている。
「プレイステーションはどこ?」
「アルバムは、持ってきた?」

4階の部屋の中が見えた。
少女は遺書を書いていた。すべての世界を閉じた。
----もうこれでおしまいにします。
少女は遺書を早くも書き終えた。それから、彼女は死へ向かう。
ネコは、もう彼女を助けることができないのだと知ってしまった。
不思議な気持だった。
なぜ、あの時、耳を傾けようとしなかったの……。

ネコは落ちてゆく
戻らない夕日のように

3階の部屋の中が見えた。
そこには誰もいなかった。
それが、ネコの見たものの最後だった。

ネコは落ちてゆく
ネコは落ちてゆく

2階の部屋はカーテンを閉め切っていた。
その中では、ものかきがものを書いていた。
ものかきは、朝から晩までそうしていた。
けれども、ものかきは次第に時間を忘れた。

1階の部屋では、母がみんなの帰りを待っていた。
待ちながら、料理の最中だった。
まだ、誰一人として帰ってはいなかった。
晩御飯は、カレーライスだった。

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