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『稲盛和夫一日一言』 5月3日

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 5月3日(金)は、「人間として正しいこと」です。

ポイント:世の中がどうであれ、「人間として何が正しいか」を自らに問い、人間として普遍的に正しいことを追求し、理想を追い続けること。

 2011年発刊の『京セラフィロソフィを語るⅡ』(稲盛和夫著 京セラ経営研究部編/非売品)「人間として正しいことを正しいままに貫く」の項で、人間にして普遍的に正しいことを判断基準として生きていくことの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 フィロソフィの原点にあるのが、常に「人間として何が正しいかを考え、正しいことを正しいままに貫いていく」という姿勢です。

 人間として何が正しいかという判断基準は、人間が本来持つ良心に基づいた、最も基本的な倫理観や道徳観です。
 「欲張るな」「騙(だま)してはいけない」「嘘をつくな」「正直であれ」など、誰もが子どものころに両親や先生から教えられ、よく知っている、人間として当然守るべき、単純でプリミティブな教えです。

 日常の判断や行動においては、こうした教えに基づき、自分にとって都合がよいかどうかではなく、「人間にとって普遍的に正しいことは何か」ということから判断していかなければなりません。

 つまり、フィロソフィは、国境や人種といったものを超えた、人間、人類にとって普遍的に正しいことであると言っているわけです。
 そのような普遍的な判断基準を大切にしてきたからこそ、京セラの経営はグローバルに通用していったのだと思っています。

 フィロソフィには、仏教、キリスト教、さらには日本古来の伝統思想など、いろいろな倫理観、哲学が含まれています。確かにそれらの倫理観、哲学には違いがあるかもしれませんが、「人間として正しいこと」と言われてみれば、「なるほどそうだな」と誰もが納得できる普遍的なものですから、みんながこの哲学を共有してくれるわけです。

 また、「人間として正しいことを正しいままに貫く」の『人間』という言葉を『人類』という言葉に置き換えると、それは国を超え、人種を超え、さらには人類が直面している環境問題にも適用できるものになります。

 そうした判断基準で考えると、横暴にあらゆる生物を殺し、自然を収奪して、人類だけが栄耀栄華(えいようえいが)を極めようとする姿勢が決して正しいものではないということに気づくでしょう。
 万物の霊長といわれる人類に、知恵や良識が備わっているのであれば、資源の限られた地球環境の中で、この地球上に住むあらゆる生物が共存していくために人類はどうあるべきか、といった判断基準を持つべきです。


 こうした考え方、哲学は、環境問題に限らず、エネルギー問題や国際紛争といったあらゆる問題にまで及んでいくものではないかと思っています。(要約)

 今日の一言には、「現在の社会は、平然と不正が行われたり、利己的で勝手な行動をとる人がいたりと、決して理想的なものではないかもしれません」とあります。

 昨年から世間を騒がせている自民党の「裏金」問題は、その根幹に長年問題視されてきた「政治とカネ」の問題が潜んでいることは間違いないところです。
 またその対応に、とても本気とは思えない議論が続き、多くの国民があきれているにも関わらず、その総責任者であるべき岸田首相は、スケジュール通り、粛々と海外歴訪を繰り返しています。

 2022年発刊の『経営のこころ 会社を伸ばすリーダーシップ』(稲盛和夫述 稲盛ライブラリー編 PHP研究所)「正しいことを正しいままに貫く」の項の冒頭、名誉会長は次のように説かれています。

 私は、企業経営において最も大切なものは、経営者が持つ哲学だと思っています。社員から信頼と尊敬を得られるような立派な哲学を持っているかどうかが、企業の盛衰を決めるといっても過言ではありません。(要約)

 『企業経営』と『経営者』を、『日本』と『首相』(または『政権与党』)と置き換えると、残念ながら、現在の首相、政権与党に、日本の将来を託すべき立派な哲学があるとはとても思えません。

 今日の一言にもあるように、「世の中がどうであれ、私たち一人一人が、『人間、人類として何が正しいか』を自らに問いながら、「普遍的に正しいことを追求し続けていく」という姿勢を持ち続けることが大事なのではないでしょうか。


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