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変えられない過去を、どう捉えるか。

最近になって、強い自責の念に駆られる出来事があった。

自分は日本の大学を卒業後、第二学位を取得しようと学部生としてアメリカの州立大学で哲学と心理学を学んでいる。アメリカに来てからは心機一転、成績はAしか取らないという目標を掲げここまできた。専攻を変えたり、単位互換ができないなどの様々なことがあり、両親に迷惑をかけながらもこうして死ぬ気で勉強している。

今自分は学部の3年生として大学に在籍しており、その大学では一定の成績を保っていればGREという英語の試験を受けなくても4年生から大学院レベルのクラスを取れ、そのまま修士の学位も取れるというプログラムがある。日本の大学4年で卒論を書き始めた頃から本気で勉強を始め、知の探求というものはこんなに自分に気づきを与えてくれるのかと感動してから辛い反面、もっと何かを知りたいという気持ちが強くなりそのプログラムに応募することに決めた。

しかし、問題が浮上した。ポストバチェラー (一度学位を取っている生徒) は応募できないかもしれないというのである。実は、私の成績はオールAなので奨学金をもらえる成績なのだが、ポストバチェラーということでもらえなかったのである(理由は色々あるのだが長くなるので省略する)。そしてまたこの問題である。私は自責の念に駆られた、あの時になぜ私は日本で大学を卒業したと言ってしまったのであろうか...。大学では本当にたくさんの出会いがあったし、あの時があってこその今である。あの時がなければ今の私はないと思っている。一方で、勉学の面を指摘されればそこは突かれたくないところなので、自分は日本での大学時代をアメリカの大学での奨学金に関する問題が出てきてから触れられたくない過去として葬ってきた。しかし、自分の過去、そして自分が大学卒業してからここで第二学位を取ろうとしていることを先を考えずに言ってしまったことについてもう一度向き合わなくてはいけなくなった。自分は自分の人生の決断を疑い始めた。正直、辛かった。自分自身を否定されているようだった。でもやっぱり、あの四年間は色々なことがあったけれど自分には必要だった。あの時、あの経験をしたからこそ、現在の自分があるのである。

結局、私は名目上は学部の3年生であるためプログラムに応募できるが、授業料はポストバチェラーのため普通の学生よりかは高くなるということだった。本当に金のかかる娘で申し訳ないと両親に謝った。その分、一生懸命死ぬ気で勉強すると誓った。このプログラムに応募できなければ、GREの勉強をして行ける大学院を探すか、それとも日本に帰国するかという二択だった。応募できるという連絡が来た時は本当に嬉しかった。

過去は変えられないし、その過去があるからこその今なのである。今を一生懸命生きていれば道は開けるという言葉を自分は信じているが、このように自分が葬りたい過去を持ち出されてそれによって評価され、道が閉ざされたと感じることもある。しかし、それもそれで違う道に通じる新たな道であり、道は閉ざされていないのである。私はアメリカでできた友人が大学院を卒業したときにこの言葉を送った、"One day, in retrospect, the years of struggle will strike you as the most beautiful". 精神分析を提唱した心理学者、フロイトの言葉である。そして、今この記事に綴ったことを私の大学時代の友人に話した。彼女には、"いつかこの辛い経験が良かったなと思える時がきますよ"と言われた。

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