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奴隷根性からの解放〜『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』

◆白井聡著『戦後政治を終わらせる 永続敗戦の、その先へ』
出版社:NHK出版
発売時期:2016年4月

話題を集めた『永続敗戦論』の続編というべき著作。「永続敗戦レジーム」論をさらに精緻化し、そこからの脱却のための道筋までを示すというのが本書の趣旨です。

まず復習しておきましょう。白井のいう「永続敗戦レジーム」とは何か。

敗戦そのものは決して過ぎ去ってはいない、その意味では「敗戦後」など実際は存在しない、というのが基本認識。私たちは「驚異的な戦災復興と経済発展による脱貧困化と富裕化の幸福な物語によって隠されたかたち」で敗戦を生き続けてきた。

……それは二重の意味においてである。敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽するという日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二側面は相互を補完する関係にある。……かかる状況を私は、「永続敗戦」と呼ぶ。(『永続敗戦論』p47~48)

白井はつづく本書で「永続敗戦レジーム」の核を成す対米従属構造を「確立の時代」「安定の時代」「自己目的化の時代」の三段階に区分しています。占領期から保守合同による55年体制の成立を経て60年の安保闘争の時期までが「確立の時代」。そこから冷戦終焉までが「安定の時代」。それ以降、対米従属が自己目的化したのが「自己目的化の時代」です。対米従属の合理的な理由がなくなったにも関わらず盲目的従属が深まっている点に、現代社会の歪んだあり方が際立ってきた理由を見いだせます。

そうした「永続敗戦レジーム」の自己目的化の時代に関して、本書では新自由主義という世界的文脈がいかなる影響を与えてきたのかについても考察を加えています。右傾化や反知性主義などの危機的現象は、日本特有の現象ではなく、近代資本制社会の世界的な行き詰まりと関連づけて捉えられるのです。戦後政治を乗り越えるためにはそのような病的現象が猛威をふるうなかで実行されなければならない、というわけです。

沖縄の政治的努力に学ぶ

では、「永続敗戦レジーム」に枠付けられた戦後政治を乗り越える──ポスト55年体制を構築する──にはどうすればよいのでしょうか。

「永続敗戦レジーム」は、「政官財学メディアの中心部に浸透した権力構造であり、それゆえこれに対抗したり突き崩そうと試みるのはあまりに困難である」と感じられるかもしれないが、沖縄が一つのヒントになると白井はいいます。沖縄での政治対立の構図こそが本書で言及している本質的な構図が現れている、すなわち2014年の県知事選は「永続敗戦レジームの代理人」(仲井真氏)対「永続敗戦レジームを拒否する勢力」(翁長氏)というものであったからです。この構図を日本全土に広げること。それが〈永続敗戦レジーム〉からの脱却をもたらす契機となるでしょう。そのためには三つの革命が必要だというのが白井の認識です。三つの革命とは「政治革命」「社会革命」「精神革命」をいいます。

「政治革命」については、白井は野党共闘に可能性をみています。「この動きが、永続敗戦レジームと正面から闘う勢力の形成へとつなが」るかどうかはあとの二つの革命の帰趨にかかっている、といいます。

「社会革命」とは「近代化の原理の徹底化を図ること」です。基本的人権の尊重、国民主権の原理、男女の平等などがそこに含まれます。「精神革命」とは、様々な「自己規制」や「自分自身の奴隷根性」など自らが自らを隷従させている状態から解き放たれることです。その時、「永続敗戦レジーム」がもたらしている巨大な不条理に対する巨大な怒りが、爆発的に渦巻くことになるだろうと白井は結びます。

『永続敗戦論』を読んだ時には、個人的にはいくばくかの違和感をおぼえたのだけれど、昨今の社会をみるにつけ、かなり的確なことを指摘していたのではないかと思い直すようになりました。私には端的に偽善としか思えない広島でのオバマ大統領演説への無邪気な賛辞の数々をみていると、イデオロギーの左右に関係なく、米国が主導してきた戦後政治への批判精神を根本的に欠落させた人々が少なくないように思われるのです。トランプ氏が大統領に就任するといっそう日本の対米従属ぶりがあからさまに露呈するようになりました。それを恥じ入るような言説があまりにも少ない。つまり日本では白井のいう「永続敗戦レジーム」が無自覚なままに広く共有されているということではないでしょうか。本当の意味で民主主義を確立するためには「永続敗戦レジーム」からの脱却は不可欠でしょう。

本書には目新しいことは書かれていません。けれども私は読後に中江兆民の言葉を思い出しました。「言葉が陳腐に見えても、まだ実行されていない理論は新鮮である」。今こそ兆民の言葉を想起する時なのかもしれません。

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