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映画のいかがわしさに乾杯しよう!〜『リミッツ・オブ・コントロール』

ジム・ジャームッシュの『リミッツ・オブ・コントロール』は、映画のいかがわしさや御都合主義を徹底的に謳歌しているという点で魅惑的な作品です。

一人の男が、任務を遂行するため「エール・リュミエール」の飛行機に乗って、スペインに飛ぶ。次から次へと現れる連絡者から情報を受け取り、敵のアジトに乗り込んであっさりと一仕事を終える。物語的にはたったそれだけの話です。

「孤独の男」というコードネームをもつ主人公(イザック・ド・バンコレ)がいかなる組織に属しいかなる経歴を持つ者なのか、最後まで明かされることはありません。最初に命じられる任務の内容は「自分こそ偉大だと思う男を葬り去れ」という漠然としたもの。後半になってようやく輪郭をあらわすターゲットがいかなる事情で抹殺されるのかもやはり判然としないまま。

冒頭、空港で孤独の男を任務に送り出す男は言う。この世界は主観的なものだ、だからすべて自分の解釈次第なのさ。──それは、ジャームッシュから映画の観客に向けられた言葉でもあるかのよう。
想像力とスキルを使え。そうだ、これもやっぱり観客に対して発せられた言辞ではないでしょうか。

スペインの地に降り立った孤独の男は、ひたすらスペインの街を歩きます。とにかく歩きます。映画の大半は、彼の街中を歩き回る様子と情報提供者とのやりとりに費やされます。

情報提供者との接触がなされるのはもっぱら屋外のカフェ。孤独の男は必ずエスプレッソを2杯注文します。どうやらそれが情報提供者との間の合図になっているらしい。彼の横に座る情報提供者たちは開口一番決まったように「スペイン語を話せるか?」と訊いてきます。どうやらそれが合言葉。

同じようにコードネームだけを与えられた情報提供者たちはたいていがミネラルウォーターをオーダーし(後半に登場する「メキシコ人」はビール片手にテーブルにつきますが)、情報を忍ばせたマッチ箱を彼に手渡します。もちろんその伝言内容はこれまた観客には明確に示さることはありません。

そして彼らはゴダール映画の登場人物のように、問わず語りに意味深長な話をしては立ち去っていきます。
コードネーム「バイオリン」(ルイス・トサル)は、楽器についてトツトツと語り、「ブロンド」(ティルダ・スウィントン)はヒチコックやオーソン・ウェルズの名を挙げながら映画についてひとくさり喋ります。列車内で落ち合った「モレキュール」(工藤夕貴)は物質の分子について得意気にレクチャーするかと思えば、「ギター」(ジョン・ハート)は絵画に関する自説を開陳します。合間に「想像力を使え」「世界には中心も端もない」といった共通の箴言めいたセリフを口にします。

孤独の男は、彼らの話に付き合いながら、暗号を読み終えるとその紙片を口に入れ、エスプレッソとともに腹の中へと流し込む。情報提供者とは同じようなやりとりが繰り返されるのですが、列車や車で移動しながら次第にターゲットに近づいていきます。

最後にたどり着いたのは荒野の中にポツンと建つ厳重に警備されたアジト。
けれども孤独の男は標的とする「アメリカ人」(ビル・マーレイ)の部屋になんなく忍び込むことに成功します。どうやって入ったのだ、と訊く彼に孤独の男はあっさりと答えます。想像力を使ったのさ。

ブラボー、ジャームッシュ!
ここで生真面目に怒ってはいけません。こういういい加減な展開、肝心な場面をバッサリ省略してしまう御都合主義的な映画に立ち向かうためには、観客もまた自由に想像力を駆使するよりほかにありません。映画とは何よりもありえないことがあり得る世界であり、退屈な現実感よりも愉悦に満ちた虚偽を価値とする世界なのではなかったでしょうか。
ありとあらゆることが作品の中で説明されてしまうあてがいぶちの物語映画が、これまで観客の「想像力」や「スキル」をどれほど殺いできたことか。だからこそ、ジャン=リュック・ゴダールはいうに及ばず、ルイス・ブニュエルや鈴木清順たちが世界の映画史に活気を与え、賑わいをもたらしてきたという厳然たる史実を噛みしめようではありませんか。

孤独の男がマドリードのレイナ・ソフィア美術館を度々訪れ、一枚の絵画を観ます。バイオリンの絵を観た後に「バイオリン」に出会い、裸婦の絵を観た後には実際に全裸の女性が部屋に侵入している、という成り行きはいかにも面白い。
はたしてこれは現実なのか、ひょっとすると孤独の男が絵画からインスパイアされた妄想に付き合わされているだけではないのか。かくして「すべては主観的なものだ」という冒頭の箴言めいたセリフがあらためて想起され、ダニエル・シュミット的な疑念が終始この作品世界を旋回することになります。行く先々で彼の頭上を舞っているヘリコプターのように。

さて、任務を無事終え、何食わぬ顔でマドリードに戻ってきた時、孤独の男が美術館で眼にする絵画は? 

ハードボイルド風の重たい空気がこの映画の御都合主義の爽快さやユーモアをいささか減殺しているうらみは残ります。私の嗜好からすれば初期の『ストレンジャー・ザン・パラダイス』や『ダウン・バイ・ロー』の軽妙さの方により魅かれるけれど、どう転んでも万人を感動させるような大作・傑作を撮らないジャームッシュが健在なることを観て、逆に私は感動してしまったのでした。

*『リミッツ・オブ・コントロール』
監督:ジム・ジャームッシュ
出演:イザック・ド・バンコレ、ティルダ・スウィントン
映画公開:2009年5月(日本公開:2009年9月)
DVD販売元:ハピネット

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