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書評『政治はケンカだ!明石市長の12年』泉房穂・鮫島浩著 講談社

この書評は、とちぎボランティアネットワーク機関誌「SDGs
通信」の市民文庫欄のものですが、発売前の事前公開です。
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『政治はケンカだ!明石市長の12年』泉房穂・鮫島浩著 講談社

1800円+税
評者 白崎一裕(那須里山舎)
 
「誰ひとり見捨てない」のスローガンのもと、独自の子育て・福祉行政などで全国から注目された反面、暴言など強い批判にもさらされたトンガッタ市長だった泉さん。その泉さんに、朝日新聞の政治記者のトップでありながら、朝日を早期退職し独立系ジャーナリストとして活動する、これまたトンガッタ鮫島さんが聞き手役の政治本である。それも、ここのところのコロナ禍やウクライナ戦争から国内各政治社会情勢まで、モヤモヤ、ドンパチ・ぐちぐち・うっとうしい空気が蔓延する中に爽快な風を送り込む超元気本でもある。
 このおふたり、普通にいけば、弁護士に国会議員、そしてかたや大朝日新聞のエリート記者として「上級国民」のままふんぞりかえっていてもおかしくない社会的立場にいた。その立場を蹴っ飛ばして活躍しているわけだから当然、敵も批判も多い、だから、大嫌いという人もいるだろう。だが、本書を冷静に読んでいくうちに、お二人のトンガッタ個性が売りの本ではないことに気がつく。つまり、二人の固有名詞を取り払ってもこれからの日本の政治・社会を考える際にとても参考になるところがたくさんあるからだ。その一部重要論点を評者なりにまとめて三つを以下にあげておく。
1,県を廃止して市町村だけにする
2,共助を公助が助ける=NPO、NGO活動を行政側が積極的に支援する
3,国政を変えるこれからの方法は、中央議会が機能不全に陥っていて、政党政治が機能していないので、地方の改革実績のある首長を野党統一候補としてたてるか、各地方で地域政党が活躍して国政政党化するか、または、地方政党連合体の力で国政をゆさぶり必要な政策を実現するかである。
この三点だけでも、きわめて、リアルな政治変革本だということがわかる。
まず、1について。
そもそも「県」という行政区は、明治維新期に薩長藩閥政府が地方を統制しやすいようにつくりあげた中央の出先機関のようなもので、地方主権・分権にはなじまない。「県」とは、まさに日本の近代化の負の遺産である。だから思想家の内田樹さんも提案しているように「廃県置藩」が政治単位としてはベターで、市町村を主体に政治を行うべきなのだ。地方に暮らす住民目線にたったとき、「県」という存在は存在意義がきわめて怪しいものである。
次に、2について。
この問題も、NPO、NGO界隈ではながらく議論されてきたことで、NPOは安上がりの行政下請けになっているという批判である。しかし、泉さんは、NPO、NGOが活動している分野こそ行政側が支援してお互いに統合した関係にあるべきという。意外なことに、こういう首長はあまり存在してこなかった。考えてみれば、気候変動問題や障害者権利条約制定過程では、世界の多様なNGOが公助である行政や国家にはたらきかけをおこない政策化や法制化に貢献してきた。このように共助のNPO・NGOも政治活動に参加し、また、公助の行政や国家もそれを支えるという、従来の党派的政治活動とは一味違う「政治」のありかたを追及していくべきだ。
さらに 3について。
実は、評者は、この部分がもっとも関心を引いた部分だった。泉さんは、学生時代にルソーに傾倒して深く学んだらしい。地方の小さな政治組織が連合を組み政治を動かしていくというのは、ルソーの発想に近いと思う。ルソーは、人民の合意に基づく一般意志を重視していて、行政権が議会制を通して専制的に自らが人民の意志を代表する詐欺行為を警戒していた。だから議会や選挙もあくまでも民主主義の道具のひとつであって、それらの機能は相対化されるべきと考えていたようだ。国政部分は、上級国民化された世襲議員が多くを占める「新身分制」のようになっている。これを突破するために、暮らしに根ざした地方の連合政治体がこれまでとは別次元の旋風を巻き起こす時と考える。
 
本書は、実は本書著者おふたりのシン政治宣言ではないか、と評者は確信している。

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