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脳出血(*_*)でも、歩く、笑う、私は元気②

6月19日(行く日)、80(晴れ)の日、私はリハビリ病院を退院した。
1月24日から数えたら何日目になるのか計算してみたら、147日目だった。「いーよーなー。」うん?誰だ、それ言ってるのは。隣の空間にいた、Hさんかも。6月13日に退院日が決まってから、Hさんにどう言おうか困っていた。彼女は私の隣の場所に来た日から、病院にいることに納得できていない感じはしていた。91歳、脳梗塞と自分で説明できるくらい頭はしっかりしている。杖はついているが、私よりもふらつきがなく歩ける。家族がご本人の様子がいつもと違うと訴えて急性期病院に連れてきて、1週間入院した後でこの病院に転院したらしい。急性期病院では個室にいたと話している。

とにかく頭がしっかりしているし症状も軽いのだが、年齢を考慮してか、少し場所を動くだけでナースコールを押す必要がある。時々私の名前を呼んで、コップ取ってとか、何か落としてしまったどうしようとか、私をスタッフと勘違いしたふりをするが、「次はこのボタンを押して看護師さんを呼んでね。」と言うと「あらあら、ごめんなさい、そうだったわね。」と言ってしばらくは、ちゃんとそうしてくれる。しかし、この病院に来た主目的であるリハビリに文句言い放題なのだ。その言葉の裏に「家に帰りたい。」という気持ちがにじみ出ている。しかも、その家は、病院から見えるほどすぐご近所なのだ。

スタッフが、Hさんのことで私に負担がかかっている事は理解してくれているが、たぶんHさんの方が一枚上だ。誰もいない時を見計らって、言葉巧みに私を彼女の空間に入れて、病院への不満を言う。ひっかかる私もダメな人だ。退院の3日前、思い切ってHさんに私がもうすぐ退院することを告げた。「さみしいなるねえ。」そう言ってHさんは顔を下に向けた。またそれを見て必死で励ます私は、ダメダメダメ子さんだ。ただその後は、少し楽になった。カーテンを閉めて「荷物片づけてるから、お構いできなくてごめんなさい。」と言うと、話しかけてくる回数が激減した。

その後、Hさんの様子がおかしくなった。食事もほとんど残す。リハビリのせいで足が痛くなったと怒ったりしていた。それに、夜中のポータブルトイレの撤去の時間が早すぎたと言ってスタッフに激怒したようだ。朝食中に私の名前(に、似ているが少し間違えている、訂正はしない)を呼んで、聞いてちょうだいと言ってから、自分が激怒した様子を私にしっかり話す。

退院前日には、車椅子に座っていた。看護師さんが、リハビリ中に膝折れしたから危ないのでHさんをスタッフによる車椅子移動にしたという。内心、それがリハビリ中でなく、部屋の中で起きていたらと思うと怖かった。Hさんがスタッフの見守りを呼ばないまま私の方に勝手によろよろと歩いて来るので、私がとっさに見守りの態勢をとってしまって自分がこけそうになることがあると、数日前にスタッフに伝えていたのだ。

退院当日の朝食。Hさんが来てから、仕切り板から話しかけられたり、こっち来てと呼ばれたりで、ゆっくり食事ができなかった。最後ぐらいゆっくり食べたいと思っていたのに、看護助手さんが何を勘違いしたか、勝手に両方のカーテンをガバっと開けて、最後だからゆっくりお話してね、と言って、去っていった。ああ、最後までお相手するのか。案の定、私が楽しい時を過ごした病院の悪口をたっぷり聞きながらの最後の朝食となった。
最後のご奉公の後、下膳に来た看護助手さんが「R(私の名前)さんがいなくなるとさみしくなるわ。」と言うので、私の方は「私、そのうち同じ制服着て働きたい、て言って来るかもよ。」と少し嫌味な気持ちを込めて返した。

看護助手さんは、下膳のついでにHさんを洗面台に連れて行くことが多い。
療法士さんたちが朝食後にご挨拶に来て下さることを前日から聞いていたので、今日だけは私が先に歯磨きを済ませておかなければと思い、Hさんの空間に顔を出して、「先に洗面台を使わせてもらっていいですか?」と聞くと、Hさんは、ニコッと笑って「どうぞ、どうぞ。いつも気を遣ってくれてありがとね。」と言ってくれた。

Hさんの依存に困りながらも、やっぱり私は父の顔とそっくりなHさんのことが好きだし、心配でたまらない。
私が退院して1時間後には、順番待ちしていた別の患者さんが私のいた空間に入院してくるという。私がいる間、ずっと平和だったこの大部屋。余計なお世話だが、私がいなくなってもずっと平和であってほしい。

退院の数日前、斜め前の空間にいるKさんがベッドの角度を上げ顔を起こして自分の空間に入ってくるよう、手招きするのが見えた。マスクを着けてその空間におじゃまして、「何かお困りですか?」と聞いてみた。Hさんが手招きする時にはいつも私に何かして欲しいと言うことなので、まるでスタッフのようにこんな言葉が出てしまう。Kさんは、仕切り板に金魚を飾るために私が飾りなおした、きれいに彩られた塗り絵を指さして「どれでも、気に入ったのがあったら持って帰ってちょうだい。」と言う。

私は、以前自分がデイルームで電話をかけた後、塗り絵をしているKさんを見つけて楽しくおしゃべりした日のことを思い出して、その時に目の前にあった、夏休みの風景の塗り絵を指さして「これいただいてもいいですか?」と言うと、Kさんはニコニコして「そんなのでよかったら。」と言ってくれた。その素敵な絵を手にして、楽しく話をした。初めて見かけたときに、白髪がないので70代かと思っていたが、白髪のない家系らしい。うらやましい。彼女は私より二回り上、つまり24歳年上のねずみ年生まれと教えてくれた。そして、三世代同居の家にねずみ三匹だ。自分、長男のお嫁さん、お孫さん。私がこの部屋の仲間入りをした時からいたKさんは、大人しい人と思っていたけど、とても明るいにぎやかな人だった。彼女は私が退院した3日後に退院する。私たちはねずみがチュウチュウ鳴くみたいに、楽しく、にぎやかに話をして別れを惜しんだ。

この部屋で一番頼りになったのは、Oさんだった。STさんが宿題として出してくれたプリントを一緒に解いたり、Oさんの作品を飾って楽しんだ。彼女は、私の左側に痛みがずっと続いていることを思いやってくれていた。私は夜になると左側の痛みが増す。ぱっと目が合った時に、「痛いのはどお?」と聞いてくれるだけで、気持ちが軽くなる。「痛い。痛いけどだいじょうぶ。」と答えて、痛みに耐えてきた。退院の日の早朝、Oさんはリボンで編まれた赤とピンクの二匹の金魚を私の手の上に載せてくれた。彼女と私。これからも荒波を泳いでいく。金魚は結構長生きなのだ。

朝食後一つ目のリハビリが始まるまでの間に、私を担当してくれた療法士さんたちが次々と挨拶に来て私に励ましの言葉をかけてくれた。一番早く来てくれたのは、22歳新卒の言語聴覚士(ST)さんだ。リハビリ大好きの私は、新人が初めて担当する患者として適していたのかもしれない。主担当のSTさんよりも回数が多かったような気がする。
最後のリハビリのプリントの裏に、彼のメッセージを見つけた。その中には「Rさんは僕の今後の言語聴覚士人生で忘れられない人」と書いてあった。どこかで聞いたセリフ。忘れない。前の病院で私の心を支え続けてくれた理学療法士(PT)さんの言葉。「一番印象に残る人」私のことをそう言ってくれた。彼は確か社会人になって10年以上の経験の中で私のことをそんな素晴らしい地位に就けてくれた。
退院前日、22歳のSTさんは私と誕生日が同じと教えてくれた。私たちは7月に入ってすぐに一つ歳を重ねるのだ。彼の言語聴覚士人生は始まったばかり。私を「忘れられない人」の第一号にしてくれた。
2つの病院でリハビリを受けて、私という存在を長く心に留めてくれる人がいる。私はなんて幸せなリハビリの日々を送ることができたのだろう。

一つ目のリハビリが終わった3人が次々と部屋に戻って来る。私は前日から用意してあった荷物をベッドの上にまとめてあり、台車を持ってきてもらうのを待つだけだ。
Hさんは、車椅子で戻ってきた。私の顔を見て、「さみしいなる。私はできないことばかりで、落ち込んでばかりで、あかんね。」と、また父とそっくりの顔で言われて、私は前と同じ技を使って励ます。「何言ってるの、Hさん。私が脳出血したときは、ぜーんぶ、なーんにもできなくて、寝たきりだったの。急にそうなったから、落ち込む暇なんてなかった。でもね、次の日から、リハビリの先生が来てくれて、いっぱい、いっぱいリハビリを楽しんで元気になって、お仕事もできるようになったから、退院になった。Hさんも、この病院でいっぱいリハビリを楽しんで元気になって、家族が待ってるおうちに帰りましょう。」Hさんは、大きくうなずいて、そして、「お互いがんばりまひょ。」と言ってあのかわいいガッツポーズを見せてくれた。あとの二人が、「ああ、今日もリハビリ楽しかったわ。」と言いながら入ってきたのは、このやり取りに気付いていたのかもしれない。
私が部屋を出るときに、Hさんは、自分のスマホの画面をじっと見ていた。それは、私が撮って保存して開け方を教えたOさんの作品。紫陽花が背景となったカエルだった。
Hさん、そのカエルみたいにぴょんと跳べるほど元気になっておうちにカエルのだよ。

退院して8日目の6月27日。1月24日から数えて155日目。「イーゴーゴー」の日。私はイー気分でゴーゴーと歩みを進めた。退院したら歩きたいと思っていた道。途中で猿に出会う可能性のある道。猿を見たら走って逃げる練習までさせてくれた、前の病院のPTさんを思い出す。「僕を猿と思って、逃げてみてください。」そう言って、どう見てもゴリラの格好をしてくれた。
「イーゴーゴー」の日まで、色々あった。Hさんに偉そうに言っておきながら、落ち込んで、落ち込んで、もう笑える日は来ないとまで思えた。
でも、今日は気持ちよく、楽しく、たくさん歩いて、笑った。心の底から笑った。私は元気。でこぼこ道も、坂道も、ぬかるんだ道もある。でも、こけないように気を付けて、これからも歩み続ける。




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