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【エッセイ】トランプ

「昨日、祖母が詐欺にあったんだよね」と同僚は言った。
今朝、職場に行き、同僚と交わした最初の会話だった。
「え?どういうこと?」
私は詳しい、事情をたずねた。

両親と離れて暮らしている私の同僚は、80代のおばあちゃんとペットと共に暮らしている。
聞けば、詐欺の内容はこうだった。
お祖母様が一人きりでいる自宅に警察を名乗る男から電話がかかってくる。

男から、キャッシュカードの交換が必要だというような話を電話口でされ、お祖母様はキャッシュカードを用意した。

電話を切って、しばらくすると警察と名乗る男が自宅にやってきた。
玄関のチャイムを鳴らし、お祖母様が出る。
キャッシュカードを受け取った男は「新しいカードが入っています」と告げて、お祖母様に封筒を渡した。

同僚は言った。
「私、ちょうど仕事から帰ってきた時に玄関先で男と遭遇したのよ。
祖母は男を警察だって言ったけれど、挨拶もせずに去ったから怪しいなって思った」
同僚は、それから本物の警察とやりとりし、てんやわんやな夜を過ごしたそうだ。

新しいカードが入っていると告げられた封筒の中には、トランプのカードが2枚入っていたそうだ。

トランプ2枚で、人の人生が変わってしまうことがある。
被害の金額が大きければ、その後の人生設計が変わってしまう人もいるだろう。

お祖母様が最初に受け取った電話は、海外からかけられたものだったそうだ。

(電話会社に登録すれば、海外からの不審な電話をブロックしてくれるシステムがあるそうだ。同僚は、昨夜の一件からすぐに登録したと言っていた。)

私は、遠い昔を思い出した。
それは、トルコを訪れた時のことだった。
観光をしながら、トルコの街中を歩いていた。
全てが色彩豊かでカラフルなイスタンブールでのこと。

カラッとした暑さの中、私は「トルコアイス」が食べてみたくなった。
当時はトルコアイスが日本で流行っていて、コンビニでも売っていた。
伸びると噂のそれを口にしたことがあったのだけれど、私は、せっかくならと本場のトルコアイスが食べてみたくなった。

私の足は広場の露店に向かった。
そこでは、少年がトルコアイスを売っていた。
私は、一つください、と彼に言った。

少年は、爽やかな笑顔を見せて、リラ(トルコのお金)の金額を告げた。
それは、おバカな私でもわかる相場の数倍は高い金額だった。
「えっ?」と戸惑う私に、彼はニコニコした表情を浮かべた。


私は彼の目をじっと見た、とても透き通った綺麗な目をしていた。
観光客から少しお金をふっかけて多くもらってやろうなんてつゆ程に思っていない目だった。
彼は、「日本人観光客には高い値段を告げる」という彼の正しさの中できっと生きてきたのだと思う。

私は、断ることもできたのに、彼の吸い込まれるような瞳を見て、言われた通りの金額を払った。
初めての本場のトルコアイスは、あまり味を感じなかった。

(補足しておくと、その他のトルコでは皆ひとが優しく、食べ物も美味しく、暖かい街だった。訪れた期間はラマダーンで、夜は賑やかで明るく、そしてイスタンブールの街は猫が多かった。)

同僚の話を聞いて思った。
もし世界が、愛を与えあうような仕組みだったら?
奪いあうのでなく、与えあう関係だったら?
きっともっと穏やかに心地良い世界が広がっていくだろう。

お年寄りからお金を奪うことなく、きっと観光客にも親切に愛を与えるのだろう。
正しさは分からない。けれどもきっと誰もが生まれた時はピカピカの美しさを持って生まれてきたのだと思う。

美しさを忘れずに生きていけますように。

同僚は、翌日に警察の「指紋」の調査があるから仕事を早退すると言っていた。
賢い彼女は、なんと封筒を受け取った際に、これは証拠になると思い、自身の指紋をつけずに封筒を取っておいたそうだ!
とっさの判断ができる、彼女の賢さを改めて尊敬した。

幸いにもお祖母様の身体はご無事だそうで、安心した。
早く解決しますように。

トランプ2枚は、投げたら一瞬の風に吹き飛ばされる軽さかもしれない。
薄い2枚のカードが、国境を越える本物の愛のハートのカードであったらいい。



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