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曲がったキュウリにも真っ直ぐなキュウリにもなれない私へ(ネタバレ含む感想)

  ハイローワーストを見た。相変わらずキレッキレのアクションとキャラの大渋滞、どうやって撮ったのか良く分からない迫力の映像などハイローに求めている要素が全部乗せでとても楽しめた。そして相変わらず治安がメキシコ並み。

  今回はストーリーもとても良かったと思う。村山さんの大人への一歩と轟くんの成長譚、そして新世代組のデビュー戦として話がまとまっており、それぞれの魅力が出ていた。

  ハイローは「全員主役」のキャッチコピーに恥じない映画のため登場人物全員を好きになってしまったのだが、全員の感想まで書くと流石に文字数が足りないので、今回な特に私が好きになってしまった誠司に焦点を当てた感想を書いていこうと思う。

  今回の映画は、道を外してしまった友人の目を覚まさせるために頑張るその幼馴染みたちという、絶望団地の幼馴染み組を主軸にしたストーリーである。

  絶望団地の幼馴染み組は、幼馴染み組のお兄さん枠のオロチ兄弟、喧嘩ばかりで馬鹿だが人情味に熱い王道少年漫画主人公の楓士雄、引っ込み思案で家族思いだがそれゆえに道を踏み外してしまった新太、度胸と優しさに溢れる紅一点のまどか、そして頭の良さから新学校に通うが幼馴染み思いの誠司の6人というメンバーである。

  鳶職をしてもう働いているオロチ兄弟や不良まみれ治安最悪な鬼邪高に通う楓士雄は喧嘩する描写も多いのだが、誠司には喧嘩をする描写はない。むしろ幼馴染みたちから「お前はこういうやり方(喧嘩)じゃなく生きられるんだから」と言われる立場だ。それゆえエリート街道に乗れそうな誠司を幼馴染みたちは「絶望団地(低所得治安最悪育ちの悪さの代名詞的な存在)の希望」と呼ぶ。
  それはまさにその通りで誠司は県内随一の新学校に通っており、その学校の中でも成績トップという他の幼馴染みたちとは違う道を歩んでいる。大体そういう設定の人物や実際そういう風になった人物などは得てして今まで交友を持っていた不良たちと距離を置こうとし始めるのが多いが、誠司は幼馴染みたちが大好きなのでそんなことはしない。楓士雄の鬼邪高での勢力争いの話を楽しそうにニコニコと聞く。むしろ自由に生きている彼らを羨ましがるところさえある。

  この映画の中で誠司の一番の見せ場はキュウリ演説だ。道を誤った新太を止めようとヤクザ崩れが根城にしている絶望団地へ向かう楓士雄たち鬼邪高を馬鹿にする2名のクラスメイトが登場するのだが、誠司はその内の1人を「何も知らないくせに勝手なこと言うなよ」と殴ってしまう(このときの殴り方が非常に堂に入っているので恐らく誠司は喧嘩をしないだけで喧嘩自体はできる)。そしてそのことが原因で先生に呼び出され、誠司はキュウリ演説をぶちかますのだ。

  キュウリは絶望団地育ちの子どもたちにとって思い出の食べ物だ。団地近くにある原沢商店は幼馴染み組の溜まり場であり、集まったときは必ず曲がったキュウリ(恐らく自前の畑からそのまま取ってきたのか?)を出されていたからだ。だからキュウリが出てきたらみんなボリボリ食べる。私はキュウリ嫌いなので戦慄である。

  話を戻そう。キュウリ演説である。クラスメイトを殴るという暴挙(と教師は思っている)を犯すとは到底思えない優等生の誠司に対して、教師は「鬼邪高の連中とも付き合っているようだし(もう奴らとは違うのだから縁を切れ)…」的なことを言ってくる。誠司の地雷である。
  そのとき、誠司は教師の言葉を遮って大きめの声で「スーパーに並んでいるキュウリってどれもこれも真っ直ぐですよね!?」とカウンターをかます。突拍子もない話を大きめにするという見事なカウンターである。教師困惑。そりゃそうだ。しかし教師の困惑を放置しながら誠司のキュウリ演説は続く。
  そこで誠司は自由にのびのび育っている幼馴染みたちを曲がったキュウリ、誠司たち大人に対しての良い子として矯正された子どもを真っ直ぐなキュウリと例える。スーパーに並ぶときと一緒だが真っ直ぐなキュウリの地位というのは、曲がったキュウリを貶すことで成り立っている。しかし、自由に育っているだけの曲がったキュウリは貶される覚えなどないし、真っ直ぐなキュウリたちにレッテルを貼る権利もないのだ。そして誠司は曲がったキュウリである幼馴染みたちが大好きだから、むしろ曲がったキュウリになりたかったのだと言う。
  でも誠司は絶望団地の希望なので、真っ直ぐなキュウリになろうとする。しかしそれは周りの大人たちが矯正しようとして真っ直ぐなキュウリになるのではない。誠司は、自分の意思で、1番良いスーパーの1番良い場所に並ぼうとするのだ。

  このキュウリ演説は教師に対しての申し述べというよりも、誠司の意思表明である。

  自分はお前たちに言われるからこう育つのではなく、自分の固い意思でこう育つのだ!という意思確認。だからこそ最後に「先生!僕は大丈夫です!」という教師大困惑台詞を吐くのだ。意思確認ができて、自分の道を再度決められたから「大丈夫」と言うのだろう。

  私は真っ直ぐなキュウリになることが楽だったので、そっちよりだった。あんまり先生に文句も言われないし、親からもそこまで怒られない。しかし、人並みに反抗期もあったので曲がったキュウリだった時期もある。でもそれもしばらくすれば落ち着くので真っ直ぐなキュウリに戻り出した。そのように私は中途半端なキュウリだ。別にめちゃくちゃ曲がってもいないし、めちゃくちゃ真っ直ぐでもない。

  でも誠司は「楽だから」という理由で真っ直ぐなキュウリをするような器じゃないのだ。自分の確固たる意思で自分の道を決める人なのだ。だから私は誠司のことが好きなのだろう。

  私はのらりくらりと生きて今のところ幸せを感じている人間なので、誠司のような意思の強い人はすごく輝いてみえる。きっと私はこれからも長いものに巻かれながら流れるように生きていくが、それでもなんやかんや幸せに生きていくだろう。多分、誠司みたいにはなれない。そこまで意思を固く持つ才能がない。

  だから誠司みたいな人と出会ったら、その人の力になりたいと思う。「頑固すぎる」といった否定はしないだろう。むしろ輝いてみえるのだから。自分がそうなれなくても、そういう形でその人に近づきたいと思った。

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