過去の私より。
自分の、過去の日記を読んだ。
毎日毎日、律儀につけている訳ではないけど、多分当時は、書きたくて仕方がないことを、書いてた。詩的な表現がたくさんあって、大好きな日記。
7年前くらいの日記。
私が今書こうとしている小説は、私の体験がベースである。つまり、その当時の日記は、もはや一次資料とも言える。
だから私は、一次資料にあたる気持ちで、今日、日記に手を伸ばした。
読んで泣いてしまった。
(今、PMSで不安定というのもあるかもしれないけど)
泣いた。もうこれでいいじゃん。このまま出版しようよ、ってなった。(きっと誰も内容を理解できないけど)
ああ、辛かったんだな。
そんな風に、誰かのことを想ってたんだな。
叶わない思いと、漠然とした不安に、どうしようもなく、泣いてたんだな。
そこには、もうすっかり忘れてしまっていた出来事も記されていて。
もはや一つの小説だった。
同じ私ではない、別の誰かの物語。
小説みたいに綺麗じゃない。整理されてない。すごくごちゃごちゃしてる現実で、必死に生きてる、誰かの。
今の私よりも、私が好きな表現で書かれてた。
私、こんな風に書けてたんだな。やっぱり創作には悲しみが必要なんだろうか。
過去からの問いかけに私は、全部「そうだよ」と答える。
色んな人からの想いとたくさんの自分の想いにひたすら揺れ続けたあなたは、もう同じ人と6回も、8月18日を越えたよ。8月に終わった恋の数よりも、同じ人と8月を過ごせたよ。今年も。もう8月も嫌いじゃないし、花火も嫌いじゃないよ。
数年間忘れていた8月の呪いを、8月18日を、今年は久しぶりに思い出した。それもまた、日記を手に取ることの、予兆だったのかな。
別に、今は幸せだよ、って過去の私に伝えたいとかはない。
あの時の私も、精一杯生きてた。それは、将来如何じゃなくて、ただ、その瞬間を生きてたから。
ただ、過去に応える私は、過去の思い出と、今の幸せを思う。
幸せなんだな、私は。
もう、新しく恋をすることはない、ということが、たまに残念に思える。それは、やっぱりあの頃の熱量が眩しいからだと思う。この日記は、今の私には輝いて見える。
ここ数年の私の日記には、こんな創作的な文章は見当たらないから。早く起きれた。お出かけした。編み物をした。そんなことばかり。まぁそれが幸せなのかもしれないけど。
戻りたい訳ではない。
けどやっぱり、熱量が欲しい。燃えるような。涙するような、熱量。創作の燃料。
小説を書きたい。
小説にしたい。
そんな言葉もたくさん見つけた。
ずっとそう、思ってきたんだな。だからこんなにも、「一次資料」が残っている。
文字通り「一冊の本」にしてしまうことで、私は過去を思い出にできると思ってたな。
書かなきゃな。と思った。
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