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【小説】人欲(4/10)

■最初のエピソードはこちら

 何があろうと生きていれば毎日、日は昇る。わたしの情緒に関係なく、平日は仕事をしないといけない。この会社に好んで勤めているのはわたしなのだから。

 きょうは、新規の顧客への訪問がなく、導入顧客へのフォローが主なので少し気が楽だ。でも、なにか嫌なことを言われたらきょうは耐えられそうになかった。

 訪問は卒なく終わり、ひたすら「コスモス」のシステムに感謝されて終わった。

「きょう元気ないですね」

 同行した本高が天気の話をするように言ってきた。

「なんでわかるの?」

「顔見たらわかります」

「わたしってそんなわかりやすいの?」

「お客さんの前では、表情出ないと思います。でも、客先出るとスイッチ切れますね」

 前にも誰かに言われたことがある。きっと明子さんだ。

「わたしこれから家に帰って家で仕事するね」

「承知しました。ぼくは帰社します」

「それじゃあ、お疲れ様」

「はい、お疲れ様です」

 地下鉄から山手線に乗り換え、大崎で下車した。

「結婚はしたほうがいい」「子どもは産んだほうがいい」「人生変わるよ」

 わたしにとっての呪いのことば三つのワンセットが頭の中を渦巻く。

 憧れの明子さんはいつの間にか、凡庸な価値観の持ち主に成り下がっていた。そんなことで変わってしまう価値観などそもそも確固たるものではなかったのだろう。

 でも、もしかしたらほんとうに「そう」なんじゃないかと思う自分もいる。たしかに、自分の体に命が宿るなんて神話みたいだ。子どもができた。「そんなことで」と思う反面、「そんなたいそうなこと」が起きれば価値観が変わるのも無理がないのではないだろうか。

 十九歳のとき、自分は欠けているんだと気づいた。この欠けた部分を何かで埋めたくて仕方がなかった。誰かの肉体が欲しくて欲しくてたまらなかった。男性に対しての憎しみがいちばん強い時期だったから、女性はどうだろう? と思い、なかば興味本位でレズビアン風俗を利用した。相手はマチさん。二十六歳だった。彼女にリードしてもらい、わたしは何度も何度も快楽の海で溺れた。別にヴァギナにペニスを埋めるなんていう行為をしなくても十分、わたしは満たされた。だけど、まだ自分は欠けている気がした。あの頃はまだお金がなかったからアルバイトで稼いだお金で月に一、二回レズビアン風俗を利用した。恋人をつくる気は起らず、いろんな女性の体をずっと泳ぎ続けたかった。

 考えてみたらわたしは男性を好きにならないと決めつけたときから、一度も「確認」したことがなかった。必要がなかったから。

 同性愛者でも異性と結婚して家族を営むということは珍しい話ではないらしい。わたしももし「結婚」できて、「子ども」を産むことができるくらいの辛抱強さがあれば……。あんなに強くてかっこよかった明子さんがああなってしまったのだから、わたしだってそう転んでもおかしくない。自分次第で、選ばなかったほうの人生が突如、選択肢として復活してくることだってあるのかもしれない。

 家に帰り、新企画のアイディア出しのブレインストーミングをひとりでする。その間、既存顧客からの操作に関する問い合わせの電話がかかってきた。カスタマーサポートに連絡してほしいと思いながらも、ここで無下にするわけにはいかないから丁重に説明をした。

 十八時半にカレンダーのリマインドが鳴った。得意先とリモートの飲み会が予定されていた。わたしの担当ではないが、本高に呼ばれていたので少しだけ顔を出す。前はわざわざ飲み会に足を運ばなくてはいけなかったけれど、フランクな相手ならば、気軽に自宅からコミュニケーションが取れるようになった。面倒ごとが増えたと思う反面、悪いことばかりではないとも思う。

 他愛もない話をしていると参加者の子どもが部屋に乱入してきた。

 わたしが「あ」と声を漏らすと「松倉ほのか」の文字の下に表示されている波が揺れた。それから笑って「可愛いですね」と言った。画面に表示される自分の顔を他人のようだと思った。

 画面に映っている九人のうち五人が既婚者、わたしと本高を含める四人が未婚。みんなどうやって相手と出会って、交際し、結婚に至ったのだろう。初体験はどんなだったのだろう。自分の性的指向に迷ったことはないのだろうか。自分は異性が好きなのか、同性が好きなのかなんて考えたことさえないだろうか。

 二十時を過ぎて「予定があるので失礼します」と言うと「少しの間でも参加してもらえてよかった」だの「やっぱり女性がいると華があっていいですね」と感謝のようなものをされながらわたしは通信を切った。

 一旦ベッドに横になり、目を閉じた。そしてスマホを手に取った。

 レズビアン風俗を探すとき、「女性用風俗」という男性セラピストの店が邪魔をしてくることを思い出した。ものは試しと思い、「女性用風俗」と検索した。

 女性用風俗店だけをまとめたサイトがあった。地域を東京に絞り表示をすると五十店以上あった。レズビアン風俗の五倍だ。ほとんどが性感マッサージと冠しており、「こだわりのオイルを使用」「幸せホルモンの分泌に着目」などいかがわしさを出さない工夫がされていて感心してしまった。

 各店のサムネイルに表示されている男性は、テレビで「イケメン俳優」と冠していても違和感がないひとばかりだ。

「ほんとうの自分としての開花のお手伝い」

 何件分も説明欄を読み飛ばしていたが、ついに気になるフレーズに引っかかった。

 よく、「ほんとうの自分」と曖昧なことを言うが、実際「ほんとうの自分」とは何なのだろう。わたしが探しているのは「ほんとうの自分」なんてことばで片づけられるようなものではない気がする。だけど、他店の「彼氏や夫じゃ物足りない」「ありのままにイカされたい」「性感帯を開発したい」という謳い文句は響かず、「ほんとうの自分としての開花のお手伝い」の店を利用することにした。ここで言う「ほんとうの自分」というのはつまり恥を捨て、思う存分快楽に溺れることを意味するのはわかるが、そういうコピーを書けるお店に惹かれたのだ。気が変わったら困るから事前予約ではなく当日利用にした。レズビアン風俗にもキャストのことを「セラピスト」と称する店もあるが、女性用風俗はほとんどが「セラピスト」だった。わたしの身長が一七〇センチなので、一〇センチくらい高いほうが好ましい。当日受付でひとりだけ、一八〇センチのセラピストが居たのでそのひとにした。レズビアン風俗を利用するときも当日利用がほとんどなので、お店トップの子と遊んだことはほとんどない。たまたま遊んだ子がその後トップになったことはあったが。

 なんとなく、レズビアン風俗の子と遊ぶときに利用したことがないホテルを二十一時に予約した。新宿のホテルであれば先方の交通費の負担がないので新宿にした。待ち合わせ確認のLINEがきたら、ホテルの場所と部屋番号を送った。

 仕事着から深緑のロング丈のワンピースに着替え、少しだけ化粧を直し、家を出た。月曜日からよく頑張るなと自分を嘲笑する。

 ギラギラしたラブホテルは好きじゃないから、ビジネスホテルをちょっとラグジュアリーにした感じの部屋を予約した。広いベッドに座り、何もしないで待った。部屋のインターホンが鳴った。音が頭の中で反響する。

 扉を開けると写真とまったく変わらない男性が立っていた。身長は見上げるほどだった。彼は店名と名前を告げた。カズマ、二十八歳。同い年だ。最近わたしより若いレズビアン風俗嬢(公表しているのが実年齢ならば)が増えてきているので、少し安心した。

 ベッドの隣に座り、彼が鞄からボードを取り出した。

「簡単にカウンセリングをさせてください」

 店の決まりなんだろうがこんな仰々しくされるなんて、まるで病人にでもなったような気分だ。

 何て呼ばれたいか、どこが感じるか、何をされたいかなどの項目があるようだ。

「あの」

「はい」

「わたし。男のひととの経験ってなくて。女のひととの経験はあるんですけど、その、自分が、男のひとに触られて気持ち悪くないかなって、そういうの確かめたいだけなんで。別に気持ちよくなりたいとか、そういうのじゃないんで。やめてって言ったらやめてもらえますか? ほんとに嫌なときに言いますから」

「承知しました」

 なんの感情も込められていない完璧な笑顔。こちらの事情などどうでもいいんだろう。相手からしても無理を強いられるより、するなと言われるほうがよっぽど気が楽だろう。

「やめてって言わない限りは何してもらっても大丈夫なので」

 レズビアン風俗嬢の子にならいくらでも優しくできるのに。取引先や顧客以外の男には角が立ったものの言い方しかできない。

 カウンセリングシートのほとんどの項目にNGはなしにした。

基本料の一万五千円を現金で支払った。最近は事前にペイ送金というのもあるが、未だ、現地での現金支払いがほとんどだ。だからいつも財布に五万円以上あるようにしている。大した趣味もないから、風俗にばっかりお金遣っているなと改めて思った。

「じゃあ、先にシャワーする?」

 急に彼氏面し出してちょっと下腹のあたりがひくついた。

「一緒にしま……しよ」

 いまはこの男がわたしの彼氏だ。この設定にわたしも乗っかった。

「じゃあ行こっか」

 優しく手を取られ、ベッドを離れた。

 いまはもう契約終了してしまったが、むかし、顧客に手を触られたことがある。わたしはびっくりしたが握り返すことも、拒否することもできずそのままにしてしまった。明子さんが間に入ってなんとかしてくれたけれど、いまだにああいうことをされたらどうしたらいいのか判断ができない。最近は、直接の接待が減ったというのもあるし、ハラスメントに対して厳しい目が向けられているからみんな気を遣っている。それでも、接待で酒が入って盛り上がってくると「いま、彼氏はいるの?」とか「どういうひとがタイプ?」とか「経験人数は?」とかということを訊かれることは普通にある。セクシャルハラスメントという意識がないし、わたしも糾弾するつもりはなかった。それが酒の肴なのだし、そういうのは「当たり前」なんだとみんな認識しているんだと思っていた。たとえば、動画サイトに散らばっている著作権違反の動画のように見て見ぬふりをされているだけ。被害者であるわたしも大きい声で叫ばず、スルーして過ごしてきた。

 前に週刊誌でレースクイーンの子やアイドルの卵の子が事務所からのセクハラを暴露するという対談を読んだが、それらはセクハラではなく「性犯罪」だった。そういうのはきちんと取り締まり、性犯罪を起こした男は去勢したほうがいい。

 カズマとはまず一緒に歯磨きをした。これはレズビアン風俗と同じルールだ。隣にいるだけで圧迫感をおぼえるほど、体が大きい。後輩の本高は、わたしより少し背が高いが、ひょろっひょろだ。ちゃんと食べてるのか心配になるくらいに。

 歯磨きを終えた後、「脱がせあいっこしよ」とカズマが言ってきた。彼の声はなかなか脳に優しい。

 わたしはカズマのシャツのボタンをはずし、を脱がせた。

 筋肉隆々としていた。むかしやったゲームのRPGの村のようだと思った。

「なにかスポーツやってたの?」

 逞しい体型のひとにスポーツの話を振って嫌なことをされた記憶はないので訊いた。

「高校までテニスやってた。いまは趣味で鍛えてる」

「そうなんだ」

 彼はわたしの背に手をまわし、ワンピースのファスナーをおろした。それから左手で腰に触れながら、右手でブラジャーのホックを外した。器用なものだ。鼻と鼻がぶつかりそうなくらいの距離。圧迫感があるのは、彼の顔がわたしよりもひとまわりくらい大きいからだろうか。

「キスしていい?」と囁かれたから頷いた。唇が唇に触れたとき、若干の嫌悪が生まれたが、すぐに消えた。唇ってあんまり性別を感じないところなのかもしれない。普段キスをするような女の子たちと感触的にそう大きく変わりはしなかった。ただ重ねるだけのキスを終えると、カズマは「可愛いね」と笑った。やっぱりわたしは誰に可愛いと言われても、特に何も感じないのだった。

 それからショーツを脱ぎ、カズマもボクサーパンツを脱いだ。生で、男性器を見たのは初めての気がする。平静時の男性器は丸っこい。これが膨張して凶器のような形に変貌するなんて想像に難い。

「あんまり見ないでよ」と彼は左手で覆った。

 あははと別に面白くもないのに笑い、それから一緒に浴室に入った。

 女の子と風呂に入るとき、高揚感でいっぱいだ。裸の女の子を見るだけでテンションがあがる。大きくても小さくてもおっぱいが好きだ。女の子の肌に触れて、ぴったりとくっつきあって、わたしのものにしたいなとよく思う。

 かたや目の前にいるカズマを見ても「裸の男のひとだな」くらいにしか思わない。異性愛者の女のひとは、好きな男性の裸を前にどういう気持ちになるのだろう。

 カズマがシャワーヘッドを持ち、お湯の温度を確かめる。関節ひとつひとつに小石が入っているような手。

「かけるよ」と言ってわたしの体にお湯をかけてくれた。シャワーを止めてボディーソープを泡立てた。

「触っていい?」と訊くから頷いた。

「わたしも」と言って同じように泡立てる。女の子とするときは早く触りたくて仕方ないのに、いまは「試しにやってやるか」くらいの気持ちだ。カズマはまずわたしの二の腕に触れた。泡が間にあるものの、すぐにカズマの手を感じる。わたしは彼の胸に泡のついた手で触れた。こんなにかたい胸に触れたのははじめてだ。

「俺乳首めっちゃ感じるんだよね」と笑った。可愛いひとだとは思う。

 抱き合うようにしてお互いの体にたくさん触れた。おそらくたくさんの女性に触れあってきたカズマの指と、わたしの指。カズマは、男性との経験あるのかな。テニスをやっていた高校時代、いつか自分がこんなことをするって思ってたのかな。ていうか、これ以外の仕事って何かしてるのかな。したことあるのかな。唇と唇を重ねるうちにカズマが舌を入れてきたから受け入れた。舌と舌を重ね合わせるだけで、ただの作業。まったく感じない。風俗嬢ってすごい仕事だと思う。たった数万円でわたしを気持ちよくしてくれる彼女たちへの感謝で目頭が熱くなってきた。あの子たちにとっても作業なんだろうか。そうなんだろう。だけど、嫌だなって思わないこともないんだろうな。人間だもんな。わたしが取引先や同僚に嫌味を言われることなんかきっと比べ物にならないんだろうな。考えるのが面倒くさくなってやめた。

 その流れで目視せず、両手でカズマのペニスに触れる。ほかの部分よりも温度が高い気がした。少しずつ形を大きくしていた。突然、景雪のことを思い出した。アイツも男に振り分けられているってことは、これがついてるんだよな。景雪って、セックスしたことあるのかな。

気持ち悪い。ああやっぱりだめだ。

 カズマのペニスから手を離し、彼から体を離した。

「ごめんなさい」

 多分、始まってからまだ三十分も経っていない。

「わかった」

 彼はやっぱりなんの感情もなく笑った。

「一緒に出る? 後から出る?」

「後から。先にベッドで待っててくれますか?」

「うん、わかった」

 女性用風俗を利用して心底よかった。きっと一般の男で「試す」ような真似をしたらわたしに原因があっても相手を傷をつけただろう。そして「俺レズの女と寝ようとしたら拒否られて未遂で終わったんだ」とか、蔑称を使われながら話のネタにされるのが関の山だろう。

 カズマは泡をしっかりと洗い流して「あとでね」と囁いた。凄いサービス精神だ。このひと、パートナーいるのかな。お金を介さない相手に対しても同じように、いやそれ以上に優しいのかな。

 何度手を洗ってもペニスの熱さと重みと表面の感触が手から消えない。

 服を着てベッドに戻ると、カズマも同じく服を着てベッドに座っていた。二十一時二十六分だった。

 もう一度謝罪のことばが出そうになったが、こんなこと言ってもどうにもならないからやめておいた。

「終わりまで、楽にしてていいですよ」

「ほかに何かしたいことない?」

「じゃあ、寝転がりますか」

 距離を空けて寝ころび、天井を眺めた。

「体を触らせてくれてありがとうございます」

「こちらこそ」

 彼は照れながら笑った。

 それからどうでもいい仕事の話をした。カズマの相槌の入れ方、話を聞いているときの態度、彼から学ぶことはたくさんあった。

 わたしは正真正銘のレズビアンだ。それがわかってなんだかとても嬉しかった。マイノリティであっても確固としたものが自分のなかにあることは、得難いものだから。絶望に思うことでも悲観することでは決してない。堂々とこれからの人生を歩いていけそうな気がした。

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