生きること、学ぶこと


(問い)空から見えたものは?


まだ日が昇って間もない。すでに遠くからブルブルという音が響いてくる。利根川沿いの農地を借り受けて、パラプレーン専用の飛行場がある。彼がパラプレーンに出会ったのはアメリカのニュージャージーで学生生活を終え、ニューヨークで働いていたころであろう。開発者であるドイツ系アメリカ人の工房へ訪ねて初めてみる軽飛行機に圧倒された。アメリカ人がこんなにも器用に手作りで物をつくるのを初めて知ったのである。

金沢の浅野川の山むこうに育ったので自然に囲まれて過ごすとホッとする。ニューヨークの喧騒とした中で1日を過ごすとどこかに疲労が貯まるのである。

パラプレーンがディズニーワールド採用され、ミッキーマウスが乗り人気が出ると、日産自動車と本田技研が、日本へのライセンスを得ようとアプローチしてきたが、彼の熱意は上回った。ニュージャージーの飛行場での運行と日本へのライセンスを得て帰国する。父親は金沢でバス・タクシーを経営し、観光事業へも足掛かりを探していたので、父の夢をも乗せて起業をする。

日本の法律は厳しい。特に交通法規は新しい交通には多重な制約がある。世界で普及したセグウエイも遂に公道では乗れなかった。霞ヶ関通いにも疲れ果てる。しかし、彼にはあのニュージャージーで決めた夢がある。それが実現できなければなんのために生きているのかと思う。しかし道のりは遠い。認可が降りても、専用飛行場の建設、指導パイロットの育成、会員の募集など。彼は心身共に衰弱し、病になるが諦めない。

利根川沿を翔ぶ彼の笑顔をみたとき、彼の持つ内的な核心は何であったのかをふと考えた。
知盛の「見るべきほどのことは見つ」という心境であったのだろう。彼が天国に召されてもう幾年経つか。


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