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『繚乱コスモス』(1)☆ファンタジー小説

 宮島(みやじま)徳子(のりこ)は、所属する課のお局OL、黒田の言葉に内心呆れていたが、さも感心したように装っていた。

 黒田はそれに気付きもせず、話を続けている。
「でね、気に入らないヤツが来客対応するでしょお? そしたら、社内システムの会議予定表を見るのよ」
 徳子はほんの少し茶色い、ロングの髪を耳の後ろに手ですいて、コクコクと細い顎をしきりに頷いてみせた。しかし黒田の言う、気に入らないヤツと社内システムの会議予定表が頭の中で繋がらない。
「黒田さん、それで何がわかるんですか?」
 その質問を待っていたかのように、黒田は両手を広げて先輩ぶった態度を見せる。
「ま、徳子さんはまだ入社半年だからわからないのも無理ないわねぇ。会議予定表には会議室の番号と来客の人数、そして対応するメンバーの氏名が表示されるわよねぇ」
「はい、そうですね」
「すると、席順がわかるでしょ。来客は奥の上座、応対するウチの社員は入り口側の下座。んで、問題のイヤなヤツだけど、イヤなヤツと同席する社員が上司なら、ターゲットは入り口側に座り、部下なら奥に座るわぁ。3人以上だったとしても、奥から階級の高い順に座るはずよねぇ。例えば部長、課長、一般社員って順番で……」
「はい、それ社員研修で習いました。でも、イヤなヤツとの関連性がわかりません……」
「ふふふっ、話はここからが重要よ。まあ聞きなさい」
「はいっ」
 話の先はおおよそ見当がついたが解らぬフリをした。お局OLの前ではあくまでも、鈍感で従順な若手OLとして振舞おうと努力する。
 徳子のそんな気持ちを知らず、黒田は得意げな表情で声をひそめる。
「お茶の一つに、雑巾の絞り汁を入れちゃったりぃ? そして、お盆の上にお茶を、席順に並べるのよぉ~ くくくくっ……」
(そんなことだろうと思ったけど)と、思ったものの、否定的な口調、表情、態度は一切出してはならない。
 徳子は慎重に、そして精巧に、演技した。
「そっそれから、どうするのでしょう?」
「あらやだ、まだわからないのぉ?」
 黒田が困った表情を浮かべながらも、吊り目の奥から観察眼を向けてくる。そして徳子の鈍感さを信じ、自分を脅かす存在でないと確信して頬を緩めた。
 徳子はその自己満足に浸った笑顔を確認すると、胸をなでおろす。
(せっかく、なんとか、かろうじて入社できたんだから、人間関係でギクシャクしちゃダメよね。まずは上司よりもお局さんに気に入られなきゃ)

 総務部とはいえ、女子高卒で憧れの大手IT企業に入社するのは容易ではない。
 徳子は独学でコンピューターの仕組みとプログラミングを学習して資格を取得。そして二度の筆記試験と三次にわたる面接をパスしての入社である。
 技術部門ではなく、総務部配属で気落ちはしたが、キャリアパス制度を利用しての異動に望みを託し、プログラムの独学はまだ続けていた。
 人事異動が決まるその日までは、お局OLのワガママに耐えなければならないが、その辛さは入社できたことの喜びに覆い隠され、さほど苦しいとは感じていない。

 徳子の容姿は、どちらかと言えばカワイイ方である。また、高校時代は陸上部で短距離走の選手だったので、細く締まった身体つきだ。クラスメイトの中にはそれをやっかんで陰口を言う女子もいたが、徳子の明るい性格から、味方になってくれる生徒の方が圧倒的に多く、悪口など蚊に刺されたほどのダメージもなかった。が、会社では勝手が違う。学校のように公平、平等がベースの人間関係ではない。社歴や階級、また仕事の出来不出来も個人の価値を左右するイビツな形をしたピラミッド社会。つまり、ピラミッドを形成する人物、特にその上位に位置する人間との繋がりが将来の損得に関わってくるので、八方美人が得をする。

 黒田は、自分が受け持つ仕事を誰にもやらせないので、極めて小さいがピラミッドの頂点である。それに加えて押し出しの強い性格でもあるので、総務部のお局として君臨していた。
 徳子は女子高仕込みの人間関係構築手腕を会社に生かし、誰と仲良くすればよいかを嗅ぎわけて、黒田と会話する時間をなるべくとるようにしていたのだった。
 
「徳子さん、聞いてる?」
「はっはいっ! それからどうするんですか?」
「準備は万端。そこからは手つきに注意ね。相手も自分が嫌われていることを重々承知だから、少しの不自然さも感づくのよ。だから落ち着いてにこやかに、そして機械的にかつ順序良く、お茶を配るの」
(その労力を仕事の幅を広げることに生かせばいいのに……)
 そう思いながら、さも話の続きを聞きたそうに大きな瞳をパチクリさせ、しきりに感心したような表情を作った。
「で、そのイヤなヤツがさっき、上司と来客対応に入ったんだけど、お茶運んでくれないかなぁ?」
「えっ? あのっ、わたしがっ?」
 思わぬフリに、徳子は自分を指差して戸惑いの色を隠せない。笑顔、同意、相づちだけで誤魔化せるほど黒田は甘くなかったのである。

「そう。これも総務部の新入社員の勤めよ。でも安心して。お茶はすでにお盆の上においてあるから。説明した順番どおりにね。運ぶだけにしてあるから感謝してねぇ」
(感謝ってナニに? でもこれ、わたしが黒田さんの味方かどうかの最終試験、ってコトよね……)
「徳子さん、急がないとお茶冷めちゃうわよ」
「はっはい! 行って、きます……」

 給湯室に行くと、なるほど、お茶はお盆の上に人数分用意されている。奥に二つ、手前に二つ。黒田の説明どおりだとすれば奥は来客用、手前のいずれかが黒田が狙う人物用の茶碗かと思われた。
(でも、黒田さんはこのお茶にアヤシイものを入れたとは言ってない。そうよ。わたしはただ、先輩社員の命ずるままお茶を運ぶだけ。それに黒田さんに逆らうなんてムリムリっ、きっと神様も見逃してくれる)
 徳子はそんな身勝手な思いを抱いていたが、手前右側のお茶の色が少し違うことに気がついていた。しかし、見て見ぬふりをして打ち合わせルームへと向かう。

 ノックして室内からの返答を待つ。そして、目礼しながらドアを開けた。
 奥の席には、来客らしい見知らぬ男性が二人座っている。そして手前には、入り口に背を向けて座る二人の社員がいた。
(後姿からすると…… あのハゲ頭は開発部の課長ね。んで、入り口側は女性社員かぁ)
 徳子はまず来客にお茶を勧め、続いて開発部の課長、そして女性社員の前に茶碗を置こうとする。
(黒田さんが嫌っている人って、誰なのかしら?)
 興味がわいて、その女性社員の顔を上目遣いでチラリと見た。
「ありがとうございます、宮島さん」
 その悪意の無い笑顔と声に、息を飲んだ。次いで大きな鼓動が一つ。
「やっ山代さん?……」
 女子高時代のクラスメイト、山代(やましろ)美奈子だった。
 睫毛が長く、黒目の大きい優しげな瞳。細面の輪郭に色白の肌。薄い桃色の水彩絵の具を一滴落としたような、自己主張は無いがスッと横に長い上品な唇。

 女子高では、その美しい風貌に似合わない野暮ったい黒縁の眼鏡をかけていて、それが見かけ上唯一の欠点と言えば欠点であった。が、今はコンタクトレンズをしているのか、少し潤んだ大きな瞳を真っ直ぐ徳子に向けている。

 以前の彼女は、嫌われ者ではなかったが、クラスでは敬遠されがちだった。その理由は、生真面目で正義感が強すぎたのと、一つ年上であるがためだ。



繚乱コスモス(2)へ続く

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