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今日も今日とて満員電車

はじめまして。さとう れいなです。

2023年は何をしようと、ぼんやりしていたら「エッセイを書いてみたら」と言ってくれた人がいたので、毎月1つエッセイを書いてみることにしました。
すでに1月が終わってしまったのですが、まあ、ゆるゆると、書いてみたいと思います。

はい、よーいどん。


最初に書いてみたいのは満員電車についてです。

毎朝、満員電車に乗って通勤しています。
満員電車には学校や会社では教えてくれないルールがあって、基本的なルールのひとつに、ドア付近に乗車している人は駅に到着するたびに電車を降りて、降車する人のために道をあけなければならない、というものがあります。

たまに満員電車に慣れていないのか、電車を降りずにかたくなに乗車し続ける人がいます。降りようとする人たちに、もみくちゃにされる姿をみて、一回降りた方がいいですよと言いたくなるのですが、でも言えないのです。
なぜなら他人に関心を持たないという、ルールがあるからです。

だからみんな体当たりをして、態度で示すしかないのです。一言「いったん降りたほうがいいですよ」と言うには、相当なプレッシャーを乗り越えていかなければなりません。下手をすると「うるさい!」と怒鳴られる可能性もあります。けれどそれは自己責任です。
そんな危険を冒してまでルールを共有する必要があるのだろうか。そんなことを考えているうちにドアは閉まって電車が出発してしまいます。

満員電車では他人に干渉しないこと。
別に決められたわけではないのですが、日本の満員電車歴の中で暗黙のルールのようになっていると私は思います。たしかに、満員電車の中で個人を個人と認識し始めると、とんでもない情報量に気分が悪くなってしまいます。
1㎡に何人もの人間がいて、それぞれの体にはご先祖様から受け継いでいるDNAがあって、これまで生きてきた人生経験があって、今現在も頭の中ではぐるぐると思考をしている。たった1㎡に何という量の情報が詰まっているのでしょう。

だから電車に乗っている間は、周りにいる人たちのことをモノとして考えるようにしています。

目の前にあるのは、人の後頭部のようなモノ。
自分の頭に当たっているのは、誰かの腕のようなモノ。
内臓がぎゅーっとなるほどに押してくるのは、狭い場所に押し込まれた、たくさんのモノたち。

ここはモノがたくさん運ばれている箱のなかであって、私もモノの一つとなって、目的地まで揺られていくのです。

それでも、ふとした瞬間に人間らしいため息や、呼吸や体温などの、モノになりきれない部分が垣間見えると、一気に人間という生物を意識して情報が流れ込んできてしまいます。

なので最終兵器。
イヤホンをして音楽を聴いて、インターネットの世界へ逃げていきます。

満員電車では暗い顔をしている人をたくさん見ます。
今日もイライラしているおじさんが、電車から降りるときに体当たりをしていました。きっとこのおじさんは満員電車に乗っていなければ、一生懸命会社で働いている家族想いのお父さんなのだろうと思います。

こういう光景を見ていると、生物の授業で習ったバッタの話を思い出します。

ばった!


生活環境が広い場所に生息しているバッタと、狭い場所に生息しているバッタを比べると、狭い場所に生息しているバッタの方が、小さくて黒くて攻撃的なのだそうです。

私たちも同じ生物なので、みんなの顔が暗く、攻撃的になってしまうのは、生物学的に仕方のないことなのだと思います。
そう考えると、みんな生き物なんだなと思えて、なんだかおかしいです。

どうせ毎日体験するなら、なんとか満員電車を楽しく過ごしたいものです。
さあ、明日も満員電車だっ!

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