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京都エッセイ(17)就職でも失敗続き

 小中高大と失敗続きだった私が大人になり就職しただけで上手くいくか。

 答えは当然NO。今回は大学を卒業してしたいくつかの仕事のお話。

 まず就活の時点で私は間違えた。面倒くさくてそういう系の授業は全くとっておらず、やり方を知らないまま就活していた。大学では真面目に勉強していたために話せることがない。大学での学びが楽しかったのもあって、その先の未来なんて考えたくはなかった。最悪バイトすればいいかとぼんやり思いながらした夏の就活で嫌な目にあい、就活恐怖症になってしまったのもある。

 卒業間近になってテキトーに応募したところに採用が決まったが、そこはそんな時期まで残っているのも頷けるほどの超ドブラックな職場だった。

 まず京都から神戸に行かされて研修を行う。そこでは決まった文言を決まったテンションで言えるように二日間みっちりと練習させられた。バカみたいな光景だったが、自分もその中の一人で、初日にしてそらんじれるようになったからいちばんのバカだった。

 僕ともう一人の男の子が今回の研修のトップだと言われ、負けないようと研修中頑張ったおかげで見事一位で通過できた。おかげで数日余ったが、それも給料が出るという。なんと楽な仕事だろうかとたかを括っていた。

 が、実際の現場では全く持ってうまくいかなかった。

 僕が就職後にまずした仕事は、リフォームの提案営業だ。住宅を一軒一軒まわってピンポンを押し、出てきてくれたお客様にリフォームを勧める。

 僕は数日を先輩の後ろで仕事を見て過ごした。習ったマニュアル通りに物を言っていて、契約こそ取れなかったものの、思っていたより難しくはなさそうに見えた。

「契約は一人月三件取れればいいから」と言っていたから、楽だな、となんとなく思っていた。

 しかし研修期間が過ぎて、実際に自分が行くことになると地獄だった。

 まずピンポンに出てもらえない。出てもらえても怪訝な表情をされるか、関係のない話をされるだけでマニュアルを喋ることができない。もし喋れたとしても、契約につながることはない。研修トップと聞いていたのにとみんなの目が厳しくなるのがつらかった。

 お客様の中には、セールスマンの頭を痛くする音を発する人もいた。

 そんなのが朝から晩まで続くのである。

 疲れるのは8時間働く事に慣れてないからだと自分に言い聞かせていたが、今考えるといろいろおかしな部分があった。

 朝6時に出社して、会社の掃除をする。新人は誰よりも早く出社しろ、という一昔前の名残の業務。

 次に京都でと聞いていたのに実際に働くのは滋賀だったこと。毎日車で滋賀まで行く。帰りは自腹で電車もおかしかった。働くために親に金を借りなくてはいけなかった。

 夜は20時くらいに帰ってくる。翌日の出勤時間が1:00に来るのでそれまでは起きておかなければならないが、たいてい6時か7時のことが多い。もちろん1時間前に出社して会社の掃除をしなくてはいけないので、通勤時間も含めれば寝れるのは4時間くらい。

 寝不足で、持病の気圧痛、苦手な車での移動。ついた先では朝から晩まで住宅街を周り、嫌な顔や対応をされる。そして帰りは自腹で電車さらに言えば完全週休2日と聞いていたのに、休みは1日しかない。

 こんな生活を1か月と続けたところで、出勤の電車に乗れなくなった。動悸が激しく、何度も乗り過ごしては遅刻してしまうことが増えたのだ。そうすると周囲は非難の嵐。

 心は壊れてしまい、家からすら出られなくなった。

 なんとか退職の電話をしたが、そこまでも色々言われてしまい、すっかり働くことが恐くなってしまった。

 しかし思いのほか周囲の反応は優しかった。むしろ辞めてよかった、心配していたという声がほとんどだったのだ。

 シェアハウスをしている先輩にお金を借りながら、次の仕事を探し、見つかったのは野菜の転送業。市場から野菜を買って、違う市場に売るという仕事だ。

 前回同様、営業の仕事を選んだのは、自分の適性が営業だったから。

 けれどここも1ヶ月で辞めた。理由は簡単。市場の人の言動がキツすぎて、すでに傷ついていた心が耐えられなかったから。

 社長に相談したら親身になって聞いてくれた。仕事自体はつらかったが、ここは優しい人が多かったので、次の職場はここ以下なのではないかという不安でまた就活が難航した。

 次はアルバイトをした。正社員にこだわるのを辞めてみたらどうかというアドバイスを受けたからだ。

 二つ仕事を経験して分かったことがある。やりたくないことは続けられないということだ。やりたくないことをするのが仕事ではあると思うが、やりたくない職種や業界だとそれは事情が違う。

 とある出版社の荷物の梱包や倉庫の管理のアルバイトを始めたが、心はみるみる回復していった。自分の興味のわかない分野ではあったが、本に触れている時間は幸せだったし、梱包や倉庫の整理などの仕事は他人と接触することがほとんどないので、傷つくことがなかった。多少接する機会があっても歳や事情の近い人たちばかりで、毎日が楽しかった。
 
 そこは短期だったので残念ながら続けられなかったが、ここがなかったら心が完全に壊れて実家に帰っていたかもしれない。

 なんとか自信を取り戻した僕は次に不動産のアルバイトを始めた。理由は時給が高いからと、お部屋探しをするときに親身にしてくれた人が、バイトでこういう仕事があるよと教えてくれたからだ。

 でも先述した通り、自分の好きじゃないことは続けられない。なので土日の朝だけ学生時代に働いていた本屋さんで働かせてもらうことにした。

 月〜金には不動産のお部屋案内の仕事をし、土日には本屋さんで働く。このサイクルは上手くいって一年も続いた。思ったより不動産のお部屋案内や写真撮影、雑用で社用車で京都中をまわるという仕事が楽しかったのもある。車内や外回りで季節の移ろいを肌で感じられたのもよかった。

 本来であればずっとしばらくこのままで働きたかったのだが、同時期に遠距離の恋人との間に結婚の話題が出てきた。すっかり心が楽になり、就職も前向きだった僕は名古屋で再び再就職を決意し、今までの失敗を活かして、絶対に本関係の仕事しかしないと決めて動いた。

 それが功を奏して、現在も本屋さんの一員になれている。

 いつもどこにいっても毎回失敗して心が折れかける僕だけど、その度に誰かが助けてくれる。自分ももっと良くなりたいと思うことで、人生が少しずついい方向に向かっている。

 失敗するのは辛くて苦しくて嫌だけれど、それが自分だと、どこか楽しみになってきている自分がいた。

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