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【小説】人欲(6/10)

■最初のエピソードはこちら

 風俗嬢に恋をするなんてばかばかしいと思っていたが自分がその沼に落ちることになるとは思わなかった。仕事中、食事をしているとき、眠る前、四六時中、アイのことばかり考えていた。

 アイは新人で、人気のあるキャストではなかったから予約をすれば確実に指名することができた。

 彼女の肌は瑞々しかった。どんな女の子の肌でもぬくもりを感じると快楽一直線だが、アイの場合は泣きたくなるような、ずっとここにいたくなるようなそんな気持ちになる。彼女の胸はクッションのようで、ずっと顔を埋めていたくなる。わたしがそうしていると頭を撫でてくれる。ほかの誰かにされることもアイされると意味がふたつみっつ追加でついてくる。

 どうしてわたしとアイは、同級生とか同僚とか、そういう近い存在として出会えなかったのだろう。でも、そんな関係で出会っていたら、触れ合えもしなかったかもしれない。そのほうが余計辛かったから、いまの関係で出会えてよかった。

 情報技術の展示会があり、国際展示場に向かった。
 日々、新しいものが生まれ、すぐに古くなってしまうように見えて、意外と情報システムの開発速度は遅々として進んでいない気がする。システムがあってもセキュリティーに穴がある。便利なものを開発しても、それで犯罪者に襲われては意味がない。こちらがどんなに善を尽くしてもそれを利用する悪党が後を絶たないのは実に腹立たしい。

 セミナーにふたつ参加し、展示を見てまわる。「AI」という文字を見るたびにアイのことを思い出す。アイの在籍があるお店のホームページには写メ日記や、アイと遊んだひとのレビューが書いてあるが、少し読んだだけで気持ちが病みそうになり、読むのをやめた。

 わたしは他人を「好き」だと思わないのだと思っていた。でも、明子さんだって自分が家庭に入るとは思っていなかったし、自分の価値観が変わってしまう出会いというのはやっぱり存在した。

 会社に帰ってから「イダテンフード」の改修説明会に参加しなくてはいけない。樫木と顔を合わせないといけない。だから、きょうはアイと会う約束をした。

 展示会場内の音や光は、環状線を走る車のようで、物凄いスピードで様々な種類ものが行き来していた。

 すべての仕事を終え、誰とも余計な話をせず、二十時にわたしが予約したホテルに行き、アイを待つ。

 白地で統一したわたしの家と違ってラブホテルは様々な色が重なりあっていて好きだ。わたしには色を重ねるセンスがないから服は単色かモノトーンで統一している。センスがいいと言ってもらえることがあるが、無難に逃げているだけだ。

 インターホンが鳴り、アイを招き入れる。白いシャツの下に小花柄のスカートを履いていた。

「こんばんは。また会えて嬉しい」

 そう言ってわたしの首に抱きついてきた。アイの重量を両手で感じる。嬉しくてきつく抱きしめてしまったけれど、こんなこと、どうせみんなに言ってるのだろう。

 清算を先にして、歯磨きをする前にお風呂にお湯を張った。歯磨きをして浴室に入り、体を洗いあって一緒にお風呂に入る。アイの大きな胸にわたしの胸を重ね、抱き合った。この肉感が心地よい。こうしていると誰にも渡したくないと思う。

 身体を貸してもらっているだけの相手ならこれをしたら嫌だと思うかななんて配慮ができるのに、いちばん好きなアイにはそれができない。ただひたすらわたしの欲をぶつける。あんまりいいことではないと自覚がある。でももう、衝動を抑えることはできない。

 お風呂でたっぷり体を触り合った後、ベッドで一時間、セックスをした。わたしは執拗にアイの乳首に舌を這わせたり舐めたりしながら、彼女のクリトリスを指で弄りたおしたり、ヴァギナの中に指を入れ、彼女の喘ぎ声を楽しんだ。最高に性的興奮が高まったとき、アイにクンニしてもらい、わたしは絶頂を迎える。

「ねえ、アイちゃんはなんでこの仕事してるの?」

 この質問は、いままで誰にもしたことがなかった。

「前の彼女に借金があって。もともと男性相手の風俗をやってたんだけど、わたし、やっぱり男のひとって好きじゃなくて」

 はぐらかされると思いきや、意外とはっきりとした答えが返ってきて驚いてしまった。カズマのペニスを思い出す。女性が好きなのに、あんなしんどいものを扱っていたのか。

「わたし、頭が悪いし、ほかにできる仕事ってないから」

 そうやって自分に見切りをつけてしまったひとは、十年後、二十年後、どうやって生きていくつもりなんだろう。

「自己卑下する必要はないよ。わたしは風俗で働けない。立派だと思う」

「そう、かな」

 アイが恥ずかしそうに笑う。さっきまで恥ずかしいことしかしていない、身体の裏側まで見せあってる仲なのに。

「わたし、アイちゃんのことが好きだよ」

 こんなのわたし以外の客にも言われているだろう。体が熱くて、頭がぼうっとして浮かれてつい口にしてしまった。好き、をことばにするとそれがほんとうになって、この空間が好きで埋め尽くされたように思う。

これから一緒にシャワーをして歯磨きをして終える。

 ベッドから降りようとすると、アイがわたしの手首を掴んだ。

「わたしもほのかさんのこと、好き」

 こんなのサービスの一環だと思い、わたしは真に受けなかった。ここで浮かれるとあとで辛くなるのは自分だ。だけどアイは手を離してくれなかった。

「付き合おっか」

 アイがなんでそんなことを言ったのかわからない。深追いはしたくなかった。わたしがアイを想ったようにアイがわたしを想ってくれたならそれでいい。金蔓にされるのかもしれないとか、考えたら悪いことなんていくらでも浮かんできたけれど、どうしてもアイを手に入れたかった。

 こんな形で、初めて恋人ができた。


 本名は愛菜というらしい。源氏名ってこんなに捩らないものなのかと肩透かしを食らいながらも、わたしは引き続きアイのことをアイと呼んだ。

 わたしと付き合いはじめて、一週間後、彼女は店を辞めた。真人間になりたいと言った。わたしは、風俗嬢は素晴らしい仕事と思うが、単なる嫉妬心でアイには別の仕事をしてほしいと思っていた。いままで散々利用してきたのにあっさり掌を返す思想だ。

 彼女の家の最寄りは五反田だったから、わたしの家へは自転車で来られる。わたしの住むマンションに無料の駐輪場があるが誰も利用していないので、実質アイの自転車の専用駐輪場になった。

 わたしはアイにこれからのことはゆっくり考えればいいと言った。

 アイと一緒に居れば浄化される。この穏やかな日々が永遠に続けばいい。もう景雪のことを考えたくない、景雪と出会わなかったらとなかったほうの人生を想いたくない。わたしの人生のいままでのマイナスがあったおかげでアイに出会えたのなら、すべてが清算できた。だから、これ以上未来に進むのがこわい。失うこと、そしてほかに羨望するものに出会いたくない。いまが絶対だと思う強さがわたしにはないのだった。アイの胸に顔を埋めているときは、脳みそからすべての棘を抜き、考える能力をすべて捨てるように努める。アイさえいれば、無闇に誰かを求めることももうしなくてもいいかもしれない。

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人欲(7/10)


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