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あの建築を生かすために、僕たちに何ができるのだろう

今日は建築に携わる人なら皆抱えている、あの問題について考えてみたいと思います。
そう、建築を生かしていくために、僕たち一人ひとりに何ができるのだろうか、というあれです。
曲がりなりにも建築のコンテンツに関わる仕事を通して考えてきた、現時点での僕なりの答えを書いてみます。
違う考え方ももちろんあるでしょうから、ぜひ一緒に考えてみてください。

こんにちは、ロンロ・ボナペティです。
今まさに存続の危機に瀕している「都城市民会館」。皆さんご存知でしょうか。
特徴的な外観が異彩を放つ、菊竹清訓氏設計のメタボリズムの建築です。(画像はWikipediaより)

竣工から50年を経て、老朽化が進み解体か保存かの検討が進められています。
僕自身はこの建築を、単に菊竹氏個人の独創によるデザインとしてではなく、人類の長い建築の歴史が生み出した世界の宝だと思っています。
何とか保存活用の道を進んで欲しいなーと、遠巻きに見ていたのですが、都城市が市民に対して行ったアンケート結果を見て愕然としました。

回答のあった1337名のうち、84%もの人が解体を支持している。
保存を希望する人は積極的に回答するでしょうから、実態はさらに厳しいものでしょう。
これが、保存派が多数ではあったものの改修費が確保できず泣く泣く解体せざるを得なくなった、というのなら納得できます。
僕が思っている以上に建築の価値は認められていないんだな、というのがこの結果を見て抱いた印象でした。

この建築については、日本建築学会が正式に保存活用案を提出したり、昨年末には世界遺産登録への道を模索するといった発表がなされています。
つまり建築界からはそれだけの価値があると認められているわけですね。
おそらくもし世界遺産に登録されれば、解体を支持する人はほとんどいなくなるのではないでしょうか。
このギャップについて、僕たちはどう考えたらよいのでしょうか。

建築が社会的に「生きて」いる状態を、ここでは簡略化して以下のように定義してみます。

建築を維持管理するコスト≦建築が生み出している価値

この状態が維持されていれば、建築は生きており解体されることがないものとすると、現役の市民会館として使われていた時期は、市民会館としての役割で十分コストを上回る価値を生み出していたんですね。
そしてその役目を終えたとき、このバランスがおかしくなってしまった。
極端に言えば、保存に巨額の改修費が必要であっても、使い道がなく放置されたままだとしても、市民の総意で税金から捻出してでも保存してほしい、ということになれば保存されるわけです。
市民の建築への愛着、多少生活が苦しくなっても残したいという思いが、市民会館が生み出している価値、ということですね。

ここでいう価値の中には、建築が直接的に生み出しているものと、間接的に生み出しているものがあります。
事業収益や公共施設としての活用は直接的なもの、建築の歴史的な価値や人びとの愛着といったものは間接的なものですね。
現在市では市民会館の具体的な保存活用案を募集していますが、これは直接的に価値を生む方法を募集しているものと考えられます。
これに関しては個人でどうこうできるものではありません。

それでは建築をより良く生かしていくために、僕たち一人ひとりに何ができるのでしょうか。
僕は結局、これに尽きると思っています。

建築に思いを巡らせ、発信する

思いを巡らせるのに一番適した行動は、実際にその建築空間に身をおくことでしょう。
けれども必ずしも実際に訪れる必要はなく、また訪れただけでは不十分だと思います。

都城市民会館の例でいえば、建築学会が主張しているのは間接的な、目に見えない価値です。
市民会館という用途が失われたとき、市にとってはそれが無価値のものになってしまいましたが、可視化されていない価値はたくさんあると思います。
世界遺産にしても、それ自体に価値があるわけではなく、「それだけの価値がある」と世界が認めているという事実に惹かれて人びとが集まってくる、そのことが重要なわけですよね。

都城市民会館といえば、日本で近現代建築を学んだ人であれば知らない人はいない、だれでも一度は訪れたいと思っている建築のひとつです。
これまでも多くの建築関係者が実際に訪れていることでしょう。
当然、市の収益になるような交通費や飲食費、宿泊費などといったお金も落としているはず。
けれども「都城市民会館行ってきた! すごい良かった!」と発信しないかぎり、その人がなんの目的で都城市を訪れているのか、わかりませんよね。

同様に、僕自身もあの建築には何物にも代え難い価値があると感じていますが、それを一度も発信したことはありません。
市の担当者からしてみれば、学会のお偉いさんはそう言ってるけど、ググってもだれも何も言ってないし本当に価値のある建築なのだろうか? と思ったとしても不思議ではありませんね。

けれども専門家だけでなく一般の建築好きからも多くの声が集まれば、「これは使える」と活用方法を考え出す企業も出てくるかもしれないし、「あの人がそう言うなら見に行ってみようかな」とそれまで興味のなかった人が建築を顧みる機会になるかもしれない。

いまのところ建築の素養がある人にしか共有されていない、建築の見えない価値を可視化し、増幅させていくこと。
そのために、一人ひとりが建築に思いを巡らせ、発信すること。

とても大きなテーマに対して、とても小さな手段しか見いだせていないのですが、そんなことを考えています。
そして僕自身の活動のテーマとして、建築の社会的価値をいかにして高めていくか、そのためにどんな小さなことでも良いのでできることを見つけていきたいと思っています。

もちろん、ここまで書いてきたことは都城市民会館に限らず、どんな建築にも言えることです。
1月31日をもって保存活用案の募集を締め切り、その結果如何によっては解体への道が急速に進む可能性もあるという状況から取り上げてみました。
2月1日以降、続報がニュースになるでしょう。
もし都城市民会館に一度は訪れてみたいなと思っている方がいらっしゃったら、続報のニュースに対して思ったところをTwitterやnoteを通じて発信してみてほしいな、と思います。

↓戯れにTwitterでアンケートを取ってみました。回答数はかなり少ないですが、保存派が大多数ですね。

かなり端的な書き方になってしまいましたが、日々もやもやと考えていることはTwitterで発信しています。


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