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僕らは、何に囚われていたのか|アートとコピー#1

※この文章は「アートとコピー」の感想かつ、毎回の講義を受けて、自分の考えを整理する文章です。なるべく伝わるよう努めますが、長くなる点は、ご容赦ください。

前日譚

2月25日22時すぎ。
待ちに待ったメールが届いた。

アートとコピーの受講確定を知らせ。スマホ以上にブルブル震えながらメッセージを読む。何回も読む。5周目で理解した。どうやら受講できるらしい。

選考課題はポートフォリオ。自分の提出したソレは本当にポートフォリオだったのだろうか。疑念が拭えないままだったので、ようやく安心できた。見えない重荷をやっと下ろせた気持ちだ。

メールには他の受講生たちのポートフォリオが添えられていた。アート生17名、コピー生17名、計34名分。中から3名の推しとその理由を書くことが最初の課題、とのこと。

ようやく震えが止まった手でリンクをクリックした。

ポートフォリオ私的3タイプ

ひと言でポートフォリオと言っても、それぞれが、それぞれの解釈をしていた。大きく分けて3つのタイプがあると感じた。

クラフト力で勝負するマッチョタイプ

プロフィールと作った作品のみを載せるタイプ。必然的に言葉が少なくなるため、クオリティの比重が高くなる。実力がないと作れない、ゆえに難易度が高い。おそらく最もポートフォリオ然とした内容で汎用性も高い。自分には作れないため、憧れと羨ましさしかない。

想いをぶつける情熱タイプ

「なぜこの講座を受けたいか」に特化した内容を載せるタイプ。想いと行動をセットにすることで伝わる力が増す。当たり前だが、ポートフォリオを提出する人は、もれなく全員がこの講座を受けたいし、たくさん作ってきている。そのため、想いと行動力に、どれだけオリジナリティがあるかが重要。

ユーモアを忘れない愛嬌タイプ

想いを伝えつつも、ライトなテイストを一貫するタイプ。ポジティブな読後感になるため、終始楽しい気持ちで読み進められる。クスッと笑えるだけでなく、ニヤニヤ、ほうほう、ふふっ、など印象はさまざま。不思議なことに、これまでの仕事(クラフト)と、情熱の両方が伝わる。

◇◇◇

自分は情熱タイプで提出した。書いた時は「これしかない!」と思ったし、「イケる」と思い上がった。(そう思わないと精神を保てない)

「他人は自分の写し鏡」と、よく言うけれど、本当にその通りだ。自分の浅はかだった決断に気がついた。

検討せず、安易にポートフォリオ作成を始めてしまった1ヶ月前の自分を今すぐ止めてやりたい。「まだ、慌てる時間じゃない」と。結果、情熱タイプで書くことになったとしても、だ。

全員分、目を通して、愛嬌タイプに強く憧れた。読んでて楽しいに越したことはない。ましてや約40名分ものポートフォリオを読むのだから。

クスッと笑えるユーモア。ニヤリとする仕掛け。ツッコミどころを作る余裕。そのどれもが、読み手を楽しませようとするサービス精神だ。この気持ちは、何を作るにおいても忘れないでいたい。

と、書きつつ、この文章も堅くなっている点は反省しなければいけない。

うんち。

気持ちの吐露を軸にしたため、ノート、手書きにしたポートフォリオの1枚目

そして、いよいよ第1回

ドキドキの第1回。ノートの字がいつもより汚いのは緊張のせいだろう。

講義テーマは「仕事が集まるポートフォリオとは?」

中でも、考えたいと思ったのは「囚」の話。

ポートフォリオってこういうものでしょ?と思った瞬間に失われる輝きがあります。囚の字のように枠に囚われず、枠を超える人になってほしいです。
第1回講義より、阿部さんの言葉

「人」が「口」にかこまれている「囚われる」という字。常識にとらわれず、枠を超えることを考えてほしいと。これは全ての企画に通ずる。

ここでいう、人は自分(制作者)枠は定番や常識。枠を意識して超えていかない限り、アッと驚かせるものは生み出せない。

、、、と捉えていたがそれだけではない気がする。

「人」とは誰のことか?

講座内で受講生に向けて発信した言葉である以上、前提として自分達(制作をする人)を指して「人」と言っているのは間違いない。

ただ、広告は生活者(ユーザーや社会全体)に発信していくもの。いくら自分の枠を超えていようと、読み手の枠の範疇では、驚きは与えられない。

また、広告を出すのはクライアントだ。むやみに枠を超えようとして、とんちんかんな事を伝えても意味はない。正しい方向に枠を超えていく必要がある。

あくまでも、読み手主体。

制作者という皮を被っている自分を自覚し、その皮をひっぺがす。いち読み手としての冷静な判断が大切だ。

ポートフォリオの場合は、自分がクライアントになる。自分の伝えたいことと、読み手が求めていること。ふたつの接点を見つける作業が大事なのかもしれない。

真の「人」は自分ではなく、読み手。そう、肝に銘じておきたい。

、、、ダメだ。またマジメな文章になっている。

うんち。

「口」はなにか?

人をかこっている口。この枠とはなんなのか。

それは、一言でいえば“ありふれたもの”だろう。定番、常識、ベタと言い換えてもいい。ただ、このありふれたものは、どこを主軸とするかで変わってくる。

枠の軸は3つあると考える。

まずは、人軸の枠。

読み手の環境によってインプットは異なる。普段見聞きしているものが定番を作る以上、届けたい相手がどのような生活をしているか、想像することが重要になってくる。(ターゲティング)

今回のポートフォリオでは、以下の3者がターゲットになる。

  • 阿部さん

  • 宣伝会議事務局

  • アート生、コピー生

それぞれの立場の人が、それぞれ“ポートフォリオ像”を持っている。この枠を想像し、意図的にはみ出すことで、初めて“伝わる”になるのだと思う。

伝わるとは、思い出せるということです。
第1回講義より、阿部さんの言葉

そして、場所軸の枠。

どこで見るか。ユーザー体験に直結するこの考えも忘れてはいけない。

必要になりそうなことをまとめてみた。

  1. スマホで見る前提ならスライドは縦のほうが読みやすい

  2. 通信環境を考慮してデータ量は軽くする

  3. 事務局が分かりやすいファイル名をつける

  4. スマホの小さい画面でも映える配色・レイアウト・フォント

  5. 夜遅く大量のポートフォリオを読むと仮定して1枚目から目の覚める1発を

必死になるほど、忘れがちなことだ。読む場所を考えるだけでも、工夫すべき点がたくさんあった。

さいごに、時代枠の枠。

社会的な大きな動き。今でいうメタバースやジェンダー、SDGsなど。マクロの視点での動きも枠のひとつだろう。

広告表現においては、言われ尽くした考え方だが、ポートフォリオに置き換えると、時間と考えられるのではないか。

「過去」なにをしてきて、「今」はどんな状況にいて、「将来」どうなりたいか。その理想を叶えるために、アートとコピーが必要。

この時間の流れをストーリーで訴えることで、読み手に強い印象を与えることができる。実際、印象的だった他の受講生のポートフォリオは、過去から未来までが伝わる内容が多かった。

この3つの観点をもとにすると、超えるべき枠が見えてくるのではないだろうか。恐ろしいことに、ここまで考えて、まだ枠が見えただけ。何を伝えるかは、まだまだ先の話なのである…。

※この3つの軸は講義の内容ではなく、自分なりの解釈です。

ここだけ読めばたぶん大丈夫

ポイントを整理すると。

  • 枠を超えた企画に、人は惹きつけられる

  • 枠とは、人が常識に囚われていることであり「囚」という字そのもの

  • 人は、自分ではなく読み手

  • 枠は、「人」「場所」「時代」の3要素からなる

図示してみた(改良の余地あり)

至極あたりまえのことばかりかもしれない。

ただ、ぼんやり大事と思っているのと、頭の中で整理されているのでは、全く違う。後者でないと、使いこなすことはできないはずだ。

これは、アートとコピーだけに限らず、ものを作っていく上で大切にしたい基本原則。初回から大きな学びになった。

おまけ:「自分だけの琴線を見つける」について

他にも阿部さんから、こんな話があった。

自分だけの琴線を見つけましょう。僕の意見も参考のひとつとして、とらえてください。
第1回講義より、阿部さんの言葉

自分がいいと思ったものを言語化するための共有スプレッドシート「感動メモ」や、受講生たちで審査会を行なっているのも、全てこれが理由。

大切なのは評価されたかどうかではなく、自分の中の軸を定めること。取捨選択の連続であるクリエイティブにおいて、軸を持つことが何よりも大事だ。

これはコンビや賞においても同じだと思う。「組みたいデザイナー」「とりたい賞」の理由を言葉にする。それだけで、モチベーションはきっと大きく変化する。

なんでもかんでもひっきりなしの浮気性では、誰もついてきてくれないと思う。何かひとつに傾倒することなく、中立の心で全てに向き合っていきたい。

結局、最後までマジメな文章になってしまった。これもまた、今後の課題のひとつ。ユーモアあふれる人間になりたいものだ。

うんちっち。

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