生きること、学ぶこと


(問い)芥川龍之介が見た上海のアッカンサスとは?


芥川龍之介が、1921年に4ヶ月、中国をして書いた紀行文が「上海游紀」です。朝日新聞の天声人語は、舞台になぜ天声人語の文字が大きく掛かっていたか気になったのですね。私は、むしろ、欄間に薔薇とアッカンサスの花の方が気になりました。

芥川は、上海、南京、長沙、洛陽、天津まで行っています。どうでもいいことですが、私が初めて中国に行ったのは、60年後の1982年です。その当時でも大変でした。南京から上海へ汽車でした。外国人は特別車両でしたが、一般の人は布団を持ち込んで窓から出入りしていました。毛沢東の故郷の長沙では、大勢が駅で歓迎してくれたのを覚えています。
外国人が珍しかったのですね。その後の中国の変化はご承知のとおりです。

さて、芥川の入った劇場は、3階建ての天せい舞台というところです。レンガの床に、籐椅子です。客席には茶や菓子を売りに来て、客席はザワザワしています。天声人語どころではないのです。役者はただ煩く叫ぶのです。

中国の舞台は道具を使わない中で、欄間の漆喰の薔薇とアッカンサスと天声人語の文字が目にとまります。アッカンサスは古代建築の外装の装飾デザインに使われました。本郷の旧岩崎邸はアッカンサス邸とも呼称されています。


n

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?