当たり前って難しい

仕事つまんないから文を書く。

意識高い系。

突然ですけど、将来の夢ってありますか?

子供の頃は
ウルトラマンになりたいだとか
プリキュアになりたいだとか
消防車になりたいだとか
いろいろあったんじゃないかなって思います。

いまの僕の将来の夢は

長い時間、共にした年老いた奥さんと
手を繋いで近所の公園を散歩したい。

ちょうど今の時季は自分の中のイメージと合う。
少し肌寒い季節、
西日の光が差し込むありふれた平日に歩きたい。
(画像は拾った)



当たり前が欲しい。

ざっくりと描くのであれば

当たり前のように働いて
当たり前のように好きなことを程よく楽しんで
当たり前のように結婚して
当たり前のように家庭を持ち
当たり前のように子育てをし
当たり前のように年老いて
当たり前のように死ぬ。

ただそれだけ。

例えば高級外車を乗り回したりだとか
タワーマンションの頂上階に住んでは
社畜の照らす奴隷のイルミネーションを見下ろして悦に浸るような人生は望んでいない。

派手じゃなくていい。

地味でいい。

普通でいい。

当たり前が欲しい。

ただ
よくよく考えてみたら

並大抵の当たり前を歩んでこなかったから
当たり前のレールの上を走ってないのでは?

と最近よく思いますね。


どこでこうなったかはわかりません。

というか当たり前という始発駅は
人によって違うから
一概に何が当たり前なのか
という明確な答えって
わからないんですけどね。

ただ、とりあえず、
今自分がいるこのステージは
自分にとっての当たり前
でないことは確かで。

少なくとも、
今後も安い給料でこき使われ、
自分の価値を推し量られ、
仕事はできない癖に
仕事中にため息ばかりついてる無能
にはなりたくないな
なんて思ったりします。

なりたい自分よりも
なりたくない自分によく似た人が
近くにいるからそう感じるのでしょうか?

コロナ不況と言えばいいでしょうか?
いまの状況が終わったら
仕事をやめようと思うこの頃。

このままでは居たくないなと
最近よく感じるこの頃ですね。

おわり。