日本の負の歴史と遺産とは(戦争の始まりと終わり)

 日本の「負の歴史」として取り上げられるのが先の大戦の開戦を告げた「ニイタカヤマノボレ」の電文を発した海軍船橋無線電信所の跡地に建てられた記念碑で碑文の中において「ニイタカヤマノボレ」が浮き彫りとなっている。そして2020年12月8日の東京新聞の記事に開戦を告げた無線塔として取り上げられ、この記念碑については『「経済産業省の近代化産業遺産群」に選ばれた』と書かれている。


 この碑文の全文は前回の記事でも取り上げたが良く読んでいただきたいと思う。

 

 この碑文の全文には負の歴史としての  重要な「関東大震災の直後、当時の所長が『朝鮮人が暴れている』とデマ情報を流し、地元の人に警備を要請。これがきっかけで虐殺事件が起きた」とされた事が記されていない。
 どころか、「船橋の市民シンボルとして市民に親しまれていた…栄光の歴史を閉じた。」などと記され、まるで、戦争賛美か戦争賛意かに私には思える。

  一方、大戦の「負の遺産」としても取り上げられるのが広島平和公園にある「原爆ドーム」であろう。

 これらの事をどのように受け止めるかは読者の方々の考え次第であるが、「戦争の開戦と終わりを告げる」どちらも忘れてはならない「真逆」の事であろう。
 今日のこの記事の続きとして、ふたたび、「朝鮮人虐殺」について加藤直樹作品の『TRICK トリック 「朝鮮人虐殺」をなかったことにしたい人たち』が届くので、主に「船橋」の惨状を取り上げたいと思う。

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