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「SDGS通信 市民文庫書評」『凛として灯る』荒井裕樹著

米津さんの評伝『凛として灯る』の書評を以前書かせていただいた。

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『凛として灯る』荒井裕樹著 現代書館 定価1800円+税
                    評者 白崎一裕(那須里山舎)

本書は、障害者文化論と文学研究者の荒井さんが書いた米津知子さんの評伝である。米津さんを辞書的に紹介するなら「ウーマンリブ運動と障害者運動の当事者活動家」とでも書くところか。それを2020年代風に表現するなら、「ジェンダー差別や障害者差別と闘いダイバーシティーを実現するラディカルフェミニストにして障害者運動当事者」という感じかもしれない。

 しかし、2020年代は、当然のことながら、これまでの歴史の積み重ねの上で成り立っている。本書は、その歴史を創造してきたひとりの人間に焦点をあてて、そこから反転して現在という歴史の一断面を問い直そうという試みだ。

 それは、どんな問いなのか。

 作家の三島由紀夫は、戦後民主主義という時代を「空虚な時代」と思いながら生きた表現者だ。おそらくその「空虚」さを埋め合わせるために、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で自らの身体に刃をつきたてて自決することになったのだと思う。しかし、「空虚な戦後民主主義」を、三島のような成功したエリート小説家の立場で、上から目線の観念的なとらえかたをするのではなく、身体を奪われ社会から疎外されてきた中から、自らの身体を自らのものとして取り戻す「戦後民主主義の欺瞞批判」の当事者運動があった。そこには「空虚さ」を批判し超越する毅然とした生きざまがあったのだ。それこそが1960年代後半から1970年代を中心にまきおこったウーマンリブと障害者運動なのである。それらの運動の主張には、戦後民主主義がとらえそこなっていたもの、すなわち、表面的な豊かさをもたらした消費社会が隠蔽した家父長制と能力主義への痛烈な異議申し立てが存在していた。米津さんは、そのすべてに俊敏に反応していく。たとえば、1967年の「ミニスカートの女王」ツイッギー来日からのファッションへの違和感と腹立たしさ。長下肢装具をつけた米津さんは、ストッキングははけない。こうして男が押し付けてくる見た目の「女の美」への違和感と腹立たしさから、女に押し付けられるすべての性差別的なものへ反抗していくことになる。その感性は学生運動内部にもあった男性優位思想に疑問をもち、大学卒業後、ウーマンリブ運動へと邁進することとなる。

リブ運動の渦中での、米津さんの「私を見て!」と書いたTシャツとホットパンツのデモ行進の写真は注目だ。もう長下肢装具の足は隠さない。まさに男文化と健全者文化へのなぐりこみ喧嘩デモ行進だ。

私たちは生まれながら自分の身体をとらえがたいもの、あつかいにくいものでありながら、それが自分の一部であるという不思議な感覚(主観でも客観でもない)にとらえられながら生きていく。特に思春期以降、性的な身体性を帯びた時からそれは顕著になる。しかし、その身体は、いつも他者の偏見や暴力を自らも内面化することによって、自分のものにならないもどかしさがある。米津さんは、そのもどかしさと常に闘ってきたのだ。特に1970年代の優生保護法改悪をめぐるリブの運動の中で、女が女の身体を自己決定する政治運動を展開することになる。そこに異議をとなえたのが、もうひとつの自らの身体の復権運動である障害者運動(青い芝)だった。「生む生まないは女が決める」というリブの主張に対して「障害者を堕ろすのは女のエゴ、我々は健全者と安易に連帯しない」と青い芝の批判の声があがる。この場面は、戦後運動史のなかで、もっとも重要な問題提起の瞬間だと思う。

「優生保護法の前では、女も障害者も等しく被害者のはずだった。彼女たちは最後まで共闘の路線を模索した。」と本書にある。女であり障害者として二重に差別されてきた米津さんは、この両運動の葛藤の最前線に立った。米津さんは、こう主張した「女も、子どもも、障害者も、健常者も、この社会の中で<自分より強い者にはいつもいじめられて、ようやっと自分より弱い者に対してハケ口を見出して行く>という<惨めったらしい構造>を生かされている。そうした構造を生かされる<怨み>をぶつけるべき敵を、共に探していきたい。」

一応「男」であり「健全者」である評者は、どうしてもこの米津さんに対して高みの見物になってしまうだろう。そのことをあえて告白した上で、上記の運動の思想的葛藤の現場を高く評価したい。身体復権はきれいごとではすまない、だからこそ、粘り強く自分たちの身体の本音をぶつけるべきだ。カミュの『反抗的人間』に「われ反抗す、ゆえにわれらあり」という言葉がある。反抗こそ人間たるゆえんであるということなのだが、注目は、「われらあり」だ。反抗して孤立するのではなく、他者と連帯への道が開けている。米津さんの主張には、このカミュの言葉が共振して、現代の孤独な被抑圧者たちへのエールになるだろう。

米津さんは、本書の冒頭にあるように、1974年に日本で展示された「モナ・リザ」にスプレーを吹きかけて逮捕され裁判となる。この「モナ・リザ展」は車いすの障害者を排除して展示されたため、それに対する抗議活動が米津さんの行動の意味だった。本書は「スプレー」が重層的な闘う表現であることを深く訴えてくる。


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