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善人百年…「善良な人物が国を治めて百年にもなれば、残忍な人をおさえ死刑のような極刑をなくすことができる」

子(し)曰(のたま)わく、善人(ぜんにん)、邦(くに)を爲(おさ)むること百年、亦(また)以(もっ)て殘(ざん)に勝(か)ちて殺を去るべしと。誠(まこと)なるかな、是(こ)の言(げん)や。
(子路第十三、仮名論語一八七頁)
先師が言われた。「古の諺に『善良な人物が国を治めて百年にもなれば、残忍な人をおさえ死刑のような極刑をなくすことができる』とあるが、この言葉は本当だ」

死の商人はいざ知らず、地球上の誰もが戦争のない未来を願っているにもかかわらず、二十一世紀になっても未だ戦争は絶えない。
何故なのであろう…

米国の霊長類行動生態学者リチャード・ランガム(一九四八年~)は、
ホモ・サピエンスが美徳と暴力の矛盾した本質をもつ生き物であると捉えた。

人間は本来的に善であり悪であると言う。
「人間の天使のような性質と、悪魔のような性質の進化は、言語で可能になった高度な意図の共有から生じた」

ホモ・サピエンスは言語という比類ないコミュニケーション能力によって集団内部の協調性や道徳性を高めたが、
その反面、集団外部に対しては比類なく矛盾した攻撃性をもたらした。
その代表的な形態が戦争で、政治的リーダーシップのある社会で勃発する。

「私たちはときに協調を価値ある目標と考えるが、道徳と同じく、それは善にも悪にもなりうる」(『善と悪のパラドックス』より)

ランガムの洞察の上に立って歴史を視ると、確かに政治のリーダーシップにおいて、自国の諸問題を敵の存在を捏造、発明に転化する例を幾つか挙げることができる。

A・ヒトラーは、ユダヤ人を絶滅すべきか否かを問われて、
「いや、そうとすれば、また我々はユダヤ人を発明しなければならないであろう。我々はただ単に抽象的な敵ではなく、手に触れることのできる敵をもつことが必要不可欠なのだ」(H・ラウシュニング著『ヒトラーは語る』より)と答えた。

F・ルーズベルト大統領がW・チャーチル首相に「原爆が完成したら、熟考の上で、恐らく日本人に使われる」(『ハイドパーク覚書』より)と話したのも具体的な敵の発明であろう。

スターリンの大粛清も毛沢東の文化大革命もまた然りである。

政治思想史学者の丸山眞男(一九一四年~一九九六年)は言う。
「人智の進歩が政治をヒューマナイズするというのがかつての啓蒙哲学者の確信であった。ところがヒロシマとアウシュヴィツを経験した現代においては、文明は政治を人間化するよりも、むしろ非人間化するのではないかという危惧が知的世界の通念になろうとしている」(『人間と政治』より)

丸山眞男やランガムの視点では、我々の未来はディストピアかもしれない。

私達は、孔子が言われた
「古い諺に『善良な人物が国を治めると、百年という長い歳月がかかるかも知れないが、残忍な人をおさえ死刑のような極刑もなくなる』とあるが、これはいつわりなきまことの言葉である」(子路篇)
という章句を信じたい。

孔子自らも戦争が打ち続く時代に生き、
それでも戦争のない未来が必ず来ると信じておられた。
そのような未来を実現できる、できなければならないという
孔子の信念が伝わってくる。

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