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「もっと厳しく!」卒業式練習の思い出

こんにちは。麦原です。
教員時代、国語科の主任をしていたので
卒業式でよくある「呼びかけ」を担当することが多くありました。
「シュプレヒコール」なんていう方もいる、あれですね。

「そして迎えた…卒業の日!」などと子どもたちが役割分担して言い合うものです。
とても素敵な場面ですし、そんな場面の指導を担当できることを嬉しく思っていました。

子どもたちそれぞれが小学校生活を振り返って感謝をし、
これからに希望が持てるようなきっかけになってほしい・・・

「言わされている」のではなく、子どもたちが「言いたい!伝えたい!」と思いながら取り組めるように
練習をしていきたいなと考えていました。

声が小さくても大きくても
揃っていてもずれていても
一生懸命な気持ちや真剣な気持ちで臨んでいればいい
、と考えていました。

だから体育館での全体練習でも
「間違えても大丈夫。忘れちゃったら、隣同士で助け合ったりその場で考えたり…自分なりに考えたらきっと大丈夫だよ。」と伝えました。
子どもたちは私の言葉をよく聞いて理解してくれました。

自分の担当した文章の内容を考えて、場面を想像して
読み方を工夫する子もいました。
「先生、ここ少し変えてもいいですか?」と文章を自分なりに考えてくれる子もいました。
場面緘黙の子がいましたが、特に決めていなくても友達同士でやりとりをして仲良しの子が声を出してくれていました。(その子自身も口を動かしていました)

自分たちで取り組むその姿勢が素晴らしいなと心から思いましたし、
何よりおだやかに練習が進められてよかったと安心しました。

毎年、卒業式練習での先生方の厳しい指導にハラハラしていたので
自分が担当になったら絶対にそうはしたくないと思っていたんです。

しかしその後の職員室で
先輩の先生方からたくさんの注意をもらってしまいました。

「もっと声を出させないと。去年の半分も出ていないよ。」
「麦原先生は優しすぎる。もっと厳しくしないと。」

…しょんぼりしてしまいました。

さっきの子どもたちの姿は先生たちの目にどう映っていたのだろう…。
私は「自分がおかしいのかな?」と心配になりました。

先生方はきっと子どもたちのことをとても大切に思っていて、一生に一度の卒業式を立派なものにしたいと思っているのです。
「良かれと思って」厳しい指導をされている。
その気持ちは私にも理解できます。

そのことが分かるからこそ、私は何も言い返せませんでした。
でも、だからといって
大切な子どもたちに「そんなんじゃだめだよ」とか「もう一度!きこえない!」などと言うことはやりたくない・・・。
何より大切な子どもたちに「厳しく!」することが嫌だったんです。

場面緘黙でありながらも、健気に取り組む子もいます。
声を出すことが恥ずかしいけれど頑張っている子もいます。
同じ場にじっとしているのが苦手だけれど、なんとか耐えてくれている子もいます。

子どもたちの背景を考えると、大勢の前で注意することや厳しい雰囲気で練習を進めることが
プラスになるとは思えないのでした。

もしかしたら厳しくしたほうが練習はてきぱき進んで
子どもたちの声は大きくなって
見栄えの良い式になるのかもしれません。
その結果、「がんばった!」と達成感を得る子どもたちもいると思います。

でも、みんながそうでないならば…
一人でも「卒業式の練習が苦痛だった、傷ついた」と感じるなら
私はそうすべきでないという考えでした。

…やっぱり甘いのかもしれませんね。
文章を書いていて自分でもそう思います。
でも私は自分の考えが正しいと、生意気ながら思っていたので
先輩の先生たちからの小言をヘラヘラとかわし
「できない教員」を演じながら(実際そうだったのですが…笑)
なんとか卒業式練習を進めました。

立派に頑張ってくれた子どもたちや
私のためにと思って指導してくれた先生方に
感謝してもしきれません。

SNSで「卒業式の練習が怖かった」という投稿をいくつか拝見したので
私の経験を残しておきたいなと思い、書いてみました。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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