京都エッセイ⑩キモい! でも良い短歌、はじめました。
はじめました、とタイトルにありますが実際ははじめたのは在学中。それが日の目を見始めたのはなんと去年の10月から。
今回はなぜそんなに時間がかかったのかと、短歌との出会いから挫折、そこからキモ良い短歌と成長(退化かも)していった話を。
短歌は京都芸術大学 文芸表現学科の授業で初めて触れた。だけど正直ピンと来なかった。
いくつか理由がある。まず前期の授業で俳句をやり、そこで教員から「君に詩歌はむいてないからやらない方がいい」と言われてしまったからだ。だが授業なので途中で離脱するわけにもいかず、後期の短歌も履修した。
短歌と俳句の違いを文字数以外で分からなかった自分は、座学で明確な違いを理解する。そうしてワークショップで実際に書いてみるのだが、なかなかに難しい。なかなかピッタリでしっくりくる自作が作れずにいた。これがもう一つの理由で大きな間違いだった。
飲み会でその先生と話したときのこと。とても短歌で有名な先生だったので、
息混んで「勉強させていただきます。短歌って上手くなるにはどうしたら良いですか?」
と質問した。
しかし先生は一言「勉強しようとしている時点でダメ。まずは楽しまなきゃ」と言う。
前期で心を打ち砕かれた僕は、自分には才能がないから楽しむにとどめておけということかとまた落ち込んだ。
これこそが大きな間違いだったのだ。
実は短歌はガチガチな技術で作るものだけではなかった。もちろんルールはあるが、時にはそれを破り、面白さを追求していく楽しさもある。僕はそこに気づくのが授業の最後になってしまった。
きっかけは授業に出した一つの歌
『元カノがいるかもしれない式に出て散弾銃で学長撃つ』
これを出したところ、意外にも評判が良かった。
先生いわく「この気持ち悪さがいい。元カノの未練たらたらな感じと、式の厳かな感じが、最後に撃つが来ることで来ることで破壊されるんだけど、それをした理由が元カノに気づいてほしいというやはり最終的に気持ち悪さに落ち着くのがいいね」といった具合だ。
僕自身はこれを書いたとき、そこまで考えていなかった。なんとなく授業も最後だし、爪痕を残したく、せっかくなら授業にふさわしくないものを出そうとは考えはしたが、そんな邪な考えがまさか高評価をいただけるとは思ってもみなかった。
だけど、少々不本意ではあった。意見を言ってくださった誰もが、作品のキモさ、そしてそれを授業という場にだせることを褒めてくださった。が、キモいを褒められるのを当時は喜べなかった。褒めとるとは足が速いとか、顔が綺麗とか、プラスな要素のみをさすと思っていたからだ。純然たる褒めではない。もっと純然たる褒めをいただける自分に合ったスタイルがあるはずだ。
そう思い込んだ僕は、授業後は特に短歌をたくさん作ることをしなかった。自分の企画や思い立ったときに少しはしたが、短歌会に出たり自作本を出そうといった思いはなかった。
しかし転機が訪れる。
2022年10月某日。僕は京都芸術大学の卒業生たちと展示会のイベントを行った。
展示会の話はまたどこかでするが、とりあえず展示会というわけには展示するものを作らなくてはいけない。僕はが作れるのは小説だけだけど、それをただ置くだけでは面白くないし、イラストや絵画などと違って目劣りしてしまう。
そこで僕はライブ短歌をすることにした。自作小説の舞台になった美しい地元の風景と対照的にキモ良い短歌をすることにしたのだ。
お客様から単語をいただき、即興で作るライブ短歌は以外にも好評だった。
『ボケて』という写真で一言大喜利に近い面白さがあり、しかも自分が出したなんてことのない単語が、気持ち悪くなって帰ってくる。でも短歌のリズムに乗ることで一瞬よく聞こえる。といった具合でたくさんの方に喜んでいただいた。
僕はそこで初めて認めることになる。
あぁ、僕の作品の面白さって、キモい、にあるんだな、と。
よく、書きたいものと書けるものは違うとか、好きなこととできることは違うと聞く。それを実感した瞬間だった。
けれど今度は落胆しなかった。むしろ自分の行くべき方向が定まったことに喜びを覚えた。
それから僕は知り合いの役者が主催する短歌会に毎月参加するようになる。その話もまたどこかでしたい。
最後にキモ良い短歌で最も『キモく』最も『良い』とされた短歌をここに書き残して、今回の記事は終わることにする。
みんなも是非自由な発想で短歌をやって、それぞれの短歌の道を見つけてくれたらうれしい。
その道のどこかでまた会えたときは是非
「キモいね。でも良いね」
と言ってください。
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