見出し画像

先生は未来に触れることができる

透き通った大きな黒い瞳の少女とブータンの文字。この2つに導かれるように観た映画「ブータン山の教室」(Luana A YAK IN THE CLASSROOM)。

https://bhutanclassroom.com/

「現代を生きる私たちが忘れかけてしまった”本当の豊かさとは何か”を教えてくれる」というパンフレットの謳い文句。しかし私にとっては「忘れかけた」よりも「新しく知る」豊かさだった。

そしてやはり胸を打つのが人々の笑顔の美しさ。子どもも大人も老人も。なぜこんなにも曇りがないのだろう。美しさを超えてもはや神々しくさえある。

都会で教師を務める主人公の若い青年が、ブータンの秘境ルナナへの赴任を命じられる。オーストラリアでミュージシャンになりたいという夢を抱く彼は、いやいやルナナへ向かう。村人たちと打ち解けていく中で、教師という職と、自身の表現手段である歌を通して自らのアイデンティティーを発見していく物語だ。

彼愛用のiPodの電源が切れ、片時もはなさなかったヘッドホンをしぶしぶとったとき、春を呼ぶ鳥の声が耳に飛び込んでくる。その瞬間、彼の新しい旅が始まる。

一つ目の驚きは、ブータンにも都会と地方の格差があることだった。当たり前のことなのだろうが、愕然としてしまった。ブータンといえば、幸福度が世界一の微笑みの国。だが都会の若者は、祖父母世代と衝突し、職への不満を吐き、海外への憧れを募らせ、田舎を疎む、我々にも覚えのある同じ悩みを抱えていた。ほほえましいような、痛ましいような、少し懐かしいような、なんとも言えない気持ちになる。

そして私が一番心を打たれたのは、冒頭の言葉だ。将来の夢を教師になることと述べた少年が、その理由を問われこう答える。

「先生は未来に触れることができるから。」

かつて教師をこんなに美しく表現した言葉があっただろうか。

これは村の長老が、村に迎える先生を敬うよう村人に諭した言葉だった。その教え通り、村人や子どもたちは、内心教職を疎んじている若き教師に最大級の敬意を持って接する。その無条件の信愛が彼を変えてゆく。

日本と比べるのはあまりにも無謀かもしれない。でも比べずにはいられなかった。先生も生徒も。このことこそ、私たちが点数や富を追い求めるうちに忘れかけてしまったこと、いやもはや全く新しく知ることではないだろうか。

子どもの未来を託す先生を大事にすることは、何よりも子どもを大事にすることだ。学ぶこととは、学び舎とは、これほどまでにキラキラした尊いことなんだ。子どもたちが先生を見つめる輝く瞳が曇ることがないよう、ただただ祈るような、そして背中を押されるような気持ちになった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?