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適応力

私たち人間というのは多くの夢や理想を持っている。そして将来のことを日々考えたりするものである。それ自体は悪いものではなく、むしろこれから先の見通しを良くするため、目的をはっきりとさせるため、モチベーションを上げることに役立つ。

しかし、現実は思った通りにいかないことが多い。自分に原因があることもあれば、どうにもならないような原因の場合もある。
そして私たちはしばしば悲壮にくれる。「どうしてあの時あれをしなかったのだろう。」、「どうしてあの時あんな選択をしてしまったのだろう。」なんて後悔することも多々あるし、実際私もよくしてしまう。

原因を追究する事はよい。なぜそうなってしまったのかを解明しなければ、改善しようがないからである。かといって、起きてしまったことに対していつまでも固執してしまうのはダメだ。それを考えたところで現実には何一つ変化がない。感情の整理をするための時間を余分にとるのは有意義ではない。

一般的に現実主義をとる人は大体立ち直りが早いし、次に向けて動き出すのも早い。しかし、くよくよしてしまう人もそう少なくない。そうして過去にすがった結果、良からぬ事態を引き起こし負のスパイラルに陥ってしまう場合もある。
勉強したのにもかかわらず第一志望の大学に入れなかった人は多いだろう。しかし一部の人はこうした失敗、理想との乖離をいつまでも抱え込み、仕舞いには学歴コンプレックスを発症してその後のあらゆる挽回の機会を逃してしまう場合がある。過去の自分がそうだった。そんな私は、当然のことながらその後の大学生活も全く楽しめなかった。今思うと本当にくだらない悩みだったのだが、それを引きずった結果がこの様である。一方で同じ境遇に陥った人であってもその現実を受け入れて、その後どうするかを一歩下がって考えられた人は大抵その後良い方向に進んでいる。

現実主義そのものが良いという訳ではないが、私は彼らのもつ適応する力が必要であるように思える。現実主義的な思考は日々変化する現実に直接触れているが故に適応する力が強い。しかし理想主義的な考えは芯の強さ故に適応しようという意志が弱くなりがちである。理想と現実との差に悲観するだけでは何も変わらない。

ストア派哲学者のエピクテトスはこう述べている。

出来事が君の欲する通りに起こることを求めない方がよい。むしろ、出来事が起こるとおりに起こることを欲するがよい。そうすれば、君は仕合わせになるだろう。

『語録』より

まずは起きたことを事実として受け入れ、その上でどうしたいのか、目標のためには何をなさなければならないのかを考え対応する軌道修正能力は、自らのためにも必要となる。これを日々の生活で起こる小さな出来事を通じて養っていく事が大切であると私は思う。

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