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『繚乱コスモス』(4)☆ファンタジー小説

※※※
 
「山代さん、昼間はごめんなさい。お茶こぼすというか、ぶちまけちゃって……」
 頭を下げる徳子に、美奈子は慌てた様子で手のひらを横に振る。
「いえ、気にしないでください。それに会社では宮島さんの方が先輩ですから、丁寧な言葉遣いでなくてもいいですよ」

 美奈子が6月入社であることを思い出したが、敬語を使う理由は、彼女が一つ年上というだけではなく、尊敬する気持ちがあるからだ。よって態度を変えようとは思わない。
「山代さんこそ、わたしにですます言葉は使わなくてもOKですから」
 女子高の同級生だが美奈子は一つ年上、しかし会社では徳子が先輩という微妙な関係である。
 美奈子は困ったような表情を浮かべながら言った。
「では、どうしましょうか…… お互いに、下の名前にちゃん付けするところから始めるというのはどうですか?」
「ええ、いいですよ」
「では、徳子ちゃん」
 徳子は赤面しながら、しどろもどろに言った。
「みっ美奈子…… ちゃん」
「ふふっ」
「っな、なんかヘンでした?」
「いいえ、そんなに緊張されてしまうと、わたし、告白されているみたい」
「ハハハ、緊張はしましたけど。だって、女子高でもちゃん付けで呼んだことなかったから」

 ふと、美奈子の表情に陰が射した。卒業という儀式で意識の地下に沈みつつあった思い出が『女子高』という言葉で液状化し、湧き上がってきたように見える。
 当時、美奈子を”ちゃん付け”で呼んだクラスメイトは一人としていなかった。

 徳子は配慮の欠けた発言に気がついて一瞬、口をつぐむ。美奈子は自嘲気味にため息をつくと、話題を変えた。
「嫌いな食べ物ある? 徳子ちゃん」
「肉でも野菜でも魚でもなんでもコイです」
「そう、良かった」
 美奈子がスッと手を上げ、タクシーを停める。
「あの、美奈子さ…… ちゃん、お店、遠いんですか?」
「ううん、電車なら駅四つくらいだけれど、せっかくの時間を無駄にしたくないから」
 美奈子が行き先を告げ、タクシーは動き出す。

 夕暮れ過ぎると、会社帰りの人々を待ち受ける飲み屋のちょうちんや看板が明るく点灯し始める。サラリーマンやOLたちがビルから吐き出されるように出てきては、店の明かりに飲み込まれてゆく。次の町、その次の町でも、同じような光景がタクシーの左右へと流れていった。

 途切れた会話を繋ぐため、徳子は事前にネットで調べておいた共通の話題を口にした。女子高時代、美奈子が読んでいた本を思い出したのである。
「美奈子ちゃん、さっきネットのニュースで見たんだけど、星が青くなってるんだって。もう少し暗くなったら見えるかなぁ?」
 美奈子が笑いながら答えた。
「青方偏移ね。数日前から始まったのよ。今までは宇宙は膨張してたから赤方偏移していたの。それが青く変化した。つまり光のドップラー効果で星が近づいている証拠ね。ちなみに、肉眼ではわからないわよ。フフっ」
「ふーん、そうなんだぁ。ははは……」
 自分から振った話題ではあったが、予想以上に美奈子は詳しく、徳子はついていけなかったので笑ってごまかした。美奈子もそれを察してか、それ以上星の話題に触れずにただ、
「余計な街の灯りが強すぎて、星、見えないわね」と、言った。

 そんな街角からはぐれゆくように、二人の乗ったタクシーは幹線道路を外れ、わき道に入り、路地をめぐる。
 都市部としては珍しい、こんもりとした林が見えた。
「公園かな?」
「いいえ、あそこがお店。今日のお食事の場所よ」
「えっ?」
 徳子は思わず美奈子に視線を向け、慌てて言った。
「あ、あのう、美奈子ちゃん? わたし、高級料亭とかはちょっと。もちあわせもあまり無いから」
「いいのよ、気にしなくて。もちあわせなら、わたしだって無いもの」
 街灯に照らされた、白い笑顔が無邪気に答える。
「へ?」
「到着しました」
 運転手の声に美奈子が料金を払い、二人はその店の前に立った。

「うわぁ」
 まるで武家屋敷のような、高い板戸の塀が百メートルほども続いている。入り口は藁葺き屋根の古風な唐門。
 その重厚さに、気持ちとフトコロを圧倒されて立ち尽くす徳子にかまわず、美奈子は門の横にある勝手口の扉に手をかける。
 徳子は、門の中央に立てかけてある立て札に気がつき、美奈子に言った。
「あっ、見て見て美奈子ちゃん、今日は臨時休業みたいよ。ホラ、ここに書いてある。帰ろ帰ろ」
「はぁ、そんなことだろうと思ったわ」
 動揺している徳子を尻目に、美奈子は勝手口をまたいでさっさと中に入ってしまった。徳子も急いで続くと、白い碁石を敷き詰めたような庭があり、ところどころに飛び石が置いてある。その上を美奈子はコツコツと靴を鳴らして歩いてゆく。
 徳子は美奈子から離れないよう、キョロキョロとあたりを見回しつつ進む。
 正面にライトアップされた大きな池があり、錦鯉が悠々と泳いでいる。池の横には樹齢数百年と思われる枝垂桜の新緑に、桃色の照明が向けられていて、まるで季節を違えて満開になった桜を見ているようだった。
「臨時休業なのにライトアップするのね……」
「せっかくのひとときだもの」
「どーゆー意味?」
 美奈子の謎多き態度の連続に、徳子が耐え切れなくなった頃、二人は由緒ある古刹を思わせる建物の前に到着していた。

 そこには、料理人とおぼしき白衣の人たちや、和服の女性らが玄関へ続く飛び石の両側にズラリと並び、二人を注視している。
「うわ…… みっ美奈子ちゃん帰ろ、やっぱ帰ろう?」
 後ろから袖を引いても、美奈子が動じる気配はない。
 美奈子は呆れたように、ボソリと言う。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、お嬢様!」
 その返事は一糸乱れぬハーモニーのようだった。それを合図に、一人の上品な和服の女性が玄関の格子戸をカラリとあけた。
(このお店の女将さんかしら?)
「おかえり、美奈子」
「お母さん、ただいま」
 その短いやりとりで全てを察した徳子は、思わず不動の姿勢になった。
「こんばんは…… わたし、美奈子ちゃんの同僚で、宮島のり……」
「みっ美奈子『ちゃん』!」
 挨拶の途中で美奈子の母親は感嘆し、周囲の使用人らしき集団からは。おおっ、と声があがる。
 美奈子が改めて、紹介する。
「友人の宮島徳子ちゃん。会社の同僚だけど、女子高のクラスメイトでもあるのよ」
「ゆ、友人と言ったわね、今」
 母親はヨロヨロと徳子の前に来ると、しげしげと顔を見つめる。
「徳子さん、娘を末永くよろしくお願いしますね」
「末永く?」
「ほら、みんなもおっしゃい!」
「お嬢様をよろしくお願いいたしますっ!」
 使用人たちは声を揃える。女将の命令は絶対らしい、と徳子は思った。

「お母さん、もういいから。それに一室だけとっておいてって言ったのに、なんで休業にしちゃうワケ?」
「だってお友達連れてくるって言うから、お母さん気が動転しちゃって……」
「大事な予約入ってたんじゃないの?」
「大丈夫よ、官房長官と財務大臣の予約だけだったから、お断りの連絡いれておきました」
「財務大臣? 物価高が加速したらどうするのよ」
「あのう、わたしやっぱり……」
「いえいえいえっ! とっておきの料理を用意してお待ちしてましたのよ。ささ、こちらへ。さあ」
 徳子は愛想笑いを返して後ろを振り向くと、すでに使用人たちが帰り道を塞いでいる。
(入るしかなさそうね)

 玄関で靴を脱ぎつつ、美奈子に友人が出来なかった理由の一つに、この出来事を加えなければならないと思う徳子であった。


『繚乱コスモス』(5)に続く

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