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脳出血(*_*)でも、1年1組リハビリ組③

前回、Hさんが歯磨きの後、ナースコールができずベッドに戻れなくて困ったお話を書いた。今回はその続きとなる。
大部屋で入院生活を送ったことのある人なら、だいたいの予想はできていると思う。そう、その通り。私はその日からHさんとの距離の取り方に苦労する日々を送ることになる。
Hさんが来てから3日目から、Hさんは少しでも困ると、いや、困らなくても私を呼ぶ。最初は「奥さん」と呼んでいたが、私が「奥さんだったら、誰を呼んでいるのか分からない時もあるでしょ、R(私の姓)さん、て呼んでね。」と、余計なことを言ってしまったので「Rさん」と呼び放題だ。
「ご飯こぼしてしまった。」「お茶を取ってほしいの。」だったら、最初だけ助けに行って、「次に困ったらこの目玉焼きで看護師さんを呼んでね。」と言えるが、「ちょっと来て。」と言われてベッドの前の椅子に座るように言われ、長々と家の事情(それもかなり恵まれている)を話された時は、どうやって席を立てばいいかとても困った。

多くの読者様は、そんな人放っておきなさい、あなたが甘やかすから相手は甘えるのよ、甘やかすのは相手のためにも良くないよ、と言いたくなるだろう。もう一人の私はそう言っている。でも、本体の方の私はそれができないのだ。代わりにナースコールを押したその日、ベッドに戻ったHさんの無事を確認しようとご本人の承諾のもとカーテンを開けると、そこには2年近く前に亡くなった父の顔とそっくりな小柄な老婦人がベッドにちょこんと座っていた。年齢をお聞きすると91歳。施設で暮らす母と同じ歳だ。前の病院で1週間入院してから急に別の病院に来て心細いと言う。脳梗塞とはっきり病名も言えるし、杖をついてゆっくり歩ける。家族が早く脳梗塞の兆候に気づいたので症状は軽いようだ。でも、転んでしまうと大変なので、家族が心配して病院でリハビリを受けるようにしたようだ。でも、御本人は優しい家族のもとに帰りたくて仕方ない。

Hさんは、夕方になると毎日家族や親戚に電話をかけて、その日にどんなことをしたのか報告している。本当は電話はデイルームでかける決まりになっているが、さすがに移動のたびにナースコールを押さなければならないHさんにルール守ってとは、言い辛い。

Hさんが来て4日目か5日目の夜、私はスタッフステーションにいた、イケメン(偶然、偶然)男性看護師の所に行った。「Hさんとの距離感が難しい。」と相談した。それまで彼女との間にあったことを話すと、彼はスタッフがするべきことを私にさせてしまい申し訳ないと謝って、私に負担をかけない方法をスタッフ皆で考えたいので、明日皆にこの話を共有してもいいですか、と言ってくれた。そして、「Rさん、ここのスタッフになったらどうですか?」と斜め45度の角度で言われて、私は、ほわーっとなり、「なります、なります、今すぐなってもいいですよ、その中入れて。」と言ってスタッフステーションに入る仕草をすると、彼も制止する仕草をして、「それは、お元気になられて退院されてからお願いします。」と言ってにっこり笑ってくれた。深刻な悩みを相談したのに、部屋に戻る時に、できないくせにスキップしたい気分だった。

それからは、我慢しないでリハビリの先生や看護師さんに、Hさんのことで困るたびに相談した。時々、スタッフの配慮不足で私がHさんを助けるしかない場面もあるが、そんな時も、私より先にスタッフに気が付いてほしいとお願いした。

Hさんは少しづつ変わってきた。困った時に私に言わずナースコールしてスタッフに困り事を言えるようになった。スタッフとHさんとの距離が近づいていったのだろう。

「私ら1年1組やな。」とHさんが言った日には、リハビリスタッフも看護師もHさんのリハビリへのやる気を引き出すいいチャンスと思っていたようだ。HさんやOさんがプリントに向かっていたりベッドや机にプリントを置いていると必ず声を掛ける。「わあ、花丸ついてる。がんばってるんだ。」「こんな難しいの私も解けないわよ。」
言語聴覚士さんの言うには、言語聴覚士のリハビリを嫌がる高齢患者が多いのだという。Hさんも最初は、こんなのしんどいだけ、と言っていたらしい。でも、Hさんもどうやら私と同じ負けず嫌いのようだ。「勉強がしたい」と言い、積極的にプリントをするようになった。

Hさんの私への依存は減ったが、なくなったわけではない。看護師やスタッフに聞きづらい事は、やはり「Rさん、ちょっと来てくれない。」と言って私を自分の前に座らせようとする。ある時は、「ねえ、看護師さんがね、わざわざお部屋まで食事持ってきてくれたり、おトイレまで連れて行ってお世話してくれているでしょ。皆さんは「これ」渡しているの?」と、親指と人差し指で丸を作って私に示した。出た。昭和の悪しき習慣。私は、病院でスタッフが患者のお世話をするのはお仕事でしていることだから、患者であるHさんは遠慮をする必要がない、と言ってから、お金を渡している人は誰もいない、でもスタッフは、皆に平等に接してお世話をしている、そのスタッフにお金を渡してしまうとスタッフは受け取ってはいけない決まりがあるから、とても困ってしまうのよ、とゆっくり説明した。そう言いつつ、あれ、私スタッフの仕事しちゃった、と心の中で思った。91歳とは思えないほどしっかりしたHさんは素直に私の話を聞いてくれて「あらそうだったの。それなら安心ね。」と言ってくれた。

私がHさんと話していて感じていた通り、Hさんは帰宅願望が強いということで、最初から注意を要する患者だったようだ。「家に帰ったら…なのに。」「こんな薄い味付けの食事食べられないわよ。」と、私を自分の部屋に引き込まない時でも、仕切りの向こうから病院への不満を言い続ける。「あー、リハビリなんてくたびれるだけ。こんなおばあさんつかまえて、足上げろとか手伸ばせとか、意味あるのかしら。」
病院でのリハビリを楽しみ、食事を毎回ぺろりと平らげる私は、聞いていて辛い。

相手が認知症と分かっている時には、何を言ってきても全て肯定している。自分の母親はほとんどしっかりしているが、年相応に、たまに認知症の症状を見せることがあり、急に誰かの悪口を言い出したり、何かを盗まれたと言う事がある。そんな時には、そうだね、困ったね、と言いながら話を聞いたり、物を探すふりをするうちに落ち着いて、またしっかりした母に戻ってくれる。
Hさんの様子を観察すると、私の母よりずっとしっかりしてる。私の言うこともすぐに理解するし、マナー違反は多々あるものの、電話したりイヤホン無しでラジオ付けたりの現場を看護師に見つかりそうになるとすぐにやめて隠すところなど、若い者よりも立ち回りが上手だ。仕切りの向こうの電話の内容も丸聞こえなのだが、リハビリ内容を正確に伝えて愚痴を言って、家の戸締りちゃんとしなさいと指示までしている。

私とOさんは、少しずつHさんに、リハビリは楽しいことを伝え始めた。私がリハビリを終える時にはいつも療法士さんに「今日も楽しかったです。ありがとうございました。」と言っているが、部屋に帰ってからも、「あー楽しかった。」とつぶやく。Oさんも同様に「リハビリは楽しいわ。今日は○○先生がこんなこと言ってたの。」と合わせてくれる。なんとなくHさんへの気持ちが同じなんだと分かる。Hさんは、「おたくら、いったい何してもろてんの。」と興味津々聞いてくるので、手をあげたり、足を上げたり、もんでもらったり、立ち座りしたり、と説明すると、同じことをHさんもしてもらっていると言う。そりゃあそうだ。この部屋で一番症状が軽いのはHさんだから、年齢が違ってもリハビリでやることは自分たちと大差ないことは予想できた。リハビリが楽しい、楽しいと言ってから、私は4か月前は左手足が全く動かなくて寝たきりだったのよ、と付け加えた。Hさんは私の上から下までじっと見て、「たいへんやったねえ、涙が出たやろ。」と言う。涙なんて流さなかった、そんな余裕などなかったと心の中でつぶやきながらも、「そうねえ、でも、今こうやって歩いているのは、リハビリをしてもらったおかげ。」と言うと、Oさんも、「私も、10日くらいずっと寝たきりだったのよ。寝たきりなのに、入院の次の日からリハビリの先生が来てくれて、少しづつ動けるようにしてくれた。」と言った。Hさんは、「人それぞれ苦労してはんのやね。私もがんばらな。皆さん、一緒に頑張りましょ。」上手にガッツポーズをする。やっぱりかわいい。ほっとけなくなる。

食事を嫌がるのも、同じ作戦でやってみた。Oさんがデイルームでの食事を終えて帰ってきた時に、たまたま私のお膳を下げに来てくれた人が「Rさん、今日もきれいに食べてくれたのね。」と言ってくれたので、「私はペロリ星人なんです。今日もペロリとおいしくいただきました。ごちそうさまでした。」と言ってみた。するとOさんはクスクス笑いながら、「本当、おいしいよね、ここの食事。」とつぶやいてくれた。リハビリと全く同じ展開だ。Hさんは、「なんでやろうねえ。私は薄うて口に合わんのよ。無理やり口に流し込んでるけど、こんなんで栄養ならんわ。」と言い出した。Oさんは、「無理はせんでいいんよ。食べれるだけ食べたらいいの。」と言ってくれたがHさんは納得できない様子。よし、ここで私のお涙ちょうだい作戦で行くか。「私はね、味が付いているだけで幸せ、おいしい、て思っちゃう。お腹から大出血した時に何日も絶食してから、やっと食事出たと思ったら、朝昼晩、全部味の付いてない重湯だけ。それが3日くらい続いて、少し味の付いたドロドロのおかずが出た時に、あーおいしい、て思った。味が付いてるのって幸せ。」二人の表情が変わった。二人とも眉毛が下がってしまっている。ありゃりゃ、効きすぎたかな。Oさんが、「普通にご飯が食べれるのは幸せね。」と言うと、Hさんも「私も、ありがたいと思ってがんばって食べるわ。」と言った。
その日以来、Hさんは食事の文句を言わなくなった。それどころか、好きなメニューの時には、「おいしいわあ。」と言ったり、「今日は完食したのよ。」と食事を楽しむようになった。何かこぼしてしまっても私に助けを求めず、お膳を下げてもらう時に自分で「ごめんなさい。こぼしてしまったので拭いてもらえますか。」と言って自分で解決できるようになっている。
どうやら、スタッフの間で私に負担をかけないように、声掛けししてくれているようだ。

Oさんが、リボンで何かを編み出した。私と話をしている間に、ピンクのリボンが立体的になっている。何を作っているの、と聞いても最初は、ふふっと笑うだけだ。次にOさんの机を覗くと、それがあった。そうか。金魚だ。
横には緑のリボンもある。3日後には金魚が山盛り。私が「泳がせてあげたいなあ。」と言うと、「針と糸があればなあ。」とOさんが言うので、私が靴下の修繕用に許可をもらって持ち込んだ針と糸でつるすことにした。紙で折った箱の中に入った金魚を私の部屋に引き取り、つるしているうちに、どんどん数が増える。紐につるしていると、Hさんが、「今5匹やね。」とすりガラスに映る金魚の数を数えだした。夜に9匹になったところでリボンがなくなった。今度は、Oさんの部屋に金魚を移動した。そして、すりガラスの向こうで横たわるKさんに「金魚見えますか?」と聞いてみた。Kさんは、「よう見える。1,2,3,…9匹おるわ。」と言ってくれたので、「Kさん側から見てもいいですか?」と聞くと了解してくれたので、カーテンを少し開けて見せてもらった。冷房の風がKさんの部屋に吹き込んだ。「えらい泳いどる。きれいやな。そこ開けてくれると気持ちいいわ。」とKさんが言った。私は、金魚の幻想的な色付きの影絵を見ながら、自分の存在が少しお役に立って、Kさんの空間にひゅうーっと吹き込む風になったような気がした。

それからいつも、そのカーテンは30センチほどの隙間を開けるようになり、Kさんもその隙間からつぶやいてくれるようになった。
Kさんは、「1年以上色んな病院行って色んなお部屋で、寝たまんま他の人の話聞いてたけど、こんな仲いい部屋初めてやわ。今までなあ、仲良さそうに見えてもじっと聞いてたら、仲いいほどケンカしはるんよ。ここは、ケンカしそうにないわねー。」と言って笑った。

部屋の誰かがリハビリに行く時も帰ってきても、自然に声を掛け合うことが増えた。
今日、療法士さんがKさんの車椅子を押して出て行く時に、「行ってらっしゃい。がんばってきてね。」と声を掛けると、Kさんが「頑張ってくるわ。走って帰って来るで。」と言って出ていった。今のところ1年1組は平和だ。





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