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ハート・オブ・アイアン

相田みつをの詩にセトモノと言うものがある。

セトモノとセトモノと
ぶつかりッこすると
すぐこわれちゃう
どっちかやわらかければ
だいじょうぶ
やわらかいこころをもちましょう
そういうわたしはいつもセトモノ

相田みつを「セトモノ」

初めて知ったのはラジオで流れたACのCMだ。
最初はいい事言ってる感じの奴だなあと思っていたが、
後々になって思い直すとどうにも不条理だ。
この詩には欠けている視点がある。それは
「柔らかくてもぶつかると痛い」
という点だ。

セトモノが割れた時、明らかに異常が分かる。
そりゃあそうだ、破片ばら撒いてるし。
誰かが片付けるだろうし、新しいセトモノが用意されるだろう。
反面、やわらかい方はどうか。
見た目的にはノーダメージだ。しかし本当にそうだろうか。
ぶつかって来たセトモノの痛さに、陰で泣いているかも知れない。
誰も気にしてくれない事に憤慨しているかも知れない。
何で俺がこんな目に遭わなければならないと嘆いているかも知れない。
でも、やわらかい分被害が目につかない。大丈夫そうだなと放っておかれる。
現実的によくある事ではなかろうか。
優しい人にばかり皺寄せが来て、キャパを超えて崩壊。
どうしてこんな事になる前に言わなかったんだと責めさえする始末。
他人にやわらかくある事を望んだせいだよ、セトモノどもめ。

この詩が最大にクソなのは、他人には柔軟性を求めておきながら自身はセトモノである事だ。
いい事言い過ぎたからバランス取ろっかなくらいの感覚かも知れないが、完全に蛇足だ。
まず隗より始めよ。人に求めるんじゃない。
若い頃やんちゃしてた自慢じゃねえんだぞ。
「こいつが避けなかったからぶつかった」と嘯くぶつかりおじさんのような傲慢ささえ感じる。

俺もどちらかと言うとやわらかい側だから分かる。
やわらかい心は他人の為に自分を犠牲にして隠れて泣く者を守るために使うべきである。
そして他人に負担をかける事に無頓着なセトモノを粉砕するべく鋼の心をどこかに持つべきである。

「そういうわたしはいつもセトモノ」だァ?
上等だ、叩き砕いてやるからこっちゃ来いよ。

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