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有限の世界でHAPPYに生きていくために〜『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』

◆水野和夫著『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』
出版社:集英社
発売時期:2017年5月

少し前、ある社会学者が「みんなで一緒に貧乏になろう」と新聞でのインタビューで唱えたところ、多くの批判が殺到したことは記憶に新しいところです。所論のなかに移民に対する偏見がまじっていたこともあり、私もあまり共感できなかったのですが、経済成長の必要性を強調して冒頭の主張を真っ向から否定する意見にも今ひとつ賛成できませんでした。最重要なのは分配の仕組みであって、無理に「成長」を追い求めるマインドが日本社会のあちこちで問題を起こしているのではないかと思うことも多いからです。

本書は、そのような私の疑念に充分応えてくれるものだったとまずは言っておおきます。

資本主義の破綻。国民国家の機能不全。……それらは無関係に生じているのではない。国民国家の基盤である、500年続いた近代システムそのものが、800年の資本主義とともに終わりを迎えつつある。これが本書の基本認識です。

では、新たな時代にはいかなるシステムや社会形態が望ましいのでしょうか。エコノミスト・水野和夫は、壮大な世界の歴史を踏まえた考察をもとに経済学の垣根を超えた多様な知的成果に立脚して、近未来への道標を提示しようとします。

人類史を読み説くうえでの本書のキーワードは「蒐集」。英国の歴史家、ジョン・エルスナーとロジャー・カーディナルが「社会秩序それ自体が本質的に蒐集的」と述べたことに基づいています。
水野によれば、現代は蒐集することが限界にいたった時代である。フロンティアはもう地球上には残っていない。すなわち長らく続いた「蒐集」の歴史の終わりのときを迎えているというわけです。

平等が要請される国民国家システムと格差を生んで資本を増やす資本主義が矛盾を露呈することなく両立できるのは、「実物投資空間」が無限で経済が成長し続ける場合においてのみなのです。(p183)

「作れば売れる」というセイの法則が成立しない現代において、資本主義と民主主義が結合することはありません。この条件を忘れて成長を追い求めれば、そのツケは民主主義の破壊となって現れる、と水野はいいます。

本書ではそのような議論を、利子率や経済成長率の世界史的な変遷などエビデンスを提示しながら進めていきます。日本は1997年に、10年国債の利回りが2.0%を下回りました。超低金利の時代がすでに20年続いています。それは端的に資本主義の危機を示すものなのです。

中世から近代への移行期、ブローデルが「長い16世紀」と呼んだ大転換期のさなかに超低金利が生じましたが、それは「歴史の歯車が動くサイン」でした。同じことは低金利を迎えている現代にもいえます。いわば「長い21世紀」と呼ぶべき大転換期を迎えているのです。

それでは、以上のような歴史的危機を乗り越えるために求められるシステムとはいかなるものでしょうか。

世界を拡張していくような従来のやり方では経済をうまく回していくことは望めません。また現在の国民国家では政治的な要請に対しては充分に対応することができません。世界秩序に対して責任を担うことができないし、地域の細かなニーズを吸収することもむずかしいでしょう。

もはや、無限の膨張が不可能なことは明らかなのですから、ポスト近代システムは、一定の経済圏で自給体制をつくり、その外に富(資本)や財が出ていかないようにすることが必要です。その条件を満たすには、「閉じてゆく」ことが不可欠になります。(p207)

すなわち「政治的には地域帝国、経済的には定常状態、すなわち資本蓄積をしないという方向性」。それが水野の提案する処方です。「閉じた帝国」が複数並び立つという世界システムこそがこれからの時代を生きていくために適した世界のあり方なのだと結論づけます。

ちなみに「地域的・世界的権威」は地域帝国がもち、「国家・民族の下位にある権威」は地方政府がもつ、という構想は水野の創見ではなく国際政治学者のヘドリー・ブルを参照したものです。

「閉じた帝国」の具体例として、水野はEUの例を挙げています。一国単位の主権でおこなうのが難しい政治課題については「帝国のような大きい単位の共同体」で対応すべきというわけです。

また経済のあり方としては、ブローデルの市場経済論を引用しています。ブローデルは市場経済と資本主義を区別しました。前者は「予想外のことの起こらぬ『透明』な交換、各自があらかじめ一部始終を知っていて、つねにほどほどのものである利益が大体推測できるような交換」を指します。それは資本家が不透明な取引から富を獲得する資本主義とは異なるものです。水野はこの「市場経済」という概念が、新しい経済システムのヒントになると指摘します。

当然ながら株式会社というシステムも大きく変化する必要があります。近代の無限に広がる空間のなかでは、株式会社は「より遠く」へ行くための最適の資本調達制度でした。しかし「閉じた経済圏」で市場経済を実現するには、「より遠く」「より多く」といった発想からの転換が必要です。これまでとは逆に、会社と利害関係者との距離を「より近く」すること。それによって、相互の信頼関係を維持していくことが可能になります。利害関係者が目に見える範囲で企業統治をおこなうことが市場経済には適っているのです。

閉じた帝国による閉じた経済圏……。留保つきながらも「帝国」的な世界秩序を再評価する議論は、文脈がやや異なるとはいえ柄谷行人や佐藤優など日本にかぎっても何人もの論客が提起してきたもので、とくに斬新というわけではありません。また帝国が並び立つ世界秩序は地球全体の秩序に責任をもちうる主体とは言い難く、資本主義の暴走がもたらした地球規模の課題をうまく解決できるのかという点では疑問も拭えません。
とはいえ、広汎な分野から知見をとりいれたスケールの大きな思考には教えられるところが多々ありました。熟読に値する本であると私は思います。 

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