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赤いワンピース

 初めて海外に行ったのは大学二年の夏だった。フランス語を専攻していた私は、一年間の机上の勉強がどれほど通じるものか試してみようと、パリの少し南の街に一か月程滞在した。
 初日から何もかもが驚きずくめだったが、なによりびっくりしたのが女性の姿だった。孫を連れたおばあさんが真っ赤なワンピースを着ている。ノースリーブの胸元は大きく空き、スカートの裾は膝のはるか上の方で揺れていた。こんな格好をした生身のおばあさんを見たのは初めてだった。今ならさしずめスマホを取りだして撮影していたかもしれない。
 それからも、街で目にする女性たちは、たいてい『世間の目』や『年甲斐』とは無縁の恰好をしていた。やせていようと太っていようと、老いも若きも、たくましい二の腕を出し、そばかすだらけの背中を露わにし、堂々と生足をさらしていた。服の色は、年を重ねるほどに明るさが増しているように見えた。
 日本では重くのしかかる、肌の色や体格や年齢が、空気のように軽く透明な存在だった。

中学から高校にかけては、毎日テニスに明け暮れた。おかげで年中まっ黒に日焼けしていた。中学時代のあだ名はカリメロ。授業中に開いたノートの上に、ぼろぼろと頭の皮がむけ落ちてびっくりしたこともある。見事な焼き加減が密かな自慢だったのに、大学に入り周りにつられて化粧を始めた影響か、いつしか陽射しを避けるようになっていた。

 白い肌か、小麦色の肌か。
 日本女性の間では、断然白い肌に軍配が上がるだろう。『美白』といっても『美黒』とはいわない、化粧品会社の戦略に踊らされているからか。華奢な体と白い肌が、男性に威力を発揮するからか。どちらにしても、社会の圧力にめっぽう弱いわたしは、この時期に、日焼け止めやら日傘やらが店頭を賑わし始めると、居ても立ってもいられずに手を伸ばす。そうしなくては、なんだか肩身の狭い思いにとらわれてしまうのだ。

 しかし、わたしの白い肌は、果たして本当に美しいのだろうか。
世間の基準に合格しているか。異性のお眼鏡にかなっているか――細い綱の上を息を詰めて歩いているうちに、やがて自分にとって快適なものはなにか、自分が喜ぶことはなんなのか、自分の頭で考えることを止めてしまったのではないか。中学の卒業アルバムの中で、まっ黒の顔に真っ白の歯を出して大笑いしている自分を見ると、ふとそう思う。
 あれほど熱心に勉強したフランス語はほとんど忘れてしまったが、フランスの夏の日差しをさんさんと浴びた、あの鮮やかな赤いワンピースは、今でもわたしの中でまぶしく生き続けている。


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