コンセプトや一貫性を拠り所とせず、この瞬間に煌めく創造意欲と知的好奇心を頼りに。

世の中は、善と悪、黒と白、保守と革新、会社員とフリーランスなど、二分されて語られることが多いと感じます。

それは単にわかりやすいからかもしれないし、仮想敵を仕立て上げることで自らを正当化したいから、かもしれません。しかしそれでも世界の最小単位はいつも個人で、私たち一人一人はいつも二分できないグレーの領域も綯い交ぜに抱えながら生きています。

私たちは、アーティストと一般人も分けて考えがちです。アーティストだけが、表現する存在でしょうか。そうではなく、表現する人が皆アーティストなのだとすると、私もあなたも日々この世界に何らかの表現をしているアーティストと捉えることができます。

巷に溢れる定説や方法論、ベストプラクティスの類は、本当に万人にフィットする”正解”でしょうか。明確なコンセプトを作ること、一貫性を持つことは、本当に私たち全員に必要でしょうか。

個人の世界観は、一言で表されるコンセプトの枠に収まるはずもなく、一貫性という名の信仰に縛り付けられる必要もありません。

内面に渦巻く数々のエネルギーの方向性は、文字通り”あっちこっち”に飛び交っているはずです。結果的に、一つの場所へと収束していくことがあったとしても。

私も、ときに会社員として、ときに表現者として、多方面に放出される自身のエネルギーの行方を見守ってきました。

コンセプトや一貫性を拠り所とするのではなく、この瞬間に煌めく創造意欲と知的好奇心を頼りに、多少散らかってもいい。

その混沌の先にある世界観を、もし誰かが「君って○○な人だね」と表現したのなら、それこそ立派なコンセプトであり一貫性と呼べるのではないでしょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?