生きること、学ぶこと

(問い)レトリカルな学びとは?


 
日本人にとって、レトリカルな学びはあまり聞きなれないものです。欧米では他者とのコミュニケーションを図るための基礎的なもので、学校で学びます。レトリカルは、私たちの日常にある思考や行動のこととも言えます。「歎異抄」では善人と思っている人、自らを罪深いと思っている人、自力を捨てよというが、キリスト者の社会の中心にはすでに罪人がいます。欧米人には常に晶化(crystallization)の精神があるのです。つまり、レトリカルな態度が存在します。
 
BYU(米国)のwriting授業担当のOstenson先生へのインタビューから、米国で学ぶレトリカルシンキング・ライティングについて考えてみます。
 

(問い)レトリカルシンキング・ライティングをなぜ、どのように大学で学ぶのか?
 


BYUの学生の100%が履修します。ライティングはとても関心が高い。批判的に考えることができるか、批判的に読むことができるか、批判的に書くことができるかが社会に出る前の最後の仕上げです。
 
ライティング150で学ぶことは、まず基本的なグリークレタリックや文章についてであるが、その前にどのように読み取るかということを学びます。批判的な読み取りやクリティカルシンキングです。さらに、どのように書いていくのかを学ぶ。オーディエンスは誰なのか。どういう目的でこの文章を書くのか。主張する根拠は入っているか。そして論理的な展開はできているか。コンフロンテーション(対立)しているのは何かなど。
 
ライティングはひとつのプロセスです。つまり、まず考える、アイデアを創造する、デザインする、書いたものを書き直す。オーディエンスを考えることがまず基本です。よいライティングというのは多くの経験が必要とされます。経験が豊かでないとよい書き手にはなれません。ピアニストや演奏家は専門スキルだけでなく人間としての学びが表現されているのです。だからライティングもいろいろな分野のことを学ばなければなりません。そこで専門的な分野のライティングもやっています。数学コース、法律コース、経済コースなどのライティングです。ライティングをインテグレイトしていきます。ライティングの目的はあくまでも学習としてのライティングです。到達目標として、批判的読解力、批判的シンキング力、リソースの集め方や使い方、図書館の利用の仕方などへの挑戦もしています。ここ数年、米国ではファイクニュースやプロパガンダをはじめ混乱した情報が社会問題になっています。だからこそ、このライティングでは正しい情報かどうかをどのようにして判断するのか、そして自分の判断をどのように行うのかということを学ぶこと(教えること)に責任があります。勿論、文法や修辞法やアレゴリーなど基本的なものも学びます。
 
アドバンスト(専門学部)では学生は普通5-6つのコースを受講します。半分は、英語学部で行い、半分は各学部の教師が行います。Technical writing (engineering scientist), Artist writing, Humanities writing, Generic writing, Social science writing, Sociology writing, Phycology writing等。
 
さらに、これらとは別に各学部でもアドバンストライティングクラスを持っています。例えばビジネススクールではいろいろなビジネスライティングクラスがあります。つまりBYUではジュニアにせよシニアにせよ、これからのメジャー学習に向けてそして社会で働くために、その学生が必要としている、より専門的なライティングスキルを学ぶ環境を提供しています。
 
ライティングは書くことの基本を学ぶのですが、究極の狙いは社会に出てから、それぞれの分野で活動できるような考え方を、ライティングを通じて学ぶことだと考えています。レトリカルな生き方ができるためです。
 
例えば、テクニカルライティングの授業ではこんなこともやります。ある企業が困難な局面に直面したとします。その時にあなたはどのようにその状況を分析して、解決策を考え、それをトップに諮問する文章を書くのかという、現実的でかつ難しいテーマにも取り組みます。
 
例えばヒューマニティーズティーズクラスでは、ヒューマニティのことについて徹底的に話し合います。そのことがとても大切なのです。その議論の結果、自分の考えが自然と文章に表現されてきます。例えばジェネリッククラスでは、ダンサーやアーティストやグラフィックデザイナーになる学生が参加します。彼らには、その専門家としてのライティングの素養が必要になります。とても面白いのですが、ダンサーはダンサーとしての特有な個性ある視点でモノを考えて表現します。その思考の中でモノを書くことに共通の目標をも学んでいくのです。
 

(問い)レトリカルな学びとは? 「Mindful Writing」by Brian Jackson



rhetoricalというのは日常的ということです。genre (シーン)、rhetor(自分)audience(他者)、purpose(目的)、exigence(迫り来るもの、動機)の5つのことを即時に考えます。つまり他者にどのようにして共感を覚えてもらうのかを考えます。
 
このための戦略が、
Argument(logos),Character(ethos),Emotion(pathos)およびStyleです。
Argumentは、an act of critical thinkingです。つまり論点(point of issue)です。Deweyの定義です。“active, persistent, and careful consideration of any belief or supposed term of knowledge in the light of the ground that support it, and the further conclusion which it tends.” この中身は、Claim(assertion)とReasonである。主張とその理由を述べる裏には、仮説があります。ここでも想像力が重要になってきます。Reasonは必ずしも事実の証明ではありません。しかし、理由がなければ議論にはなりません。
 
Just give me a reason-just claim is not enough. (日本人の弱いところです)
だから、Why? So what? を使います。
 
どのようにしてClaimを作るのか?
それには大きな問いを考えることです。
(1)  What exists? What world we create? 本質的なものを考える
(2)  What is good? 価値を生み出すことついて考える
(3)  What should we do? 社会性について考える
 
さらに自分のargumentが効果的なものであるかどうかを考える。
自分にとってではなく、他者にとってである。
(1)  自分の理由ついて問いを立てる。他者は共感を持ってくれるか?
(2)  自分の立てた仮説は正しいのか?
(3)  もう一つはif notを考える。Coming up with counter claim
 
レトリカルな考え方は学びの基本、他者の存在に常に思いを至ることです。
私たちの日常はたくさんCCCCCCCC (Claim)とRRRRRRR(Reason)とAAAAAAAA (Assumption)が存在します。
 
こういう鍛錬を受けてきた人たちとコミュニケーションをすることを考えると日本でもレトリカルな学びを学校教育でやってはどうかと思いますがいかがでしょうか??


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