【いとしさとせつなさと素朴な心と】みちのくいとしい仏たち 東京ステーションギャラリー
今回は次男がどこかでチラシを入手し「コレ、なんかかわいいから見たい」と言われていたので、行ってみようということになった。
長男はサッカーの試合だったので次男と二人で行く予定だったが、天候不良で試合は延期。お出かけ先で外食にありつけるかも?という下心も見えつつ「オレも!」となり「では僕も」と夫も一緒に行くことになった。
結局、家族総出で東京駅へ。
今回の趣旨はこちら。
場内、撮影禁止なので実物の画像を交えてお話することはできないが
まぁー揃いも揃えた130点の素朴仏。
個性的で、どことなくアフリカ、ポリネシアにルーツを感じるような気がしなくもない木の仏たち。信仰、祈り。根本にあるもの、根底に流れるものは案外近いのかもしれないな、なんて思った。
前半は仏像のかわいさ、素朴さ、朴訥さのなど親しみやすいわかり易さが強調されて、みなニコニコ眺めている。
かわいさ、の要素の一つに頭の大きさがあるかと思う。
頭身のバランス、頭がやや大きいと幼児性というかかわいさの感覚に繋がる。子どもの姿を描く際は、頭をやや大きめに描くように。
この頭の大きさ、頭身のバランスが東京国立博物館・法隆寺館にある仏像群に似ている気がしたのだ。飛鳥時代の仏像は他の時代とちょっと違いなんとなく漫画チックなのだ。おそらくこれも頭身、プロポーションの問題かと。
あとは大陸からの流れを汲んでいるかとかまぁ要素は色々あるだろう。
会場の解説に聖徳太子信仰もあった話が出ていたので、法隆寺の流れを考えると当たらずといえども遠からず、だろうか。
会場はユニークな解説でうまく構成されていて、子ども達もニコニコしながら読んでいた。
時に同じポーズをとっていたり。鬼の子(邪鬼)の像なんて本当、子どもみたいだった。
ピースしている鬼がいて他にも来ていたお子さんたちにも好評でしたね。
みんなクスクスしていた。
そんなこんなで和やかに展示が進む。
が、最終章の解説を読んだ小6長男、泣く。
「母さん、オレもうこの文章だめだぁ」
っとパーカーの袖口で目をゴシゴシ。
おいおいおいおいー!大丈夫かー?!
あなたが泣き虫なのは百も承知だけども(試合中もよく泣く)。
いや、でも、わかる。わかるよ。
私も鼻にスンときたもの。多分、近い気持ち。
何が書いてあったのかというと、
ここまでかわいいや素朴的なことを紹介してきたが、結局は祈りの対象なわけで祈りの向こう側には切なさが詰まっているのだ
というような内容がとても心に迫る素敵な文章で記してあった。
東北を襲う飢饉や厳しい冬、年貢の取り立て、それに翻弄されてきた人々が一抹の望みを、救いを求めてつたない表現だが一生懸命、木を彫り削り作り上げ、大切に大切に祈ってきた。
そういう仏たちなのだよ、ということだ。
最後は涙だったが、それでも清々しい気持ちになって見終える事ができる展示だった。
「最後の文章は手元に置きたいね」ということを長男と話し今回は図録も購入した。
編集者には学芸員さんの名前も幾人か掲載されていたが、どの方があの文章を書いたのだろうか。もうすぐ12歳になろうとしている男児にもしっかり伝わっていますよ、と伝えたいものだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?