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この仕事に50年ワクワクしてる人がいるという希望|アートとコピー#2

この投稿は、阿部広太郎さんがホストを務める宣伝会議の講座「アートとコピー」の感想をまとめたものです。(#1の感想はこちら)

初回の講座での「見つかりにいく努力」の話に感化され、社内で自主提案をしてみた。結果は惨敗。「プレゼン資料作りたかっただけに見える」と手痛いひと言。振り返るとその通りで、何も言葉が出なかった。

「クライアントを表現のおもちゃにするな」と、昔先輩に言われたことを思い出した。

行動を起こしたこと、力不足を知れたことを成果にして、次に進みたい。

「みんなの作品を見て驚きたい」

アートとコピー第2回のゲスト講師は副田高行さん。

1950年生まれ。18歳で業界に入り、今年で74歳。56年間、そして今なお広告を作り続けているトップランナーだ。

きっとクリエイター目線の高い視座からの講評が聞けるのだろう。そう期待していたからこそ、副田さんの言葉に衝撃を受けた。

「ん〜読む気になれなかった!」

圧倒的に読み手視点での感想。そうだった。広告とは本来”読まれない”が前提のものだ。そんなことは、少し広告を勉強した人なら耳タコのはずだ。

だが、いざ自分のこととなるとどうだろう。1ヶ月ペアとふたりで詰めに詰めて作った新聞広告。同じように苦労を重ね、作られた他のペアの作品。

そのすべてを最初から「見るぞ〜」という気持ちで見ていた。隅から隅まで、全員分読んで、意図を考え、汲み取る。そんな親切な人は世の中にいないのに。

課題を出した副田さんは、誰よりもフラットに広告を見ていたように思う。

「みんなの作品を見て驚きたい」ともおっしゃっていた。この場を無邪気に楽しんでいた。その姿はあまりにもピュアで、広告表現そのものを楽しむ感受性を教わったような気がした。

自分が生まれる遥か前から、ADとして最前線で活躍されている方。酸いも甘いも、きっと想像し得ないほど、体験してきてるはずだ。

それでなお、誰よりも目を輝かせ、いきいきと語るその姿を見て、この仕事には、とてつもないパワーがある。人生の大半の時間を費やす価値がある、と感じた。

まだまだこれからの自分にとっては、それが希望のようにすら思えた。

と、同時に思うこと。今の環境を楽しんでいるか。「求人広告だから」と一線を引いて、妥協していないだろうか。

制約の中で、たとえ厳しい状況でもポジティブに物事を捉え直し、自分の糧にする。それが、仲畑さんの元で11年勤め教わったことだという。

「言い訳をするな。」

帰り道、副田さんのこの言葉がずっとリフレインしていた。

これがペアを組むということか

話は少しさかのぼり、課題を取り組むペアの方と初顔合わせ。

初めてのペアワーク。初めての新聞広告。経験もなければ、自信もない。けど、不安そうにしてたら相手に失礼な気がする。謙虚に、堂々と。それだけを意識して、あとはひたすら会話した。

最終的に採用したコピーは、相手が選んでくれたものだ。「出した案の中での1番」ではなく「これが面白い!」と選んでくれた1本。そうやって、人にコピーを選んでもらったのは初めてで、今更ながら気恥ずかしい。

仕事でコピーを見てもらうときには、少なからず立場上のバイアスがかかってしまう。時間がない、モチベーションの差、プライド。

アートとコピーのペアは限りなく対等な関係性。だからこそ、純粋な選択だと感じたのかもしれない。(少なくとも自分はそう思っている)

終盤、ビジュアルがかたまらず苦戦していた。

何か面白いことをしなきゃ、と凝り固まっていたと思う。コピーを変えようと思ったが「突飛なことをして、コピーを殺したくないんです」と、言ってくれた。

手段ばかり考え、小手先の面白さに逃げようとしていた自分が恥ずかしかったし、なにより最大限コピーに寄り添って考えてくれていることがうれしかった。

そのかいあって、お気に入りの新聞広告が作れた。デスクトップ背景にするくらいには気に入っている。

結果は1番ではなかったが、ありがたいことに、悪くない評価をいたたけた。自分たちが面白いと思ったことを、同じように面白がってくれる人がいた。これってとんでもない脳内麻薬。とてつもなく嬉しくて、たまらないことだ。

ただ、突き抜けたものは作れなかった。行動変容を起こすまでのメッセージではなかった、ということだと解釈している。

この体験をあと7回。言い訳せずに考え続ける。そしてペアで作る楽しみを最大限味わう。

もう、「時間がない」は言わない。

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