見出し画像

「自己肯定感の低い人間にとっての恋愛」というのは。

元フォロワー様に「るりさんが既婚者なの知ってるけど気になっています」とご連絡いただき、冗談だと思って「草」と返してしまいました。

そのあと反応をいただけていない上ブロ解されてしまったものですから、傷つけてしまったのかもしれません。ごめんなさい。でも仲良くしてくださっていたと感じていただけに、私もとても悲しい気持ちです。

この場でこの話をするのはその方を傷つけたい訳ではなく、皆に共有したい大切なことを考えたからです。

すでに誰かを愛している人間に対する恋心について。(ポリアモリーについては除きます)

理性的になって考えてみてほしいです。
「奪って実ったソレ」は再び起こると考えられませんでしょうか。
「誰かから奪えた」「他の誰かより自分を選んでもらえた」というその一瞬の快感はあるかもしれないけれど、失礼な話ホームレスの方に500円玉を差し上げるようなものであって、その後は幸せになれないんですよね。

だって、「自分は奪う側の人間」であり、「相手は奪われてしまう側の人間」なんです。
次は「僕が(私が)相手を失う番」という恐怖が付き纏い始めます。

寂しいと思えば寂しいと思うほど、何かに依存したくなるものです。本当はそれが仕事だったり趣味だったり、時にちょっと体によくない酒や煙草といった嗜好品だったりするものですが、それが、特に自信のない方にとって「恋愛」になりがちであるように思います。

例え生育環境が悪くても、人は何かしらの形で、自分が納得できる形で「僕は(私は)やれる限りのことをやった」という経験をするとほんの少し自信がつき、「自分で自分を肯定する」ことができるようになるのですが、これをやらずに恋愛をしようとする人は「恋愛をすれば、他者が自分を肯定してくれているような気持ちになれる」と期待しているのではないかと思います。

がんばらず、ありのままの自分を肯定してもらえるというのはとても楽ですし、特に親子関係などにおいてそれが大切だと感じます。赤ちゃんのときに得るべき「※基本的信頼感」(エリクソン)というものだったと思います。
※気になる方はあくまで参考までに↓
https://hitopedia.net/%e5%9f%ba%e6%9c%ac%e7%9a%84%e4%bf%a1%e9%a0%bc/

私は、いわゆる「自己肯定感の低い人間にとっての恋愛」というのは「親子で得られるべきだった基本的信頼感の再形成」だと考えています。
親に甘えられなくなるから、または、親に甘えられなかったから、基本的信頼感が得られなかったから、「恋愛」をするのでしょう。
悪いことじゃありません。必要なことです。

ただ、「自分にはなぜ恋愛が必要で、どんな恋愛を求めているのか」ということをまず考えてみる必要があると感じます。

それだけで、その寂しさを安心に変えてくれる恋愛に辿り着ける第一歩が踏み出せるのではないかと思います。

長々と書かせていただきましたが最後までお読みいただきありがとうございます。


瑠璃

あなたのこと忘れない