R.Miyashita

仕事したり、革のものづくりをしたり、エスカレーターの写真を撮ったり、エッセイ書いたりし…

R.Miyashita

仕事したり、革のものづくりをしたり、エスカレーターの写真を撮ったり、エッセイ書いたりしてます。世の中をちょっとサステナブルに、をテーマに生きてます。 http://www.ryusukemiyashita.com

最近の記事

温度のある一声が、誰かの心に小さな火を灯す。

みんな、余裕がない。 僕はそれを、余白がないと呼ぶようになった。 正直、余裕でも余白でもどっちでもいいんだけど、僕には、現代の1分1秒を争う現代の人が、びっしりと鉛筆で描き殴って真っ黒になったノートやキャンバスのように見える。 だからそれを、”余白がない”と呼ぶ。 もっと、そこに余白があれば。 僕たちは家族や友達や同僚に愛情や優しさのようなものを携えて、接することができる。 今日エスカレーターですれ違ったあの疲れたサラリーマンや、電車で出会ったベビーカーを押した女

    • ひとりめの応援者は、最大の応援者。

      未知の何かに取り組むとき。私たちは不安になる。 不安は悪いことではない、と思う。何かにチャレンジしようとする時に当たり前に付いてくるものだから。不安という字が「安全がない」か「安心がない」かそのどちらからも来ているのもしれないが、いずれにしろ、不安になるのは一寸先は闇だからこそ。わざわざ覗かなくてもいい闇に、私たちは飛び込もうとする。なぜなら、その先にどうしても見たい世界があるから。 ほんとなら、飛び込まなくてもいい。見たいはずの世界を圧縮袋にぎゅーっと小さく入れて、押し

      • 反知性主義には、相当の”知性”が必要である。

        『反知性主義 アメリカが生んだ「熱病」の正体』ブックレビュー *** 超大国アメリカを作ってきたのは何だろう?その中心にある核って何だろう? 私は、日々Googleで検索し、同じくGoogleのスマホを使い、FacebookやTwitterに投稿し、iTunesで音楽を聴く。PIXARのトイ・ストーリーやマーベルのアベンジャーズを観て笑い、銀行口座には多少の米ドルが眠っている。この記事の冒頭では、Amazonへリンクを貼ったばかりだ。 これら全てがアメリカに関わること

        • 私的珈琲論

          もっぱら、コーヒー派だ。 煎茶のさっぱり感も、ほうじ茶の安心感も、紅茶の優雅さも、一応わかるつもりではいる。 マグカップの冷めたコーヒーに口をつけながら、自分がコーヒーに求めてるものって、なんだろう、と思う。いや、そんなこと考えること自体が野暮か。いや、でも気になる。 まずは、朝の演出について。 私は、理想の朝の過ごし方がある。湖畔にポツリと建つ家。窓を開けると、まだ薄く霧がかかり夏なのにひんやりとした風が顔を撫でていく。さて、と。そこでトポトポとコーヒーを淹れてその

        温度のある一声が、誰かの心に小さな火を灯す。

          コンセプトや一貫性を拠り所とせず、この瞬間に煌めく創造意欲と知的好奇心を頼りに。

          世の中は、善と悪、黒と白、保守と革新、会社員とフリーランスなど、二分されて語られることが多いと感じます。 それは単にわかりやすいからかもしれないし、仮想敵を仕立て上げることで自らを正当化したいから、かもしれません。しかしそれでも世界の最小単位はいつも個人で、私たち一人一人はいつも二分できないグレーの領域も綯い交ぜに抱えながら生きています。 私たちは、アーティストと一般人も分けて考えがちです。アーティストだけが、表現する存在でしょうか。そうではなく、表現する人が皆アーティス

          コンセプトや一貫性を拠り所とせず、この瞬間に煌めく創造意欲と知的好奇心を頼りに。

          人の夢に審判をくださない

          誰かが、「夢は絵描きになることだ」と言う。 それに対して、ある人は言う。 「いいね。君だったらきっとできるよ!」 またある人は言う。 「無理無理。そんなの一部の才能ある人だけができるんだよ」 私はずっと、前者でありたいと思ってきたし、それが正しいと信じてきた。 あれ、けどそれって、本当に正しいんだろうか? 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 人には、誰しも夢がある。いやいや僕には夢なんて無い、という人に向けては、「誰しも夢がある(もしくはあった)」とでも言おうか。もちろん、夢があ

          人の夢に審判をくださない

          人間関係もサステナブルに。ドイツ生活から学んだ”タグ”から離れることで生まれるつながり

          大学生活の4分の1は、ドイツで暮らしていた。 2年の夏休みに一ヶ月と、3年の秋からの1年間。 ドイツでの暮らしは、僕にとっては心地が良かった。胸を涼しい風が抜けていくような、呼吸の度に季節が身体を流れていくような。 はじめての海外だからと興奮していたからではない。 留学という夢に歓喜していたからでもない。(確かに興奮も歓喜もしていたが) 心地よかったのは、”何か”から解放されたような気分がしたからだ。 ドイツで暮らすまでの約20年間。当たり前のように日本で過ごす中

          人間関係もサステナブルに。ドイツ生活から学んだ”タグ”から離れることで生まれるつながり

          子育てもサステナブルに。 88 PROJECT(ハハ プロジェクト)は「地域で育てる」の新しい形へ。

          子どもを生んで育てることって、子どもを生んだ後に仕事や自分の好きなことをするって、そんなに大変で難しくて、ネガティブなことでしょうか? ぼーっとFacebookを眺めていると、ある女性の投稿が目に飛び込んできた。 胸がキューっと締め付けられるような気分。目頭が熱くなるってこんな感覚なんだと実感する。 ー 程度の差はあれど、自分の子どもをかわいいと思う人は多い。目に入れても痛くない、とまでは言わなくても、その存在はきっと唯一の、宝物のようなものなのだろうか。「なのだろう

          子育てもサステナブルに。 88 PROJECT(ハハ プロジェクト)は「地域で育てる」の新しい形へ。