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【小説】人欲(10/10)

■最初のエピソードはこちら

 総務の前沢から「会社でLGBTの講演をやる」という告知のチャットが送られてきた。ウェブ参加可だったが、なんとなく家に居たくなかったので、出席することにした。

 リアルでの出席者は十人だった。わたしは一席飛ばしで本高の隣に座った。いちばん前の席に総務の三人が居る。

 身長が一八〇センチくらいありそうな女性が話者だった。話は、彼女の生い立ちからだった。男性として生まれたらしい。セクシャルマイノリティのひとが言われて嫌なこと、接するうえでの注意点、アウティングの罪深さなどが語られた。

 同じセクシャルマイノリティの者として、こういう風に己をさらけ出し、社会貢献をするひとを物凄く立派だと思った。わたしが「わたしもレズビアンなんです」と言ったら何か変わるだろうか。いや、変わらない気がする。正直に言うことだけが正義ではない。少なくともわたしは生きづらくない。自分の人生に誇りがある。だから、知られたくないひとたちにわざわざ言う必要はない。でも、変えていかなくてはいけないものはまだまだたくさんある。それは「女だから」とか「同性愛者だから」ではなく、ひとりの人間としてだ。

 アイとは会えないまま終わった。メッセージは既読がつかないので、ブロックされてしまったのかもしれない。

 人間関係がこういう風に終わることもあるなんて知らなかった。でも、わたしも景雪に同じようなことをしていたのかもしれない。

 好きに理由が欲しいひとと、理由がなくても好きでいいひとと、それも、ひとそれぞれなのだと思う。アイが「自分の求める好き」を持っているひとと幸せになればいいと思った。その点わたしたちは相性が合わなかった、ということで終わりでいい。

 仕事が辛いとき、やっぱりわたしは他人の体を求める。きっとここにはわたしの探しているものはないのだろうけれど、いまは誰かの体を借りて、寂しさを紛らわせる。生きる活力になるのだから、これは悪いことではないだろう。

 景雪は、誰かを求める生き方をしなかった。だからと言ってわたしも同じようにしなくていい。わたしは景雪じゃないから。わたしはきっと、いろんなひとと出会い、削り、磨かれていく人間の気がする。わたしが探しているものは一生見つからないかもしれない。だけど、これからもひとを求め、探し続ける。

「コスモス」は導入顧客を増やしていき、わたしの理想とするサービスに近づいてきた。

 きょうは導入の問い合わせのあった石鹸や美容グッズを扱った会社に初めて訪問する。

 目黒にある小綺麗なビルの三階の会社だった。清潔感漂う真っ白な壁に、待合いの椅子は真っ赤なエナメルだった。

 黒いジャケット、ロングスカート。茶色くて長い髪を靡かせてそのひとは歩いてきた。

 目が合った途端、後ろから叩かれるようにして立ち上がった。

 彼女もすぐに好意的な目でわたしを見るのが分かった。お互いの何かが響き合う音がした。彼女のこころに触れてみたいと思った。このひとの肉体だけじゃなくて、こころの中が何色なのか抉って、見て見たくなった。

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