【短編小説】「おおきくなったらケッコンしよう」と約束してきた幼馴染が一生可愛い。~好きと言えない僕は、あらゆる言葉で想いを伝え続ける~


第1話「おおきくなったらケッコンしよう」


 幼い頃の僕――新田優樹(あらた・ゆうき)は心が不自由だった。

 自分がどうしたいのか分からない。今どんな気持ちなのか分からない。それ故に「どうしたの?」と聞かれても、「〇〇した」と答えられない。

 母が聞いてくる。

「寂しいの? 痛いの? 悲しいの?」

 そのどれにも当てはまらない気がして、首を横に振る。

「寂しい? 痛い? 悲しい?」

 母の顔が徐々に焦りの色を帯びてくる。根気強く僕の気持ちを知ろうとしてくれているが、父が早晩亡くなり独り身の母。家事や仕事で彼女もいそがしい。自分がどうしたいかは説明ができないのに、相手の焦燥感は理解できてしまった僕は、とりあえず「さびしい」を選んだ。

「そっかそっか、さびしいの……」

 よしよし、なでなで、と母が僕を抱きしめてくれる。本当は寂しかったわけでは無かったのかもしれない。でも、こうやって母に抱きしめられるのは悪くない気がしたし、僕がうなずいた瞬間の彼女の顔は、どこかほっとしていたから。

「おおきくなったらケッコンしよう」

 幼稚園に入園し、年中になると女の子の友達ができた。
 本名が望月凛奈(もちづき・りんな)なので当時は『りんちゃん』と呼んでいた。彼女は毎日のように僕にプロポーズしてくれる。
 結婚というものを漠然と理解していた僕は、

「けっこん、いいね……」

 などと耽美な響きに舌鼓を打ちつつ、ほぼ条件反射的に「いいよ」と了承していた。

「やったあ。あたし、ユウくんのことだいすき!」

 そして了承するたびに彼女は喜んでくれた。

 もちろん、ケッコンがどのようなものかをこの頃はよく理解しているはずもない。はずもないのだが、受け入れるたびに大喜びする彼女の笑顔が見たくて、僕は安直な答えを出し続けた。

「ねえ、ユウくん。あたしのこと、すき?」

 年長の頃にもなると、凛奈はそんな質問を繰り返すようになった。プロポーズはあまりされなくなった。ケッコンブームは過ぎ去ったらしい。

「すき、ねえ……」

 聞かれるたび、僕は回答を渋る。なぜなら「好き」というものが何かはケッコンよりも漠然としていたから。

 ケッコンは契約だ。けれど、好きってなんだ? よく分からない。よく分からないまま凛奈に回答をするのは、なぜかためらわれた。

「ユウくん……おへんじ、まだ?」

 僕がうんうんうなっていると、徐々に彼女の顔が不安げになる。
 ちょっと小首をかしげながら聞いてくるしぐさを、当時の僕は愛らしく感じたのだろう。

「かわいい」
「かわいい?」

 好きと返す代わりに、僕は毎回、そのように返すようにしていた。そうすればその場はしのげるし、凛奈もまんざらではない表情を浮かべてくれたから。

「あたし、かわいい?」
「うん。りんちゃんは、かわいい」

 回答になってない、などと眉をひそめるでもなく、もじもじと手を組んでにまにまする幼女。

「ゆうくんは、かっこいいよ……」
「かっこいい……?」
「うん」

 凛奈は僕をほめた。が、

「モエルンジャーよりも……?」

 当時の「かっこいい」の頂点がニチアサの戦隊モノだった僕は、無粋にもそんな質問をした。

「うん。モエルンジャーより、かっこいい……」

 返答に大変満足した僕は、いい気になって変身ポーズを決めまくった。凛奈はそれを見て魔法少女に変身した。先生や保護者の間でウワサの仲良しカップルだった。

「やーい、モエルンジャーにマホリン。おれがやっつけてやる~」

 そんな僕らを見かけると、これまた戦隊モノ好きな同級生の天野薫(あまの・かおる)が、悪役として立ちはだかった。ものずきなことに彼は決まって悪役になりたがる。

「でたな、かいじんカオリック!」
「ははは~。かかってこい~!」
「けんかは、だめ!」

 僕と薫がヒートアップして、マホリン化した凛奈が魔法のごとき言葉で鎮静化させるまでが、このごっこ遊びのテンプレだった。

 それにしても、好きってなんだ?

 自分の中に漠然とした疑問がわだかまる。その疑問を解消できないままに、時間は進み、やがて僕らはごっこ遊びをしなくなっていった。

第2話「月が綺麗ですね」


 僕らはそのまま小学校へ進学し、凛奈はプロポーズをやめた。

「ユウキ。また本読んでるの?」

 ただし一緒にいる時間が減ったわけではない。
 他クラスであるにも関わらず、凛奈は休み時間のつど僕のクラスへ足を運ぶ。
 そんな日常を低学年から高学年まで続けていた。

「ああ。ちょいと、夏目漱石をね」
「へー……」

 運命的な出会いだった。
 小学校の授業で受けた国語の授業。その中で沢山の文豪たちの作品に出合った僕は、彼らの表現技法に強く関心を覚えたのだ。

(何でここではこんな表現をするんだ……?)

 彼ら彼女らは迂遠な言い回しで恋人への「好意」を伝えた。それのどこがどこでどうなって「好き」なんだ? 正直言って、教科書や参考書を読んでもよく分からない。

「じゃあ、ユウキは坊ちゃん、だね」
「……」

 自分の中で相も変わらず『好き』の正体が掴めていなかった僕は、なぜそんな回りくどい言い回しをするのかとても気になった。

「ユウキのこと、これから坊ちゃんって呼ぼ」
「……」

 なぜなら僕は、凛奈と月が見たいと思っていたから。

「んもう、無視しないで! 坊ちゃん坊ちゃん坊ちゃ――」
「リンナ」
「――ん……なに?」

 僕は手にしていた「こころ」をぱたりと閉じる。

「9月17日の夜って、空いてる?」

 その日は十五夜。地域のお祭りがある日だった。

 来たる9月17日の夜。どんどん、がやがやとしたお祭りの喧騒に包まれながら、僕はどこかそわそわとした気持ちで彼女を待っていた。

 母に祭りへ行くことを伝えると『珍しいわね、優樹がお出かけしたいだなんて』と言って喜んだ。今思えば、僕が自分から何かをしたいと伝えてきたことが嬉しかったのだと思う。同行者は凛奈であることを告げると、これまた大層なにこにこ笑顔になった。

(なんでこんなにドキドキするんだろう)

 しばらくうわの空になっていると――

「ごめん。待った?」

 待ち人はほどなくして現れた。
 彼女は浴衣姿。見慣れないかっこうに思わず胸が跳ねる。

「可愛い」
「えっ」
「そして、綺麗だ」
「……」

 凛奈は恥じらいを覚えたのか、この頃は好きだのかっこいいだのと僕には言わなくなっていた。対して僕は、確信を得た自分の気持ちは端的に表現する。

「そういうの、簡単に言っちゃうよね、キミ」
「坊ちゃんだからね」
「言い得て妙……」

 合流したところで「どこを回る?」と彼女が聞いてきた。僕は不思議を覚えて首をかしげる。

「どこか回るのかい?」
「え。屋台とか行くんじゃないの、こういう時」

 互いに意表を突かれたような反応。ドキドキに耐えきれなかった僕は、さっさと提案を押し通すことにする。

「公園行こう。今なら人気もそれほどない」
「うん?」
「月を見よう」

 不思議がる凛奈の手を引いて、公園へ向けてゆっくりと歩き出した。やたらと彼女の手が熱を帯びているように感じたが、「風邪だったりする?」と聞いたら無視された。

「ほら、穴場だろ」

 うす暗い公園には祭りの熱にあてられた人がまばらにいるだけで、空いていた。

「座ろう」
「うん……」

 二人してブランコに腰かけ、空を見上げる。
 快晴の夜空にぽっかりとお月様が浮かんでいる。
 十五夜の夜。言うまでもなく、満月だ。

「……」
「……」

 しばし沈黙。

「……ねえ、なんか話してよ」
「綺麗だ」
「そ、それはさっきも言ったじゃん」
「月が、綺麗だ」
「ああ、そっちね——はっ!?」

 月を見続けていると、隣のブランコに座る凛奈は何かピンときたように小さな悲鳴を漏らした。

「どうした?」

 見やるとうす暗い中でもはっきりと分かるほど、普段は白い頬を朱に染めている。
 ただ、どうしたと問うてもうつむいて、返事はない。
 だから代わりに質問をする。

「リンナは、どう思う?」
「わ、私も、綺麗だと思う……」

 返ってきたのは震える声。それから、僕を見るその目には、うっすらと涙が溜まっていた。何かしらの感動を覚えたらしい。

「そうだよな。僕もそう思う。リンナと同じ気持ちさ」
「ユウキ……」
「だからさ、ほら。もっとよく見ておこう」
「うん」

 そうして再び、僕らは同じ空を見上げた。
 しばし月の美しさに呆けていると。
 ふと、左手に熱を感じる。

「ユウキ」

 熱の正体は凛奈の右手。
 ブランコごと僕に身体を寄せて、手を握っていたのだ。

「私のこと、好き?」

 それはいつの日からか繰り返されてきた質問。
 あの日と同じように、少しだけ不安げな彼女の声色。

「……可愛い」
「……んもう」

 僕の返答に不満気な凛奈は、僕の手を握る力を少しだけ強めた。
 もうあの頃とは違って、都合よく喜んでくれはしない。

 ごめん、凛奈。
 それでもまだ、僕はお決まりのセリフで逃げるしかないんだよ。

第3話『君にはずっと、僕だけを見ていて欲しい』


 中学に上がり、文芸部に入った。
 当然のように凛奈も同じ学校だったが、部活にまでついてくることは無かった。
 彼女が入ったのは吹奏楽部。

『ふふん。私が隣に居なくて寂しいかっ』

 それでも関わりは続く。親から支給されたスマホで、夜中にこうして電話することもしばしば。

「ああ。寂しいよ」

 僕はずいぶんと、自分の心を知れるようになっていた。
 数多の感情には名前があり、それらを知っていくことで心の自由度が増していく。

『……そういうとこ、変わんないよね』
「そうかな」
『でも、前よりも色んな事を言ってくれるようにはなった』
「だろう。鍛錬しているからな」
『鍛錬?』
「そう。部屋に引きこもって、机と向かい続けている」
『……ガリガリになりそうな鍛錬だ』

 ハンズフリーの会話はなおも続く。
 
『それで、今日はどんな鍛錬?』
「今回は寂しさを題材にした鍛錬だよ」

 鍛錬。つまるところ、それは短編小説の執筆である。
 文芸部として創作活動を課せられている僕は、毎日毎日、机と向かい続けている。
 心の自由度の高まりは、その鍛錬の賜物だ。

『私と会えない時の寂しさを題材にしてるの?』
「まあ、そんなところ」
『今から会いに行ってあげてもいいんだよ?』
「それじゃあ鍛錬にならないだろ」
『……』

 電話口の向こう、口をへの字に曲げる凛奈が見える。
 構わず続ける。

「今回の小説、出来が良かったら演劇部に使ってもらえるらしい」
『あー、どうせまた薫が悪役やるんでしょ』
「そうだと思う。あいつも相変わらずだな」
『ほんとそれ』

 幼稚園からの幼馴染である薫は演劇部に入り、なおも悪役を演じている。
 その演技力は迫真のもの。
 
「あいつの悪役っぷりはプロレベルだ。こないだは芸能記者が来た」
『怪演の天野薫だとか呼ばれてるらしいね』
「……詳しいんだな」

 地の底から心を掴まれたような気持ちになり、僕は思わず嫌味っぽく言ってしまう。
 凛奈から他の男の話題が出るたびこうだ。

『別に。みんな知ってることでしょ』
「……そっか」

 心の中で、黒い炎が燃える。ぞわぞわ、ぞわぞわと。
 そんな心情を、そのままB5ノートに書き綴る。
 シャープペンシルが心地良い音をたてながら紙の上を踊る。
 僕が黙ったままでいると、彼女もまた沈黙で応えた。

『……私ね。今、優樹がどんな気持ちでいるか想像してた』

 しばらくして感情のたたき台がページに形を成した頃。
 凛奈が口を開き始めた。
 シャープペンの音がしなくなったことから、ひと段落ついたことを察したようだ。

「どんな気持ちだと思うんだ?」
『聞くの? 意地悪だね』
「参考までに聞かせてよ」
『……もしかしたら、私のただの願望かもしれない。だから言いたくない』
「そうか」

 対して僕は彼女の気持ちを想像する。
 そうしたら不思議と、僕もそれ以上は聞かない方が良い気がした。

『気にならないんだ?』
「気にはなる」
『じゃあ、もっとしつこくてもいいんじゃない?』
「君の願望が予想通りで、僕も同じ願望を抱いていたとしたら、聞かれたくないかもなって」
『……ううん?』
「大丈夫。答え合わせはできる。今度の舞台を見れば」
『おっ。力作になりそうですか、先生』
「どうかな。僕はまだまだ坊ちゃんだから」

 とは言いつつ、確信があった。
 これは演劇部に使ってもらえるだろう。

『その言い回し、気に入ってるね』
「うん。坊ちゃんだから早く寝ることにするよ」
『ふふ。分かった。じゃあ、また明日』
「また」

 通話を切ると、なぜか少しだけ楽になれた。
 目の前には居ないのに、か細い糸で繋がっている気がして、電話は余計にいけない。

 スマホを充電機とつなぎ、机の上に飾る写真立てを見る。
 入学式の日に撮影してもらった、凛奈とのツーショット写真だ。

「よし」

 覚悟を決め、本格的な執筆のためにノートPCを起動する。勝負はここからだ。
 この作品で、僕はまたひとつ彼女への想いを伝える。

 迎えたその日。
 僕と凛奈は二人で学校近くの公民館にて演劇部の舞台を鑑賞した。
 演者のあいさつまで見届け、その場を後にした。

「どうだった?」

 出来が気になりすぐさま凛奈に聞いてしまう。

「すごく良いお話だった」

 思惑通り僕の小説は原作として採用された。
 遠距離恋愛の二人が試練を乗り越えて結ばれる物語だ。

「どこが良かった?」
「ふふっ……主人公が負の感情に飲み込まれそうになって泣き叫んでたところ」

 この物語の肝は遠距離恋愛の辛さの描写にある。

 会えない間でもヒロインのことを想ってしまう主人公。
 彼はそれ故に悶え苦しむのだ。

『君が僕の目の前にいない間……他の男と一緒に居るんじゃないかとか、寝取られたらどうしようとか……そんなことばかりが頭の中を埋めつくすんだ』

 作中でのセリフである。

「特に印象に残った一言は『君にはずっと、僕だけを見ていて欲しい』かな」

 凛奈は少し恥ずかしそうに語った。
 ちなみにこのセリフ、『縛ることなどできないのに、そう期待せずにはいられないんだよ』と続く。

「答え合わせはどうだった?」
「……どーだったかな」
 
 凛奈はりんごみたいに顔を真っ赤にしている。
 やたら熱いのだろう。うちわで顔をあおいでいる。

「ずるいね。僕は頭の中をさらけ出したみたいなものなのに」
「私のこの顔が答えなんだけど」
「真っ赤だね」
「知ってる? あなたの顔も今、真っ赤だってこと」
「……」

 平静を装っているが、この時の僕は相当に恥ずかしかった。
 作中の主人公の気持ちは、僕が凛奈に抱くものと同じ。

 彼女と会っていない間の僕は、他の男にとられやしないかとか、僕だけを見ていて欲しいだなんて気持ちで頭の中がいっぱいになっている。

 文章にするのも恥ずかしい、エゴまみれの僕。
 でも、凛奈は僕にそんな風に想って欲しいと願っていた。

「私と会っていない間も、優樹は私のことでいっぱいなんだね」
「いっぱいだ。凛奈を僕だけのものにしたい」
「わ、私はものじゃないし」
「分かってる。だけど、そう思ってしまって仕方がない」
「もー、言い方ストレート過ぎるから……」

 並んで歩く帰り道。
 誰もいないのを確認すると、凛奈は僕の手を握り、指を絡める。

「優樹、私のこと好き過ぎでしょ」
「……ところでこれ、どっちの回答が正解なんだろう」
「この期に及んで話題逸らします?」

 怪訝そうなジト目を向けられながらも、二人仲良く帰路についた。
 互いに見えない回答用紙を破り捨てるようにして、他愛ない会話へと話題がうつる。

 しばらく何の気なしに歩いていると。

「……?」
「どした?」
「いや、なんでも」

 途中、なじみのある気配を感じた気がしたが……恐らく気のせいだろう。

第4話「私、プロポーズされちゃったの」


 そんなこんなで僕らは大人になっていった。
 大学在学中から作家としてデビューした僕。
 音楽を続けながら学生生活を謳歌する凛奈。

 通う学校は違ったが、凛奈が僕の家に頻繁に足を運んでいたため、ほぼ毎日顔を合わせていた。

 口約束も何もなくとも。
 僕たちはもう、恋人のようなものだった。

 充実した日々が続くそのさなか、事件が起こる。

「待たせたかな、凛奈」

 夕暮れ時に呼び出された僕。
 彼女から大事な話があるとのこと。

「ごめんね、こんな時間に」

 待ち合わせ場所の公園には学校帰りの彼女。
 大学生になった彼女は、周囲から羨まれるほど美しくなっていた。
 ミスコンに推薦され、広報誌に掲載されるほどの美貌だ。

「いいよ。ところで、話って?」

 自販機で買ったホットココアを手渡し、ベンチに腰かける。

「実は……私、プロポーズされちゃったの」

 僕は飲んでいた缶コーヒーを吹き出してしまった。
 唐突過ぎて吐血したみたいになった。

「だ、誰に……!?」
「薫」
「は!?」

 薫は今や、名俳優として名をとどろかせている。
 彼と結婚すれば、もしかしたら凛奈は一生幸せかもしれない。
 僕も小説家として稼いではいるが、彼と比べればしがない物書きに過ぎない。

「……どうするんだ?」
「……どうしてほしい?」

 どうしてほしい?

「私、こうやって毎日のように優樹の家に来てるし、寝泊りだってする」
「……」
「私はずっと、ずっとずっとずっと優樹のことが大好きだけど、でも、交際宣言をしているわけでもなければ、キスも、それ以上のこともまだしてない……」

 凛奈は険しい表情で続けるが、僕には彼女が何を言わんとしているのか分からない。

「だって私、まだ優樹の口から聞けてない。私のこと――」
「スト~ップ。いったん話はそこまでだ」
「「薫!?」」

 話し込む僕たちの目の前に、スーツ姿の薫が現れた。
 交流は続けていたが、この頃はお互いに多忙で会う機会が無かった。

「久しぶりだな、優樹」
「薫……」

 僕は凛奈を庇うようにして前に出る。
 薫は一段と風格が増しているように見えた。

「おやおや、なんだよ敵を見るような顔をして」
「いきなり凛奈にプロポーズなんて……どういうつもりだ?」
「どういうつもり、だと? それはこっちのセリフ」

 見下すような視線を向けてくる薫。
 高身長で顔が整っているため、さまになっている。
 分かりやすく言うといけ好かない。

「明言を避け、のらりくらりと告白を先延ばしにして……凛奈がかわいそうだと思ってね」
「……ッ」
「俺よりぜんぜん稼いでもいない上に、大して面白い作品を生み出しているわけでもないくせに……凛奈の好意を独占し続けるなんてありえない。凛奈が不幸だ」

 勝手に決めないでほしい。
 決めないでほしいが、正直、一理ある。

「こんなに可愛くて美しい立派な女性を、いつまでも放っておくわけにいかないだろう? 俺ならいつだって君の一番欲しい言葉をあげられるし、何でもしてあげるよ? り・ん・な♡」

 キザったらしく薫は言うと、僕の後ろに隠れる凛奈に手を伸ばす。

「嫌、来ないで……!」

 凛奈は小さく震え、僕の背中をぎゅっと掴んだ。

「止めろ。凛奈に触るな」

 僕は薫の伸ばした手を払いのける。

「なぜだ? 凛奈は別に君の好きな人というわけでもないのだろう」

 薫の問いにたじろぐ。
 ここで言ってしまえばいいのかもしれない。
 でも、こんなところで言ってしまえるほど、僕のしたためた凛奈への気持ちは安いものではない。

「大切な人だ。ずっと一緒に居たい、大切な人。結婚して、死ぬまで一緒に居て、幸せにしたい人だ」
「ゆ、優樹……!?」

 だから今はこれで精一杯だ。

「凛奈、こんなタイミングでごめん。順番が滅茶苦茶だが……僕と結婚してくれないか?」
「へ……? ええええええええええ!!?」

 僕がひざまずくと、凛奈は絶叫した。
 突然目の前に婚約指輪が現れたからだ。

「ははは。付き合ってもいないのに結婚!? 笑わせる」

 自分のことは棚に上げて嘲笑する薫。
 しかしすぐにその笑顔は引きつることとなる。

「そのための準備ならもう整えた」
「は……?」
「式場も押さえてあるし、凛奈さえ良ければすぐにでも挙式は決行できる」
「なん……だと……?」

 予想外過ぎたのか、フリーズする薫。

「どうした? 台本に書いていないことには対処しようがないのかい? 一流俳優さん」
「くそ……俺のアドリブ力をなめるなよ、二流作家ふぜいが!」

 言うや薫はずびしぃ! と僕に指をさす。

「君たちの友人代表スピーチをしてやろう」
「は……?」
「優樹。君が見事な結婚式のシナリオを描けたのなら、俺は最大限の祝福を贈ってやる。ただし、それができないのなら……君たちの挙式を滅茶苦茶にしてやる!」
「そ、そんな……ひどい」
「良いだろう、受けて立つ」
「優樹!?」
「はっはっはっは! 威勢だけは良いねえ、二流作家くん! じゃあ、楽しみにしているよ」

 薫はくるりと背を向けると、高笑いしながらその場を後にした。

「凛奈、勝手なことをして本当ごめん」
「……ほんとそれ」
「同じ気持ちでいるなんて、本当の意味で解るはずないのにな」
「でも、信じてくれたからここまで準備してたんでしょ?」

 そうだ。彼女の言う通り。
 僕は彼女と同じ気持ちでいると確信していた。
 だからこそここまでやった。

「私、小さい頃の約束、ちゃんと覚えてるよ」
「凛奈……」
「だから嬉しいの。どんな形であれ、優樹からプロポーズしてもらえて」

 そう言って彼女は僕と正面から向き合い、抱きしめた。
 僕は大人げなく泣いた。

「私、優樹のプロポーズを受けるから」
「ありが……!? いたひ、いたひ!」

 突然、頬を引っ張られた。

「その代わり、さいっこーの結婚式にしてくれないと、死ぬまで根に持つんだからね!!」
「は、はひ……」

 こうして僕のプロポーズは成功した。
 最難関はここからだ。

第5話「僕は、あなたが――」


 結婚式当日。
 進行は滞りなく進み、いよいよ山場となった。
 親族を始め、友人、出版関係者と幅広いメンツが会場に並ぶ中。
 挙式の成功を左右する『物語』が始まる。

「それではここで、新郎様の想いを綴った特別ムービーを披露いたします!」

 会場はうす暗くなり、スクリーンにテロップが浮かぶ。

『すべてはあの頃から始まった』

 それから音楽と共に写真が映し出され――
 現れたのは、変身ポーズを決めた幼い頃の僕と、凛奈。
 無邪気なあの日の僕らに会場から笑いが漏れる。

 ——あはっ、小さい頃の優樹と凛奈じゃん!
 ——仲良しだったよなあ、昔から。

 昔からの友人たちがささやき合う。

『ケッコンの意味も分からないまま、プロポーズをされたあの頃』

 両手を繋ぐ僕と凛奈の写真。

『君の喜ぶ顔が見たくて、無意識に了承していました』

 隣に座る凛奈と目が合う。口元を軽く押さえ、瞳を涙で潤ませている。

『好きの意味も分からないくせに、プロポーズを引き受ける、軽薄な男の子でした』

「ほんと、それ……」
「ははは」

 小声で笑い合う、僕と凛奈。

『月見に誘った十五夜の夜』

 画面には、祭りの日の二人。

『好きが何たるかは分かっていなくっても、凛奈と月が見たいと思ったのでした』

 ——作家っぽい!
 ——さすが、優樹さん。

 出版関係者からの声が聞こえる。

「はは。凛――」

 隣を見やると、凛奈はもう既に泣いていた。

 それでもまっすぐ、スクリーンから視線を外さないでいてくれる。
 あの日、月を一緒に眺めていた時のように。

『年頃になり、一緒に居ない時間も増えましたね』

 中学生の二人。
 文芸部の仲間と僕との写真と、吹奏楽部の一団の中の凛奈の写真。

『あなたと会えない事の寂しさを沢山味わうことになりました。でも、そのおかげで立派な作品を書くことができました』

 演劇部の舞台に使われた、僕の原作小説。
 気になって会場の一席を見やる。
 薫の表情は――

 ——うぅ……。

 えぇ、泣いてる!?
 思わず立ち上がりそうになるが、とりあえず座っておく。

『心が不自由な僕に、あなたが自由をくれました』

 次々と映し出されていく、僕らの日々の写真。
 僕自身も思い出して感慨深くなる。

『あなたに抱く感情の正体を知りたくて、辞書を引き、小説を読み、創作に明け暮れた日々が、僕を作ってくれました』

 僕の人生は、凛奈無しでは語れない。

『そんな僕から、改めて伝えたいことがあります』

 そこで映像はぷつっと途切れ、会場が一瞬闇に包まれる。

 かと思えば、その数秒後にはスポットライトが差す。
 光差す場所は、新郎新婦席の前、僕らが立つ場所だ。

「凛奈」
「はい……」
「可愛いね」

 不意に出た一言に、会場が一瞬だけほころぶ。
 凛奈も照れくさそうに僕の肩を叩いた。

「凛奈」
「はい」
「ずっと待たせてごめんなさい」
「……」

 僕はずっと、好きと伝えることができなかった。

「どうしても僕の中で、好きという気持ちが何なのか、分からないままでした」

 好きという言葉は曖昧で、僕の中で何が『好き』なのか分からなかった。

「確信が得られないことを、凛奈にだけは伝えたくありませんでした」

 彼女にだけは誠実で在りたかったから。

「結局のところ、いくら言葉を尽くしても、この想いを伝えるのには無理がありました」

 だけど、それでも。

「それでも、数多の感情や心を言葉にしていく中で、僕は辿り着きました」

 目の前の凛奈が、まっすぐに僕を見つめる。

「あなたの笑顔が見たい。あなたと月が見たい。あなたを誰にも渡したくない。あなたを幸せにしたい……。そんな気持ちの全てが、一つの言葉に集約されるということに」

 負けじと彼女の目を見つめ返す。喜びに潤ませる、その瞳を。

「凛奈。僕は、あなたが好きです。そして、愛しています」
「優樹~~~~~~~!!」

 感極まった凛奈の声がマイクに届き、若干ハウリングする。
 僕はマイクを切り、跳び込んでくる彼女を受け入れた。
 会場中から大きな拍手が鳴り響く。

 凛奈と抱き合ったまま視線を浴びる。
 みんなが席を立ち、僕らを見つめている。

 ハウリングしたことなんて気にも留めないと言わんばかりの、盛大な拍手だった。

 その後、結婚式は無事にお開きに。

「お疲れ様、凛奈」
「お疲れ様、優樹」

 ここはホテルの一室。僕と凛奈はまったりとした時間を過ごしている。

「結局、薫は面白いスピーチしただけだったよね」
「そうだね」

 スタンドマイクの前に立った薫は、まさに名悪役だった。

『俺は、綺麗で美人で優しくて一途な凛奈に好かれる優樹がうらやましい……畜生、こんな素晴らしい結婚式を挙げやがって……!』

 そんな具合で続いた彼のスピーチは、最後には『覚えてろよ! 今日というこの日を!』というセリフで締めくくられた。

「会場中が爆笑だったな」
「ほんと! 空気が一変したよね」

 察するに、あいつは僕のためを思ってけしかけてきたのだと思う。
 初めから邪魔するつもりなどなかったのだ。

「いい友達だよ、ほんと」
「悪役だけどね」
「それな」

 肩を揺らして笑い合う僕ら。
 ベッドに腰かけ、並んで寄り添っている。

「は~、本当に嬉しかったよ、優樹」

 言いながら、凛奈は僕の手を握る。
 シャワーを浴びたばかりで温かい。いい匂いもする。

「そう言って貰えると僕も嬉しいよ」

 僕も返事をするように彼女の手を握り返す。
 互いに脈拍が上がっているのが分かる。

「……で、でさ、凛奈。今日は初夜なわけですが……」
「そうだよ。初夜だよ!」
「……元気だね」
「当たり前」

 彼女は言うやいなや、僕の身体をベッドに押し倒す。

「優樹、言ったよね? いくら言葉を尽くしても無理があるって」
「う、うん。言った」
「じゃあ……もう言葉以外で尽くすしかないよね」

 見下ろしてくる彼女の圧力に、ごくりと息をのむ。

「散々待たされたんだから……今日は寝かせてあげない」

 根には持ってるんだな――

 そう言おうとした口元は、柔らかい感触に塞がれて。
 僕らはその夜、主に非言語で語り合った。

最終話「晩御飯はうなぎにしましょう♪」


 それから数年。

「優樹。はい、コーヒー」
「ありがとう」
 
 マンションの一室にて。
 僕らは仲睦まじく夫婦としての生活を送っていた。

「ママー、あたしもー」
「樹奈(じゅな)にはルイボスティーね」

 そして二人の間には、愛娘もいる。

「樹奈~」
「えへへ」

 ソファに並んで座る愛娘を撫でる
 目の中に入れても痛くない、僕らの愛の結晶だ。

「ママにもなでなでさせて~?」
「えへへ~」

 僕と凛奈で樹奈を間に挟んで座る。
 左右から頭を撫でられる愛娘。
 されるがままになっているが、その表情はニコニコと嬉しそう。

 作家としての仕事も楽しみつつ、父親として過ごすこんな時間も充実させている。
 控えめに言って最高の人生だ――

「あっ」

 その時、ルイボスティーを飲んでいた樹奈の手からコップが滑り落ち、飲料が床に広がる。

「うわああ~~~ん!!」

 樹奈は泣き出してしまった。

「あら、大丈夫よ~。ママがすぐに拭いてあげる」
「ごめんね、ママ……」
「また注いであげる。はい、コップを置いて――」

 凛奈が床を拭いてくれている間、僕は樹奈のコップに新しい飲料をそそごうとした。

「……」
「?」

 しかし樹奈の表情は浮かない。
 いつもはありがとうと言ってくれるのに。

「どうしたんだい、樹奈。なにか嫌なのかい?」

 樹奈はうつむく。

「悲しい? 切ない? 辛い?」

 選択肢を与えるが、どれにも彼女は頷かない。
 恐らくピンとこないのだ。

 樹奈は基本、凛奈に似ている。が、こういうところは僕にそっくり。

「……ママの入れてくれたお茶が、なくなっちゃったのが嫌?」
「うん」
「そっか、なくなっちゃったのが嫌だったんだね」

 また注げば良いかもしれない。
 でも、樹奈にとってこぼれたお茶は、ママが注いでくれた大切なお茶だったのだ。

「樹奈は優しいね」
「やさしい?」
「そう、優しい」

 僕は愛娘を抱擁し、確信した。
 きっとこの繊細さは心の豊かさにつながる。
 だから――

「樹奈はこれから、とっても自由になれるよ」

 凛奈が僕の心を作るきっかけとなったように。
 今度は僕と凛奈が樹奈の心を自由にしてあげたい。

「背中に羽が生えて、お空を飛べるようになるかも」
「え~!?」
「ふふふ。パパは魔法使いだからね……ほら、樹奈」

 樹奈に視線で前を見るよう促す。

「あっ、あれ!?」

 そこには元に戻ったかのようにコップに注がれたルイボスティーが。

「ママの魔法よ」
「ママも、魔法使い!?」
「そう」

 凛奈がムフフと笑う。樹奈の目が輝く。

「じゃあ、あたしも!?」
「そう。使えるわよ、魔法」
「可愛い可愛い、魔法少女だ」

 僕は再び樹奈の頭を撫でる。

「……」

 それを見た凛奈が一瞬、もの欲しげな視線をくれる。

「凛奈も可愛い」
「……ふふ。それから?」
「可愛いし、大好き。愛してる」
「……私も、優樹のこと大好き。愛してる」

 凛奈の瞳がとろんとして、僕はうっかりキスをしてしまいそうになる――

「パパ、ママ、あたし、いもうとほしい!」
「「!?」」

 そこに飛び込んだ樹奈の一声。
 僕らは思わずたたずまいを正す。

「あたし、おねえちゃんになりたい!」
「そ、そっか」

 ちら、と凛奈の顔を見る。

「ふふん。晩御飯はうなぎにしましょう♪」

 ヤル気だった。

「すぐにお姉ちゃんにしてあげるわ、樹奈!」
「ほんと!? やったあ!」
「は、ははは……」

 どうやら今夜は眠れそうにない。

 柔らかな陽射しの差し込むリビングに。
 僕らの明るい声は賑やかに続いていくのであった。

<了>

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