生きること、学ぶこと


(問い)建築に何が可能か?



 
 
湯島にある文化庁国立近現代建築資料館で原広司の展示会を観る。
 
「建築に何が可能か? ―有孔体と浮遊の思想―」というタイトルで、原広司の内奥にある核心が重く響いてくる内容であった。館内に入ると、正面のスクリーンで原広司が一つひとつ言葉を探すように、訥々として話している。そこに惹きつけられて、繰り返し聞く。原は、建築は言葉を失っていて、このままでは消えてしまうと考えているので、全ての言葉に定義を与えていく。その言葉が未来の建築を生む。
 
建築は生きている空間のシンボルであり、外界から切り離されて閉ざされては死の空間になってしまう。窒息してしまうのである。有孔体でなければならない。窓やドアという孔を通じて全体としての秩序を形成する。集落調査から学んだ原点である。
 
「建築に何が可能か」で有孔論を書き、「均質空間論」で部分と全体の秩序を書き、そして20年かかり「機能から様相」と言う<様相>なる言葉に到達するのである。建築は「もの」ではなく、「出来ごと」であるゆえに、連結し、分離し、交通していくのである。
 
伊那谷に育った原はやがて世界の集落の調査に身を任せる。権威のある古典的建築の研究ではなく、世界の僻地にあるアノニマスな集落に興味を持った。伊那谷で日々見てきた情景とも繋がっていたのだろう。いくつももの集落を観察する中で、どの集落にも共通していることと違うものが必ずあるという気づきである。「集落への旅」
 
「私たちは、対象としての自然、あるいはフィジカルな身体に作用する原因としての自然のみを見てはならない。対象や原因は、私たち自身の内部にもある。自然のなかに私がいる場面、その情景をとらえ、そこにおいて対応している私の意識のなかにこそ自然がある。身体には皮膚という幾何学的な境界があるが、意識にはさだかな境界がない。とはいえ、間主観・共同主観なるものが存在する。大切なのは、建物を設計していくなかで、
現場に入り込むことで、この実態を構想から実現へとつくりあげていくことではないか。」(「空間<機能から様相へ>」)
 
今の建築は建てる前に全体が規定されている。ひとつ屋根の下にさまざまな店が所狭し、と並んでいるメキシコの散村、住宅に都市が埋蔵するようなものとは違う。これは大勢の下に個人が管理されるという社会理念に呼応している、と言う。
 
これまでの代表的な設計図が展示されていた。1973年建築の原邸は、まさに住宅に都市が埋蔵しているディスクリート・トポロジーの構造である。JR京都駅ビルのあの大胆な内部空間をどのように構想したのか。大江健三郎の故郷の内子町立大瀬中学校は集落研究の多層構造とどこまでもつながる横への有孔空間が印象的である。
 
展示会室を出て、普通の木造建物の自宅のこと、暮らしのことを考えてみた。居間とか食堂とか寝室という仕切られた空間に暮らしていることが間違いであろう。有孔体と浮遊のなかで暮らすのが自然に反しないものである。都市が埋蔵されているか。原広司の言葉は次々と襲いかかるのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?