『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』を読んで。

書名:『この部屋から東京タワーは永遠に見えない』
著者:麻布競馬場
出版社:集英社
出版年:2022年9月5日発売

■はじめに 中上流階級の苦しみとその要因

この本は短編集で、基本的に、異なる主人公が1人称で自らの半生や境遇を語る形式をとっている。
前半は特にインパクトが大きい話が多い。

主人公たちは総じて中流以上の東京都心に住む裕福な人々。
豊かで華美な生活を送っているが、それぞれのステージ、境遇でなんらかの悩みやコンプレックスを抱えていて、どうにも幸せそうに見えない。

主人公の出自は貧しい家庭出身もあるし、代々裕福なパターンもある。
容姿に恵まれているパターンやそうでないパターン、
頭脳に恵まれているパターンとそうでないパターンがある。

巷でもてはやされる、高学歴、人気企業への就職、高収入、絢爛華麗で贅沢な消費行動を得ている、ないし一時的に得た人々が、なぜにここまで苦しそうなのだろうか?

1冊を通して複数の話を読んでみて、より明確にその要因が見えてきた。
共通しているのは以下の点だ。

  • 親やメディアや社会がいう、テンプレ的な「良いもの」や幸福の形を追い求めてばかりで、自分個人が主体的に「楽しい、幸せだ」と思うものを選んでいない。

  • 親、パートナー、ライバル、SNSフォロワーのような周囲の目や周囲の期待を意識しすぎる

  • 学歴、職、収入をめぐる競争に翻弄されてしまい、相対的に上位の人々に対する僻み、下位に位置する人々への侮蔑を抱えている。同様に、上に上がれなかったり下に落ちてしまった絶望に苛まれている。

■必要なのは知足

日本は資本主義社会だ。
そして新自由主義的側面も近年膨らんだ。

アメリカほどではないにせよ、こういった環境的要因で、価値観の基準が「いかにお金を持っているか」に集約されてしまっている。
それが故に、自他がどれだけお金を稼げる仕事に就いているか、どれだけお金を稼げる仕事につながる学歴を獲得できるか、どれだけ資産を持っているか、という価値観でもって物事の良し悪しを判断してしまう。

事実、お金は多いほどに選択肢は増えるため、裕福で自由に生きられる。
それは幸福につながりやすい。
しかしそれはあくまで傾向や割合の問題で、実際に幸福であるかどうかの決め手になるのは、「知足」にかかってくる。

知足は儒教の老子から来た言葉だが、現代では「足るを知る」という言葉が伝わりやすいかもしれない。

足るを知る、即ち「自分はこれだけあれば、他人が何を言おうと充分幸せである」という感覚を見つけられていないと、永遠に満たされない気持ちのままだ。

■競争力は諸刃の剣

お金を生み出せる競争力というのは、諸刃の剣である。

お金は、実体の使用価値以上の数値が流通している。
言ってしまえばお金は大部分が虚構で、虚構であるが故に際限がない。

「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」ということわざの通り、人が生きていくのに必要な物、価値の量は大したことない。

しかし天井のないお金をより多く持ちたいと願ってしまうと、いつまでたってもゴール(幸せ)に行き着かない。

お金とは異なる幸せの形は本書でもちらほら出現する。

地方で家族と笑顔で過ごす。
猫と一緒に穏やかに暮らす。
自分が美しく居心地が良いと思う家に住む。
パートナーとラーメンを食べる。

本来はそれでいいのに、人々は「競争を続ける」病に侵されてしまっている。

『実力も運のうち』でサンデル教授がいうように、競争を続けた先に得るのは心身の疲弊と、
そして競争に勝ったが故の過剰な自信やプライド、そして競争に負けたものへの無慈悲や侮蔑だ。

競争力は社会で生き抜いて、豊かさを享受する武器になるが、その武器は適切に扱わないと自身を滅ぼす。

■自分なりの幸せを見つける

本書を読んで、
「わかる…!」と共感するのも、
「ブルジョワが何言ってんだこいつ?」と否定的な感情を持つのも、
おそらくどちらも良くない。
それはどちらも過度な競争、資本主義、消費社会的な目線での感情だからだ。

学歴自慢、収入自慢も、貧乏自慢、不幸自慢も、くだらないマウンティングでしかない。
それをしたところで大したものは得られない。

自分が他者との比較なしに、これで幸せだ、と思えるものを見つけられれば、他人が慶応大を出て丸の内で働いて港区のタワマンに住んでようが何とも思わない。
他人の幸せは他人の幸せ、自分の幸せは自分の幸せなのだから。

自分は今江戸川区の木造アパートに住んでいて、
いつものように朝マックを頼んで、図書館で借りたこの本を片手にこの文章を書いている。

父からもらったジーパンと、手作りのTシャツと、ボロボロのユニクロの下着と、GUのYシャツを身につけている。

足元に蚊に刺されないようにモゾモゾしながら、
目の前のハエがソーセージマフィンに付かないように目を光らせながら、
床の端っこをなんか黒い小さい虫が歩いているのを気にしないようにしながら。

それでも今俺は幸せだと思えている。
家ではそろそろ家族が起きる時間。
帰っておはようと言って、この本面白かったよと感想を言えるだけの余裕があって、自分は充分に幸せだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?