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名前をつけてやる

今回はデザインへの記名の話をしたいと思います。
著作物には「著作者人格権」という原則譲渡できない強い権利があり、その中で「氏名表示権」は、自分の著作物の公表時に、著作者名を表示または非表示することを決めたり、実名か別の作家名かを決められる権利です。

しかし実際のところ、会社員デザイナーの仕事は「職務著作」として個人ではなく会社の名前が記録されたり、そもそも会社も個人も、ほとんどの商業物や広告のデザインには制作者の名前が記されることなんてないですよね(いわゆる著作者人格権の不行使ってやつ)。
ただ、そういった無名の秀作がたくさんあることも、グラフィックデザインの奥ゆかしい魅力なんだと思います。

デザイナーの名前がクレジットされる仕事といって、まず思いつくのが、書籍の装丁、CDジャケットのデザインですこの2つには実は共通点があるのがわかりますか? これらはこの自由価格競争の世の中で「定価」というものに守られている数少ない商品なのです(基本的に新刊の書籍やニューリリースのCDを小売店が定価以下の価格で販売することができません)。
おそらくこれらは作家の著作性が高い製品であることが、1つの理由ではないでしょうか。著作物を保護することは、文化を保護することでもあるんですね。だから、それに準じてデザイナーも、そのおこぼれにあずかれる慣習ができているのではないか、というのがぼくの仮説です。

ほとんどの仕事には名前が載らないからこそ、デザイナーは自身のポートフォリオサイトでしっかりこの「氏名表示」を行使しているのだと思いますが、ぼくがこのフリーランスになって間もなく体験した、びっくりした思い出があります。
ある知人の事務所で仕事を手伝っていたときのこと。最終的に入稿したデザインとポートフォリオに載っているデザインが違っていたので、疑問に思い聞いてみると「最終的な修正依頼が、個人的にどうしても納得がいかないので、せめてポートフォリオには理想的だった、一段階前のデザインを掲載した」と回答をもらいました。もちろんクライアントとの良好な関係の上に成り立つ話だと思いますが、なるほどそうかと膝を打ちました。自分の実力をしっかりと見せる、前向きに考えればそういうことなのだと思いました。

デザイナーが自らの存在をことさらにアピールすることは美学に反するという方もいらっしゃいますし、滅私・匿名がデザイナーの良さだという向きもわかります。しかし、これからの時代、SNSにしろポートフォリオにしろ、いろんな角度で自分の名前を社会に刷り込んでいくことは戦略として大事なのかもと、考えるようになりました。

2018年に、自分のクライアントである繊研新聞社の70周年ロゴの制作をさせていただきました。こんなデザインです。

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その際、思い切ってこんな自社広告を(もちろん広告媒体費を払って)同新聞に掲載してみました。「こんな広告を考えているのですが、載せて良いでしょうか」と相談したら、笑って快諾いただいた繊研新聞社さんの懐の広さにあっぱれですが、実際のロゴ選定のプロセスでも、没案も含めて相当悩んでいただいたので、そのストーリーを少しでも多くの人と共有したかったのかもしれない、なんて美談で捉えてしまいました。

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今見ても、なかなかふざけた広告で反省をしています(反省はしていない)。

クレジットという言葉は「credit」、つまり信頼や信用という意味の言葉です。初めてCDジャケットを仕事としてやったとき、自分の名前がクレジットされ、天にも昇るようなうれしさがありました。しかし、同時に思ったのは、これでしくじればアーティストの名前に傷もつく、そしてそれ以上に自分の信用も失い、広まるということでした。

今はありがたくクレジットを載せていただく仕事もたくさん、載らない仕事もたくさんさせてもらっています。名前が載ろうが載るまいが、まずは目の前の人を裏切らず、確実に信用を得ていきたいと素直に思えるようになりました。

たとえば自分に仕事をくれた担当者、たった1人でもいい、その人の心の中に自分の名前がクレジットさえすれば、それは幸福なことである、とじんわり噛み締めるのもいいんじゃないでしょうかね。



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