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牛乳瓶の中の絶望と希望ーーエルサ・ペレッティとの出会いーー

ティファニーで活躍したジュエリーデザイナー、エルサ・ペレッティは、約半年前、2021年3月に逝去している。そんな故人と、私は数日前、全く唐突に出会った。


体調不良のために、昨年秋退職してからというもの、無収入になったおかげで、私はかなりの節約家になった。初めてフリーマーケットにも参戦した。そして、モノとの関わり方について、色々と考えるようになった。ミニマリストになったわけではないが、少なくとも、大量消費とは無縁になった。世の潮流からはずいぶん遅ればせではあるが…。

ところで、私の健康状態の方はというと、今年の2月くらいから、脚の関節痛を中心とする全身的な体調不良が進行して、日に日に歩くことが困難になっている。今や、エレベーターのない団地の5階までの階段の上り降りが壁となってはだかり、ちょっとした買物に出るにも多大の勇気を振りしぼらねばならない。自転車もまともにこげず、立っていることすらおぼつかないのだから、正直身体だけでなく、精神的にもかなりつらい。病院のあらゆる診療科で検査という検査を受けたけれど、目立った所見が出ず、医師たちも首をかしげるばかり。整形外科の医師から線維筋痛症かもしれないとか、半月板損傷の疑いがあるとかいったコメントはあったけれど、確定診断には至らない。自分で、身体症状症(以前は転換性障害などと呼ばれていた)かもしれないと思い、心療内科の医師にそう言ってみたところ、そういう病気の人は自分からそうだとは言わないよ、と笑われてしまった。

でもともかくも心身一如。私のこれまでの60年間の心のありよう、物事や環境の捉え方、人への感情のあり方、生活習慣…そういったもろもろのことが、今ブワーッと噴き出している、表面化している、そんな感じがするのだ。角度を変えると、さまざまな問題について、身体が痛みという形で懸命に何かを訴えてきている、そして心身に根本的な変容を迫っているように思えてならない。私の余生があとどのくらいあるのかはわからないけれども、家族との関係性を含め、今、大きな岐路に立っていることだけは確かだ。もし、この節目を何とか生き延びることができるとしたら、生まれ変わるくらいの覚悟が求められているのだとも思っている。

事実、身体の痛みと向き合う日々、私の内面で、これまでにはなかったたくさんの気づきや変容が起こり続けている。今はまさに変容のただ中で、登山に喩えるならば、5合目を超えつつある、といった感じだ。ここからの道のりがどのようなものなのか、今は全くわからないのだが、案外清々しい景色を見ることもできるのかもしれない。

そんなわけで、つい一ヶ月ほど前までは、絶望感が私という牛乳瓶をいっぱいに満たしてしまって、完全に「死」へとベクトルが向かっていた。自ら命をどうこう、というのではく、「死」について、自分の人生の終焉について、また、私の死後、子どもたちはどのように生きていくのだろう、といったことについて、毎日のように思いを巡らせていたのだ。よく理解できもしないキルケゴールの『死に至る病』をパラパラと拾い読みしたりもして。何せ、絶望感のために死にそうな気がしていたので、「絶望は死に至る病」というあの有名なフレーズがどうにも気にかかったものだから。

けれども、8月の下旬頃から、ふとしたことがきっかけとなって、いや、そのためかどうかも実は不確かなのだが、なぜか牛乳瓶の中に、少しずつ希望が入り混じるようになり、「生」へと徐々にベクトルが戻ってきつつあるような感触がしている。いつか体調が回復してしっかり立って歩けるようになったら、また働きに出たい。体力の付きそうなヤクルトの配達なんてしてみたいな。旅行にも行きたいし、大好きなスーパージュニアのライブにも行きたい…。そんなことを考える時間が少しずつ増えている。もちろん、もう60歳なのだから、いつかくる「死」は念頭を離れることはないのだけれど、少なくとも絶望の量が少し減って、希望の量が徐々に増えている。私という牛乳瓶の中にカフェラテが入っていて、少し前までは苦めのコーヒーでいっぱいだったのが、最近はマーブル状に乳脂肪率高めの美味しいミルクが入り混じってきて、カフェラテにコクと甘みが増している。

すると、自分でも意外なことに、衣類・ジュエリー・雑貨など、あらゆるものをどんどんフリマで売ったり廃棄したりして、まるで生前整理のように、引き出しがスカスカになるほどモノを手放してばかりだったのに、一年ぶりくらいに、「これ」という選びに選んだ、今現在の私の価値観や感性に照らして、心から「欲しい」と思えるモノを手に入れたいという欲求が結構な勢いで湧いてきているのだ。

最期の最期まで身につけていたいと思えるモノ。数は少なくても上質なモノ。私を心地よくしてくれ、おそらく周囲の人々にも何かしら私の美意識が伝わるようなモノ。それは、必ずしも価格とは比例しない。

そんな今、秋風のせいもあってか、すてきなデニムシャツが無性に欲しくなった。そこで、先週、痛む脚をようやくひきずり、大量の脂汗をかきながら、近隣のショッピングモールへと歩いて出かけた。

何軒かのショップを回って、ついに私の心にも身体にもフィットする一枚のデニムシャツジャケットを見つけた。今年らしいバンドカラーの、ブルーの色も濃からず薄くからずのエドウィンのデニムシャツだった。色合いだけでなく、質感、ゆったりしたサイジング、スナップボタン仕様…みな気に入った。新しい服を買うのは実に久しぶりだ。

その時応対してくれた若手のすらりとした女店員さんが、とても丁寧で感じが良かった。彼女は私の胸元に目を留め、

「すてきなネックレスですね!」と微笑んだ。

「ありがとうございます。めったにない色なんですよ。」  

その日私は、メキシコカンピトス産のターコイズのペンダントを身につけていた。何ともまろやかなブルーグリーンのターコイズで、私のお守り兼アクセサリーだ。

私もまた何げなく、彼女のほっそりとして肌のきめの細かい首元を見た。するとそこには、一目で私を虜にする、小ぶりでシンプルなシルバーのネックレスがきらめいていた。

「なんてアーティスティックで、それでいてさりげない美しいネックレスだろう…。」

そう思いながら、

「あなたのネックレスもとてもすてきですね。」

と言葉を継いで、お会計を済ませ、店を後にした。

帰宅してからも、私の脳裏からは彼女のネックレスの印象的なフォルムが離れない。こうなると、サークルとかシルバーとかのキーワードでネット中を探し回る。しかし、似通った雰囲気のネックレスは出てくるものの、あれほどまでの圧倒的な独創性、シンプルさ、トップとチェーンのバランスを備えた品物は見つからない。

手に入らなくてもいい、ただどうしてもあのネックレスの正体が知りたいと思い、二、三日後、私は思い切って例のショップの店員さんに電話で問い合わせた。はたして、最初こそ彼女はさすがに少し戸惑い気味の様子であったが、誠意をこめて私の思いを伝えると、それがティファニーのネックレスであること、自分が初めて購入したネックレスであること、大切に手入れしながら使っていることなどを教えてくれた。そして、寛大にも、ぜひお揃いでつけましょうとまで言ってくれたのだ。

ああ、ティファニー!そうだったのか。私は妙に納得した。

さて、改めてティファニーのネックレスの中からそれらしいものを検索すると、それは「エターナルサークルネックレス」と通称されているもので、今はもう廃盤で、中古市場にしかないものだとわかった。そして、その作品をデザインしたのは、エルサ・ペレッティという知る人ぞ知る、ティファニーを代表する超有名デザイナーであることを、寡聞にして初めて知ったのだ。あの誰もが一度は憧れるオープンハートやビーンズなどの生みの親だということや、もっと骨太なアートの趣をもつボーンカフなども手がけたといったことも、初めて知った次第。興味が湧いたので、彼女のパーソナリティや人生についても調べてみたが、ウィキペディアに掲載がないのは意外だった。かろうじて、イタリア生まれで、早くからスペインと関わりが深く、今年の3月に、スペインのバルセロナ郊外のとある村で80歳の生涯を終えたという程度の情報を得た。

こうなると、もはやフリマを検索しないわけにはいかない。何ヶ月間かは、健康状態への不安から、何も手につかなかったが、最近また、フリマに出品する意欲が湧いてきて、多少の売り上げがある。早速、良心的な価格かつ状態の良さそうな物を発見し、売り上げ金で購入した。

届いた品物を30倍ルーペ(これはフリマでジュエリーを出品する際の必需品)でよく検品すると、運良くなかなかの美品だ。手持ちのシルバー専用クリーナーで洗浄すると、さらに美しくなった。

感銘を受けたのは、ペンダント部分にティファニーの刻印と並んで、エルサ・ペレッティの筆記体のサインが刻印されていたこと。更には、ネックレスのペタルにも、ペレッティの名とスペインの文字が刻まれている。そんなことは、ブランド物やティファニーに精通している人々からすると、当然至極のことであろうが、ともかく私にとっては新鮮だったのだ。 

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エルサ・ペレッティの筆記体刻印

デザイナーであるペレッティがあの世へ旅立った半年後に、日本の片隅で彼女の小さなネックレスの虜になった60歳の私。一本のネックレスによって、彼女と巡り会うことができた気がした。

これまで、私はおよそブランド品というものにほとんど興味も縁もなかった。しかし、今回初めて、エルサ・ペレッティのデザインした、ティファニーのネックレスであると、はっきりと意識して買い求めた。私の中に胚胎しつつある、新しい「生」への意欲が、彼女の作品に共鳴し、それを手にしたい、身につけたいと切望したのだ。

今私は、あの世へ旅立ったエルサ・ペレッティのアートであるネックレスが、ひと目見た瞬間に、強く明確に何かを私に語りかけてきたこと、そしてこのささやかなusedのシルバーのネックレスを媒介に、彼女の実在を感じることができる不思議に胸を打たれている。

今後このネックレスを身につけるたびに、きっと私は彼女と対話するのだろう。

「数々のデザインで一世を風靡した貴方が、どうして、どんなことを考えながら、スペインの田舎の村でひっそりと生涯を終えたのですか?」と語りかけると、彼女は何と答えてくれるだろうか。





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