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『稲盛和夫一日一言』4/19(水)

 こんにちは!『稲盛和夫一日一言』 4/19(水)は、「純粋な心」です。

ポイント:澄んだ純粋な心には真実が見える。物事をあるがままに見ることのできる純粋な心を持てるよう努力することが大事。

 1989年発刊の『心を高める、経営を伸ばす』(稲盛和夫著 PHP研究所)の中で、あるがままに見ることの大切さについて、稲盛名誉会長は次のように述べられています。

 美しい、澄んだ心には、真実が見えます。しかし、エゴに満ちた心には、複雑な事象しか見えてきません。
 例えば、「自分が得をしたい」という私欲に基づいた仕事の進め方が、簡単な問題を紛糾させてしまうことがあります。また、「自分を良く見せたい」という言い訳が、問題の焦点をぼやけさせ、解決を遅らせてしまうこともあります。

 「あるがまま」の心でなければなりません。妙な自分の心を作用させるから、単純な問題が複雑になってしまうのです。
 自分が損をしようが、「あるがまま」にものごとを見なければなりません。自分に非があれば、「自分が悪い」と認めなければなりません。このような澄んだ目で見ると、問題を単純に見ることができ、悩むようなことはありません。「自分が楽をしたい、いい目を見たい」というエゴの心を離れなければ、ものごとはその真実の姿を現わさないのです。

 そして真実に対処するには、火中に飛び込む勇気を持たなければなりません。自ら血と汗を流し、危険を冒す気構えがあれば、どんな問題でも解決できるはずです。(要約)

 物事をあるがままに見ることができる「純粋な心を持つ」のはそう簡単なことではないと思います。

 「欲に目が眩(くら)む」とか、「目が曇る」といった慣用句があるように、人間は欲のために正常な判断力を失ったり、判断する力がにぶってしまったりするのが常です。

 エゴが勝っているときは、どうしても正常な判断を下すことができません。それは、後々まともな判断ができなかったときの自分の心理状態を思い返してみると、よく分かるのではないでしょうか。
 例えば、半ば強引に自分の主張を通そうと一生懸命しゃべっているとき、心の中には「決して我欲から言っているのではない。すべてみんなのことを思ってのことだ」と言い訳のようなことを叫んでいる自分がいるのですが、周囲で聞いている人たちからは、「あいつ、自分が損したくないだけじゃないか、結局自分がかわいいだけなんだよな」と冷やかな眼で見られている。

 今日の一言には、「物事をあるがままに見て、さらに自己犠牲を払ってでも成し遂げようという心構えができていれば、克服できない問題などない」とあります。

 ここでも問われるのは、いかに「公平無私」であるか、ということ。
 まさに、昨日の一言にあった「人を動かす原動力は、ただ一つ、公平無私ということ」ではないでしょうか。


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