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短歌連作『夏は永遠』の解題とテニミュの好きなところについて

テニミュ19周年の記念日に、テニミュに寄せた短歌を投下しました。

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普段はアイドルマスターシャイニーカラーズに寄せた短歌を作っていますが、今回初めてテニミュへの感情を詩にしてみました。
めちゃくちゃ楽しく作れたので、テニミュのエピソードなども交えつつ解題のようなものを書こうかなと思います!ご興味のある方はお付き合いいただけるとうれしいです。

青春が駆け寄ってくる ハイタッチして混ざりあう風は青春

私が初めてテニミュの客降り(キャラクターが客席まで降りてきてくれる)を経験した時から変わらない感情を詩にしました。読んだままの意味になっているかなと思います。
青春のかたちをした少年たちが、青春を終えたわたしのもとに駆け寄ってくることの美しさを表現したくて作りました。

私たち観客とキャラクターは別の次元に生きているけれど、ハイタッチした瞬間に次元は重なり合って、走り去っていく彼らが作った風を体が感じとった時にわたしそのものまで青春の一部になるような感覚があります。初めて宍戸さんの風を受けたときは感動して身が震えました。


#0000FFが青ならばいま目の前の色を知りたい

青学が好きな方なら、なんとなく伝えたいことがわかっていただけるかなあと思います。
19周年を迎えたテニミュはこれまでに11代の青春学園を生み出してきました。そのどれもが同じ青色を背負っているようで、そうではないような気がします。

私は特に青学9代目に思い入れがあるのですが、9代目を応援していた時に「彼らの青は何の青なんだろう?」と考えることがありました。海の青なのか、空の青なのか、水彩絵の具でとったような青なのか……。
ぼんやりと考えているうちに卒業の日を迎えて、2018年5月20日の横浜の空を見上げた時に、ああこの色が9代目の青なのかもしれないな、と思いました。雲ひとつなく澄んでいて、爽やかな青空だったのを覚えています。

ステージで歌い踊る青学を観るたびに、この代はどんな色を見せてくれるんだろうとわくわくさせられる気持ちが伝わっていたら嬉しいです。


情熱は爆音になり煌めきはユニゾンになるドームシティーで

テニミュといえば体にびりびり響いてくる爆音のイメージがあるので詩にしました。
「煌めきはユニゾンになる」は、ソロの歌唱だとやや不安定な印象を受けるキャストも、ユニゾンになるときらきらとした響きになることが多いなあ、という個人的なテニミュあるあるを詠んでみました。

立海や氷帝のユニゾンは重厚なイメージですが、青学はユニゾンになった途端に歌声が明るくきらめくように感じます。ユニゾンのきらめきとパワーはテニミュの大好きな要素の一つです。


音階をダッシュで駆け上がってゆく 最高音にハイジャンプする

3rdシーズンの全国大会・青学vs比嘉の公演曲「ゴールまでのハードル」をモチーフに作りました。でも、この曲に限らずテニミュの歌はすべてこういうイメージで歌われているような気がします。

ステージは全力で走る場所だし、ダンスは全力でラケットを振るもの。テニミュでは歌を歌うこともテニスの試合をすることと同じなんだと思います。
そんな疾走感と爽やかさが伝わっていたらいいなと思っています。


眩しさを受けたわたしの心音がさらされていく一幕終わり

5首目、連作のちょうど真ん中に一幕終わりの気持ちを詠んだ詩を入れてみました。

一幕終わりの客席が明るくなっていく瞬間が大好きです。王子様たちの眩しさを光として受け取った客席が照らされて、我に返って自分の鼓動の音に気付く。客席がゆっくりとざわめきに包まれていく感覚が大好きで、この瞬間に「テニミュに来たんだなあ」と感じます。

3rdシーズン関東大会 青学vs立海の一幕終わりのざわめきは未だに忘れられません。
いつか初日の幕間に立ち会ってみたいです。


言葉にもならないエール 双眼鏡の中できみは映像化する

テニミュならではの文化、ベンチワーク(試合をベンチから応援する選手たちの動きや会話)について詠んでみました。
ベンチで応援している選手の声はマイクを通さないのでセリフとして残らないものの、双眼鏡でじっと覗いている観客には言葉として受け取られているのが面白いなあと常々思っていました。

エールが言葉として伝わらないのは私たち観客も同じだと思います。
ベンチの王子様たちに無言でエールを送りつつ、円盤には収録されない勇姿を映像として記憶に残しておきたいオタクの気持ちを短歌にしました。


気を抜けばあふれてしまうふわふわを受けとめてくれ、かちかちの椅子

テニミュあるあるを盛り合わせた一首です。
終演後になぜかアンコールの記憶しかなくなってしまうあの感覚を、後からやってくるお尻の痛みで受けとめようとしてくるTDCの椅子、好きではないけどテニミュって感じがします。

実はこのかたちになる前は「気を抜けばあふれてしまうふわふわを受けとめているふわふわの椅子」にしていました。メルパルクホールの椅子バージョンですね。
でもどうせならTDCの処刑椅子のことも詩に昇華してあげたいなという気持ちになり、このようなかたちになりました。


祝福は花びらだった さみしさも記憶もすべて揺らめいていく

テニミュキャストの卒業について詠んだものです。
ドリライ2018のアンコール「WE ARE ALWAYS TOGETHER」の曲中に、キャストからの感謝のメッセージが書かれたハートの紙がひらひらと降ってくる演出がありました。

実際に目にしたこの光景があまりにも美しかったんです。どうしても見た記憶のまま閉じ込めておきたくて、映像で上書きしないために円盤もしばらく見られなかったくらい印象的なシーンでした。
当時の心のまま作れたので、私にとって大切な一首になったなあと思っています。


一瞬の気迫を拾いあつめたら真夏になった ここは永遠

短歌を作る前に連作タイトルが先に出来上がったのですが、「夏は永遠」という言葉に向き合うにつれて、「夏って永遠じゃなくない?」という気持ちがうまれました。

テニミュでは大会が行われた夏を4巡しているため永遠のように感じられますが、実際のところ永遠ではなく、王子様たちの夏の一瞬を繰り返し見ているに過ぎないんですよね、悲しい。

それに加えて、テニプリにおける夏は青春であり、青春は刹那的な輝きだからこそ美しいものだと思います。テニミュにおいてもキャストの卒業が近付くにつれて輝きが増していくような気がします。

青春が一瞬の輝きであることはよくわかっているつもりで、それでも青春が永遠であってほしいという気持ちに説得力をもたせるために言葉をこねくりまわした結果、このような詩になりました。

一分一秒全力で試合に向き合う王子様たちと、未熟だからこそがむしゃらにテニスをするキャストたちが重なり合う瞬間の気迫こそがテニミュであり、一瞬の気迫のもつ熱さ × ∞ =永遠の夏であるという方程式を自分の中で作り上げました。僕たちの永遠!テニミュ最高セイヤー!


おわりに

短歌を見ていただき、さらに解題のようなものまで読んでいただきありがとうございます!本当に感謝しかないです。嬉しい。

今回テニミュの短歌を作ってみて初めて知ったのですが、「#庭球短歌」というタグで検索するとテニプリおよびテニミュに寄せた素敵な短歌をたくさん読むことができるみたいです……!

めちゃくちゃいい文化だと思うので、わたしも4thルド吹やレボライを鑑賞したあとにまた詠んでみようかなと思います。
テニミュ、一生続きますように。
夏は永遠!ずっと夏!





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