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日本人の思想 3

日本の古代・中世思想は仏教と強く結びついていたが、近世では豊臣秀吉の朝鮮出兵の際連れ帰られた姜沆が朱子学を日本に広め、儒教(宋学)が盛んになった。

林家の朱子学は江戸幕府の老中松平定信の時代に公認され、昌平坂学問所での朱子学以外の講義を禁ずる寛政異学の禁が制定された。
また、江戸中期以降に国学、蘭学、その他民衆思想が合理主義的な儒教に刺激されて興ってきた。

江戸時代には、儒教が盛んになった。中国の朱子学(宋明理学)が主流になり、その批判から古学派や国学など新しい思想が現れた。

朱子学は家族的な封建制の社会的地位の秩序を尊重した。中世以来五山文学の中で学ばれてきた朱子学の代表的学者林羅山は(はやし・らざん)日本の近世儒学の祖である藤原惺窩(ふじわら・せいか)に学び、惺窩の推薦により幕府に仕え、朱子学の官学化に貢献した。

人間の身分の上下は、天地に上下の区別があるのと同じように定められているとする上下定分の理を説き、己をつつしむ心である敬を重視した。そして、私利私欲をおさえて常に心の中に敬を持ち、身分秩序にあった生き方を心がける存心持敬をとなえた。

しかし、上下関係を重んじる朱子学の思想は、幕末に「尊王攘夷(そんのうじょうい)論」に発展し、幕府が倒されるきっかけになってしまいました。

明治維新を迎え、西洋の文化が入ってくると、朱子学は過去のものとなります。明治維新を迎えた日本では西洋的な合理主義が尊重されるのですが、近世以降日本人の規範となったきた朱子学を含めた儒教の思想が根付いているのか、自己主張せず、周りに合わせたり、上司や親、先生など、上の立場にいる人が高圧的な態度を取ったりするのも、儒教の影響が強く残っているからである。

近代以降の思想家西周
近代以降日本人の思想をリードした先駆者は西周であろう。

彼の業績 として第 一に 挙 げ られ るの は philosophy を 「哲学 」 と訳 した の を始め、 「主 観 J、「客観 J 、「観 念 」「理 性 」 「先天 」 「後天」 「実体 」「帰 納 」「演繹 」 な ど,今 日で も用 い られ て い る 哲学的用 語 を創案 し た こ と で あ る 。

こ の よ うな 点 か ら推 し て も、日本 近 代 思想の 形成 者 と して 西 周の 果 た した功 績は 大 きい 。
明 治 初 期 に 新 た な学 術 を 開い た が、そ れ の み で な く儒 学、 国学 の 素養 も深 く西洋 百 科 の 学問 と西 洋 思 想 とを綜 合 し て 独 自の 学 問体 系の 樹立 を試 み ている 。

彼 が 一貫 して 「理 」 を追求 し 、論理 を大事にしたのは、日本近代化の 道 程 を 示 そ うとす る抱負 か らで た もの である。

彼 の 「人 世三 宝説 」 は、市 民社 会 の 論理 を把 握 して い る 点 で 大 き な業 績 で あるが、 西周 の 思想 の 根 本 的 志 向は 、他 の 啓蒙 思 想家 等 と同様 に  日本 近 代化 の 合 理 的諸 基 準を探 求す る こ と で あ っ た

彼 は、 思 想 の 中心 に 「理 」 の 探 求 をお い て い る。す べ て の 諸事 象 を 「理 」 に還 元 して 把 握す る こ と、諸学 を 「理 」 の 立 場 に お い て秩 序 づ ける こ と、さ らに こ の よ うな傾 向は ,西 周 の 生 涯 を か け て の思 想 活動 に一貫 し て い る。

彼 は 、幕 末 の 頃 よ り 西洋 哲学 に 関心 を抱 き、なか で も特 に 論 理 学 の 研 究 に力 を入 れ た。
そ して す べ て の 彼 の 論稿 の 基礎 に 論理 的な基 準を据 えて い た のだ。
この様に近代論理学の基礎を定着させた西周はやはり日本近代の生んだ優秀な学者なのだろう。

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