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【未知に対する過剰な期待との葛藤】すべて未知の世界へーGUTAI 分化と統合 国立国際美術館編

国立国際美術館側の展示は「統合」。

大阪中之島美術館から次の会場へ移動しようにも土地勘がないからわからない。
あれ?見える位置に国立国際美術館があるはずなのにな?とキョロキョロしつつ
聞いたほうが早い、と中之島美術館の方へ国立国際美術館の場所を聞く。
「あ、はい、隣の骨組みのところです(関西弁にて)」
あれか…!予備知識がなく外観を頭に入れてなかったなとおもったけれど、そもそも外観の存在しない美術館だった。

なぜなら地下だから。

オーストラリアのオペラハウス、が骨組みだけになったようなトラス前に「国立国際美術館」の文字が。ここか…場所がわからない美術館の建物って人生で初だった。

入り口がわかりにくく、さらに館名表記が暗い…
何かを訪ねている人がいる。



それでもエレベーターで下っていくと真っ先に目に入ったのは高松次郎さんの影!!!

これにはテンション上がった。
一番最初に見えてくる、高松さんの影。


ここでボルテージが上がってしまいつつ、いや具体の展示を見に来たのだ、と入場。

【絵画から始まった具体の流れを統合して見せる】

こちらは絵画中心。
といえど、立体もちらほらと。
今回、2館を通して元永定正(通称モーやん)氏の作品が多数見れたのは良かった。

モーやん!
水、入ってる。

絵画だけでなく、水を使った立体作品も、良い。
このモーやん、実は10月に三重県立美術館で生誕100年展を見ていたのだ。三重県立美術館では柳原義達さんに浮かれていたが、じつはこのモーやんの展示も良かったのです。しかし何も知らずに見ていて。
ライブペインティングの映像を流しながら、目の前にその時の制作物を展示してあり、見比べながら見る、これが非常に面白かった。
頭の片隅に具体所属作家というのはあったけれど、この展示でも多数みることができた。
先日の三重県は思わぬ伏線だったのだな。。。

【ちょっと気になった事】

どちらの館を先にみるか、で捉え方がかわりそうな話だが、作者のインタビューの一文を切り出し、キャプションの様に作品脇に添えてある。しかしよくよく読むと2館同文なものがあり、ちょっとあれ?っと思ってしまった。
各館の解釈や捉え方が知れるのかな、と思ったがそういうわけではないらしい。
そこはもう一歩踏み込んで欲しいとも思う。インタビューキャプションのない作家もいるわけで、わざわざ同じものを張り出さなくても、、と。
しかし同時開催だが、2館行かない人もいるから仕方ないことなのかもしれませんが。 

そしてこれは建物の造りのせいなのか、動線が分かりにくい。会場を作った人も悩んだのかな、と感じた。
撮影OKな場所もあるがやはりこれも分かりにくかった。このエリアはOKという書き方をしているが、自分が今どこに居るのかもわからなくなっているしちょっと不親切な部分ではある。
でも撮影なんか、本来しなくてもよいのだからな。じっくり見ることに専念しろということだ。

木目の床は足に優しく良い質感だなぁと思うが所々の施設の古さが気になりつつ。来年度改修も入るのは納得である。

【核となるのは芦屋市美術館の品】

企画展だからかもしれないが、国立国際所蔵品より貸し出し品が多い気がする。
(芦屋市美術館のものが多い。中之島美術館側は所蔵品からも点数が出ていたので鑑賞しながら違和感を感じてなかった)
あれ?これ見たことあるな、と持ったらだいたい東京都現代美術館所蔵。
まぁそうだよね。
旅先で思わぬ知り合いに出くわした気分でこれはこれでなんか楽しかった。
違う展示空間に置かれる、というのも面白い、というか。

【コレクション展はなし】

国立国際はこの具体展の期間中はコレクション展はしない、という方向をとっているが、具体展に作品をたくさん出しているから、ではなく単純にスペースの問題なのかもしれない。
でも、いつもコレクション展を見ている人にとっては企画展だからこそ違う館の持ち物を見れるからおトクなわけで。。。完全によそ者の人間がその館ならではの所蔵品に会いたいのならば、常設展が行われている時期に来なければなるまい。

とここまで書いたが、、、
毎度渾身の企画展を行いながら、数の多い常設展示をものすごい勢いで年に数回並べ替え、毎回キャプションも変え、企画展チケット代金で常設も入場できる、手ぐすね引いて待ち構えている東京国立近代美術館があらためてとんでもないことしてるんだな、ということ実感してしまった。

具体の作品を見に来たのだが、ちょっと思考がずれてた。でもそのズレが起きた場だったことがやや残念ではある。


回ります
グルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグルグル



自分の期待値の調整と初めて行く場所は難しい。
期待というのは自分の勝手な妄想であるわけだから、目の前の出来事を素の状態で受け止める自分の力量が乏しかったのだなと反省点が見えた。
この文章を書きながら。

国立国際美術館、コレクション展開催時などにもう一度行きたいと思う。

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