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誰も読んでない精神|アートとコピー#5

5回目にして、最大の難問でした。

「究極の自己満足」が、「究極の他者感動」になることを体感してください。作品の何のジャンルにするかはコンビに任せます。それでは、自分の偏愛を大切に。

『アートとコピー』#5 課題より一部抜粋

作り手へ憧れたきっかけは音楽でした。

それからギターを手に取り、音楽ライターを目指した学生時代。でも本気でコレを仕事にしようとしてる人たちの病的なまでの熱中ぶりに戦意喪失。偏愛に打ちのめされたのが22歳のとき。

いつしか「音楽が好きです」と素直に言えなくなっていた。

だから、今回の課題のテーマを「音楽」にすることは、自分にとってはとても大きなことでした。アートとコピー34人+阿部さん、前田さんに対して、正面から「音楽が好きです」と言う、ということだから。

今回作成した作品「ミる音」
好きな曲の細部を切り取る絵と言葉を考えた
デザイナー後藤けやきさんとの共作

評価としては決して良くなかったけど、自分にとっては、ひと皮むけたような気がした制作だった。

ホントはこういう自分の気持ちをつらつらネットに書くのも、気が引けるけど、「SNSなんて誰も見てない精神」で、今回は素直に制作過程と感じたことをまとめてみます。

1音にいちいち感動してたあの頃を

中学生のときに通っていたとなり駅のTSUTAYA。お目当ては5枚1週間1000円レンタル。好きなアーティスト3枚、ジャケ借り2枚が定番でした。

そして借りた5枚のCDを自宅のデスクトップPCでiTunesに落として、iPod classicに取り込む。たまに曲情報が読み込めず、歌詞カードを見ながら1曲ずつ曲名、アーティスト名、作詞、作曲を手入力。週を重ねるごとに増える総曲数がうれしかった。(当時のことを書いたnote)

今と比べると、途方もなく手間のかかる作業だ。でも、手間がかかるからこそ、1曲を大切に聴いてたし、アルバム単位で聴き込みたいと思うアーティストをたくさん知れたと思う。

「ミる音」のコンセプトはこの原体験がスタート地点です。サブスクはタダで簡単に音楽を聴ける。だがその分、簡単に消費してしまってないだろうか?という問いに対して、1音にいちいち感動していたあの頃の気持ちを思い出したかった。

「あの頃」によく聴いてた曲たち

この問いがを見つけたとき、後藤さんにいいですね!と言ってもらえたとき、もう後には引き返せないと思った。

コンセプトフロー図

言葉要るのか問題

1音を表すために、楽曲の細部を切り取る。音を言葉と絵で表す。アウトプットの方向性と題材の曲が決まり、さっそく作成に取り掛かった。

音を言葉で表す…。

ハテナが浮かんだ。音から受け取ったイメージを言葉にするくらいなら、最初から歌詞を読めばいい。「ジャラーン♪」みたいな擬音も芸がない。言葉が不要とさえ思い始めてきた。

そもそも音楽は、言葉で表現できない感情を表すために生まれてる(諸説あり)。頭を抱える状況を切り開いてくれたのはこの本だった。

心の声、精神の叫びは、既存の「五十音図」では十分ではないのかもしれません。

あ゛-教科書が教えない日本語 より

アラレちゃんの「き゜ぇ゛ぇ゛〜っ!」も、ONEPEACEの「仲間がいる゛よ」も、五十音図には存在しない。さかのぼると明治時代から、五十音から抜け出そうとする表現があったという。

存在しない表記を使わざるをえなかったのは、それでしか伝えきれない何かがあるから。

今まさに言葉にできない感情を言葉にしようとしている。これならいけるかもしれない。

五十音のしがらみから脱する言葉をつける。ようやく方向性が固まった。

そうして、題材にした楽曲について調べて、まとめて、考えて。2枚の「ミる音」が完成した。

バンビーナ/布袋寅泰
ギターの歪み「ジ」と感嘆詞「YAY!」を一文字に。
イントロのハッピー感を出したかった。
テクノポリス/YMO
電子音楽=数字の音楽。
ヴォコーダーのTOKIOを「7,0,12,1,0」にした。

選ばれなくてよかった。という言い訳

改めて感じたデザイナーの力。この絵が送られてきたとき、思わず笑ってしまった。音と一緒に聴くとなおさら良い。課題設定、切り口、アウトプット。キレイにまとめられたと思ってた。どんな感想をもらえるか、楽しみにしながら提出した。

・・・3日後。

受講生全員がえらぶ3選に、ぜんぜん入ってない。伝わらなかった。伝えきれなかった。あーーーという気持ち。

悔しいより悲しいより、ダメだったかー!と思った。なぜか爽やかに負けを認めてる自分がいた。それから1週間経った今日まで、ずっとどうすればよかったか考えてる。

反省ひとつはまとめすぎたこと。中途半端に整えてしまった。やるならもっと徹底的に。それこそ病的にまで洗練させるべきだった。

偏愛は、理屈より感情が優先されると思う。好きすぎて作らずにはいられなかった衝動が溢れてるもの。ぶかっこうな姿にこそ、アイデンティティが表れると思う。RHYMESTERもそう歌ってた。

歪に歪む俺イズムの 歪こそ自らと気付く

B-Boyイズム/RHYMESTER

もうひとつは「文脈と物量」が足りなかった。

「その人がこのコンテンツを作る理由」はそのまま応援したくなる理由になる。おニャン子クラブから始まる日本の女性グループアイドルがいい例だろう。応援したい気持ちは文脈から生まれる。個人的にはでんぱ組.incが思い入れ深い。

物量はそのままコンテンツの量量は時間でもある。時間をかけたことが一目でわかる物量は有無を言わせぬ説得力がある。そのためには、量産しやすいフォーマット作りも必要だ。

◇◇◇

なんて反省、きっと選ばれて大絶賛だったらきっとしてなかったと思う。「やったー!」と浮かれて、そのまま次に流れていってたと思う。

だから選ばれなかったことは、選ばれた人より選ばれてる。そう、きっとそうだ。うん、誰がなんと言おうと。もはや一等賞。選ばれてない人の方が少ないんだし。

ただ、この講座の人たちは選ばれたとしても慢心せず、反省と改善を続けそう。なんてタチの悪い…。

どうせ誰も見てないんだからの精神

この課題と講義を担当したのはアートディレクターの前田高志さん。SNSの向き合い方がテーマだった。

僕がこの場でウンコ漏らしたらドン引きされるけど、Twitterなら笑い話で終わるから。だれも自分の投稿なんて見てないんだよ。

講座より

他者の目だけでなく、自分の目も気にしてしまう性格がゆえに、下書きばかり溜まってたTwitter。意識高いツイートをしようものなら、もう一人の自分がプププと笑ってくる。

そんな自分に刺さったあっけらかんな回答だった。同時に自意識過剰になってた自分が恥ずかしくなった。

どうせ誰も読んでないんだから。考えを言葉にする練習として、どんどんSNSを活用しよう。これまでより軽い気持ちでTwitterを開ける気がする。

やっぱ、読み返すと恥ずかしいかも。

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