見出し画像

絵本の魔術師がぶっぱなした〜『穴の本』

◆ピーター・ニューエル著『穴の本』(高山宏訳)
出版社:亜紀書房
発売時期:2016年4月

絵本を開くと、文字どおりページの真ん中に穴があいています。トム・ポッツくんが銃をいじくって誤って発射してしまい飛び出したたまがあけた穴。たまはだいじなフランス時計をうちくだき、壁を突き抜けて台所のボイラーをうちぬき、ブランコのつなを切り、自動車、画家の絵、水そう……と次々に貫通していきます。

そのために、シュミットじいさんのパイプが割れたり、ディック・バンブルの麦のふくろに穴があいて麦がこぼれおちたりします。その一方で、ナシの木の枝が折れてその下で待っていた少年がナシをたくさん手に入れたり、ネコに襲われそうになっていたネズミが逃走できたり。

Amazonのブックレビューには「これぞ弾丸ツアー」というキャッチコピーが記されていましたが、うまい! まさしく弾丸とともに人々や動物の世界を駆け抜けてゆく、そんな構成になっているのです。もっとも、ここではたまは単なる観察者としてのツーリストではなく、行く先々で他者たちに影響を与えていく剣呑な存在であるわけですが。

たまはそうして地球を一周する勢いだったのだけれど、思わぬ結末を迎えてしまいます。あらゆるものを貫通して進んでいたたまが、最後には……というエンディングはなんだかヒューモアを感じさせ、且つ示唆に富んでいるようです。

ところで訳者の高山宏によれば、本には「おもちゃ本」「遊び本」と呼ばれるジャンルが以前から存在するといいます。ポップアップ・ブックはなかでもよく知られていますが、ほかにも本の中でページを折らせてみるなどいろいろな仕掛けがほどこされた本が作られてきました。「絵本の魔術師」といわれるピーター・ニューエルの手になる本書もそうしたジャンルに連なるものといえるでしょう。

高山はそれに関連して「本は大切なもの」という規範が確立し本が大人の文化の象徴になった現代の「知」のあり方に対しても本書をもって相対化せんと試みています。そうはっきりと言明しているわけではないのですが、私たちは本に象徴される知識や文化に対してもっと自由に向かいあっていいのではないのかと。むろんそうした態度もまた大人の見方・読み方であることを高山は充分に自覚しています。

それにしてもこうした絵本をみていると、本の「モノ」性を強く意識させられます。電子ブックの利便性は否定すべくもありませんが、「おもちゃ本」のような仕掛けは紙の本によってこそ可能になります。紙の本に強い愛着感をアピールする物書きは未だに少なくないけれど、本書のような絵本に触れると郷愁ではなくもっと積極的な意味でモノとしての本の可能性を考えたくなります。

原書は1908年の刊行ですが、古臭さはまったく感じられません。和文もリズミカルで本書のコンセプトにかなったものと思います。何はともあれ、高山宏が翻訳しただけのことはある、大人が読んでも愉しい絵本にちがいありません。

この記事が参加している募集

コンテンツ会議

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?